古事記・日本書記の謎《神話の真実を探す》0. 神話は畿内からはじまり、邪馬台国は九州から
古事記・日本書紀に書かれた神話はどこからきたのでしょう?
畿内、九州、それとも他のいずれかでしょうか?
少し視線を広げて、古事記と日本書記を読み直してみましょう。
古事記・日本書記の謎《神話の真実を探す》
3-1. 古事記・日本書紀の成り立ち 前半(出雲風土記に国譲りなどなく、阿波風土記に国譲りがある)
0. 神話は畿内からはじまり、邪馬台国は九州から
古事記・日本書記が書く日本神話はどこから来たのでしょうか?
どちらも一通り見ていた私ですが、むかしむかしのおとぎ話のようなことですから、こまかいことは気にせずにいました。
邪馬台国のミステリ、物部氏や蘇我氏は現われる飛鳥時代(6~7世紀)の謎には興味が尽きないので、関 裕二著「蘇我氏の正体」など様々な本を読んできましたが、答えは中々でないものです。
近年、長野正孝著「古代史の謎は「鉄」で解ける」あたりから、邪馬台国の畿内説と九州説の論争に一様の決着が付きました。
何故、決着が付いたかと言います。経済は嘘を尽きません。
鉄にしろ、舟にしろ、経済活動というのは時代と共に進化し、形を変えてゆきます。経済の流れが歴史の流れであり、邪馬台国が魏志倭人伝に出る実際の国名である限り、天空の駆けまわる『天駆ける舟』とはならず、経済活動のない土地に舟は漂着しないのです。
・3世紀まで畿内には鉄が不足しておりました。
・5~6世紀まで、日本国内で鉄の精製はなされておりません。
・鉄はすべて輸入に頼っておりました。
・3世紀まで舟は帆が付いた手漕ぎ舟が主流であり、1日の航海は50kmが限界です。
以上のことから、3世紀初頭の畿内に邪馬台国はあり得ないのです。では、九州が邪馬台国かと言えば、それはまた別の話なのです。
いずれにしろ、女王卑弥呼が治めた邪馬台国は3世紀まで北九州を中心に栄え、4~5世紀に畿内にあったナラ(奴国・那羅、あるいは狗奴国)の王朝が邪馬台国を攻め滅ぼして従わせ、自らをナラからヤマト(邪馬台国)へと国号を改めたのです。
さて、鉄を調べると倭人の活動範囲が格段に広いことが判り、「燕の鉄は倭人が運ぶ」という古代の文献は、古代の倭人の生活圏が日本国内に留まっていないことが判ります。
海の民とは、非常にやっかいな種族であり、陸の民からすると奇妙な生き物なのでしょう。海は陸と違い不安定な場所です。舟が沈めば死ぬ、波が荒ければ死ぬ、天候が悪くても死ぬ。死と隣り合わせの海を生業とするのが海の民です。
陸の民が海の民を攻めても、海の民は海に逃げてしまいます。
陸の民が恐ろしい海に出ることなどできません。
海の民と争えば、海の民はいつどこの海から攻めてくるか判りません。海の民と争うのは、砂漠に水を満たすようなものなのです。
ですから、陸と民と海の民は不文律な境界線を持ち、お互いに干渉せず、物資の取引のみが行われたのです。
紀元前2世紀、「燕の鉄は倭人が運ぶ」と言われたように、
倭人は渤海に面する中国の斉や燕、朝鮮半島まで生活圏としていたのです。もちろん、北には北の倭人がおり、南には南の倭人がいたのであります。
<1-12 倭国の支配地>
まぁ、そんなことをまとめたのが、
“経済から見る歴史学 日本編 01 古代の通貨って、何?”
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-8f38.html
であり、興味のある方は一度ご覧下さい。
その続編である
“経済から見る歴史学 日本編 02 民の竈って、何?”
(仁徳天皇から聖徳太子までの日本最古の自国通貨について)を書いている途中なのですが、仁徳天皇の血筋を辿ると、ヤマトタケルに当たり、忌部氏(いんべうじ)、大伴氏(おおともし)などの消えた氏族の謎が横たわるのです。
そういう訳で、古事記・日本書紀を調べますと、
“出雲風土記に国譲りがなく、阿波国譲りにある”
という文献や伝承に出会いました。
しかし、阿波の伝承は余りにも不誠実であり、とても史料の域に達しません。そこで古事記・日本書記の発祥地である淡路島から調べ出すと、“出るわ、出るわ”の大慌てであります。
淡路から日の出る東に進むから“日向”。
古代の大阪湾は上本町台地までえぐれた地形であり、『升』のような形をしているので“筑紫”。
河内湖には三ツ島があり、三ツ島と言えば“隠岐”であります。
さらに『檍』と『橿』が同じ中国表記であると判ると、
檍原(アハキハラ)=橿原(アハキハラ)=阿波岐原(アワギハラ)
となり、アマテラス・ツクヨミ・スサノオが生まれた聖地が、奈良県の橿原神宮付近と判ってきました。
「うさぎ追いし かの山」と詠われる万葉の故郷である『明日香』は、
明日香=飛鳥=阿須賀
と、スサノオとクシナダヒメのふるさとである須賀(すが)に早変わり。
三輪山には大物主神(大国主神)が鎮座し、その地を出雲と呼びます。
<s-00-1 畿内の地図>
<s-00-2 畿内の土地名>
不思議ですね!
日本神話の世界が、畿内に登場しています。
神話は畿内に発し、邪馬台国は九州に上り、大和王朝で畿内に還る。
古事記・日本書記は、私達にそっと語りかけていました。
ホンの少し、歴史の扉を開くと、“祖先たちの歩み”が見えてきます。
では、古事記・日本書記の旅を歩いてみましょうか。
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