古事記・日本書記の謎《神話の真実を探す》瀬織津姫①
瀬織津姫、それは天照坐皇大御神荒御魂と称される天照大神の妻
しかし、歴史から忙殺されている水の龍女神であり、呪いと祟りをまき散らす悪霊神である。その謎の神を掘り下げます。
瀬織津姫(1)大三島の大山積神に消された瀬織津姫
あなたは瀬織津姫(せおりつひめ)という神さまをご存じでしょうか?
実は有名な方なのです。
そう、誰もが知る『竹取物語』の主人公「かぐや姫」のモデルであります。
かぐや姫は三寸(9cm)と愛らしい光る竹から生まれ、竹取の翁と夫婦の元で育ちます。
成長したかぐや姫は美しい姫となり、五人の公達は、石作皇子、車(庫)持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂から求婚を受けるのであります。しかし、かぐや姫は無理難題を言って求婚を拒んだのあります。そのかぐや姫の美しさの噂は帝まで届き、参内させようとしますが拒みます。理由を聞くとと、月の都に帰らねばならないというのです。帝は勇ましい軍勢を送りますが月の使者の前では無力でした。かぐや姫は月の使者と共に月に去ってゆくのです。
竹取物語は平安京時代に完成した形で監修されます。モデルには様々な説があり、『古事記』に垂仁天皇の妃として記載されており、大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の娘「迦具夜比売命」(かぐやひめのみこと)とも伝えられます。しかし、瀬織津姫の名は、古事記・日本書記に記載されておりません。
では、瀬織津姫の名はどこにあるのでしょうか?
最も格式の高い伊勢神宮の内宮別宮荒祭宮の祭神の別名が「瀬織津姫」であると記述されております。
荒祭宮(あらまつりのみや)は内宮正宮北方(御正宮の後方)にある別宮(わけみや)であり、荒魂を祭る宮と言われており、皇大神宮に準じた祭事が行われ、神饌の種類や数量は正宮とほぼ同等であります。ですから、内宮で有名な遷宮も同時期に行われております。
伊勢神宮の内宮に祀られているのは、
天照坐皇大御神(天照大御神)
荒祭宮に祀られているのは、
天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)
であります。
「倭姫命世紀」には、伊勢神宮の起源や、崇神天皇が倭姫に天照大神を祭る地を探す様に命じられたことなどが記され、
「荒祭宮一座〔皇太神宮荒魂、伊弉那伎大神の生める神、名は八十枉津日神なり〕一名、瀬織津比め神、是也、御形は鏡に座す。」
と残されているのです。
つまり、
内宮、荒祭宮に祭られているのは、天照坐皇大御神荒魂で伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊によって生まれた八十枉津日神(やそまがつひのかみ)で、またの名を「瀬織津姫」であると記されているのであります。八十枉津日神は妻の伊邪那美命に追われ、黄泉国から現世へ逃げ帰った伊邪那岐命が死の国の穢を祓うために橘小門の阿波岐原で禊ぎをしたときに生まれたのが禍いをもたらす悪神(八十禍津日神と大禍津日神)です。そんな禍の神を何故に内宮と一緒に祀っているのでしょうか?
伊勢神宮に隠された『ミステリー』なのです。
1.大三島の大山積神に消された瀬織津姫
大山祇神社は、推古天皇2年(584年)に主祭神である大山積神(山の神、海の神、戦の神)を創祠されたと伝えられ、摂津の三島(豊中市の淀川付近の流域にあった三島)から宮浦へ移設されたと伝えられ、一説には仁徳天皇の時代に創建されたとも伝えられます。
・『大三島記文』によると、大山祇神子孫の小千命(乎千命、おちのみこと)が大三島に勧請したとある。
・『伊予国風土記』には大山積神は百済から渡来して津の国(摂津国)の御嶋に鎮座し、のち伊予国に勧請されたとある。
・『予章記』・『予陽河野家譜』 では、越智玉興がこの地での霊験にあやかり、勅宣により社殿を造営したと書かれております。
この大山祇神社の境内には、推定樹齢2600年という乎知命御手植の楠 (おちのみことおてうえのくすのき) という楠が存在し、この楠などは元々日本になかった木であります。『日本書紀』では、素戔嗚尊が「日本は島国だから、舟がなければ困るだろうと、髭を抜き散らしてスギに、胸毛はヒノキに、尻毛はマキに、眉毛はクスノキとなして、尊は、それぞれの用途を示して、ヒノキは宮殿に、スギとクスノキは舟に、マキは棺の材に使え」と教えましたと書かれております。
いずれにしろ、2600年前頃から大陸との通商があった事が伺え、その貴重な交流地であったことが判ります。
大山積神は神産みにおいて伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれた神であり、神武天皇の祖である邇邇芸命(ニニギノミコト)の妃に木花咲耶姫を、素戔嗚神の子の八島士奴美神の妃に木花知流姫(石長姫と同神とも言われる)を送り出しています。
そして、もう一人、邇藝速日命に妻として瀬織津姫を送っていたのです。ニギハヤヒと言えば、神武天皇が倒した長髄彦の妹である三炊屋媛とニギハヤヒの子が可美真手命であり、
物部氏の祖先であります。しかし、ニギハヤヒの正妻は瀬織津姫と言われ、九州の久留米から畿内の奈良までの道案内をしてくれたのです。
瀬織津姫は荒祭宮で記されているように雷や雨を自由に操る水の神であり、水運を営みとする海の民の信仰を受けていました。
瀬織津姫がニギハヤヒの妻であったと証拠は、兵庫県たつの市揖西町中垣内甲799-1に建立されている井関三神社(いせきさんじんじゃ)から伺われます。
井関三神社(いせきさんじんじゃ)
主祭神 天照国照彦火明櫛玉饒速日命
瀬織津姫命
建御名方命
由来:崇神天皇2年に播磨国揖保郡亀山(現在の奥宮の地)に天照国照彦火明櫛玉饒速日命が勅命により鎮座して天照神社(あまてる - じんじゃ)が創祀され、創祀当時より武甕槌命が祀られる。天武天皇の頃、四道将軍が牛頭天王を祀り、これを飛鳥時代後期に神宮寺とした。延元2年(1336年)までに南北朝の戦乱によって神社、神宮寺が焼失し、弘治元年(1555年)中垣内村の大庄屋・八瀬氏によって、その氏神・瀬織津姫命が山城国八瀬郷より勧請合祀される。
寛文12年(1672年) 龍野城主脇坂安政が入部の際、家運永久子孫繁昌を願い龍野城の乾(戌亥・北西)の天門を鎮めとして、前任地の信濃国飯田に鎮座する氏神の諏訪神社より、その祭神の建御名方命が勧請合祀され、天照国照彦火明櫛玉饒速日命、瀬織津姫命、建御名方命の三柱をもって井関三神社(いせき-さん-じんじゃ)と称する。
この信濃国飯田に鎮座する氏神の諏訪神社、大宮諏訪神社は、信濃を内県(うちあがた)=諏訪地方、大県(おおあがた)=佐久地方、外県(そとあがた)=伊那地方に区分して統治され、当社は外県の大社とされ「外縣大宮諏訪神社」と称せられ、主神は
建御名方富大神(たけみなかたとみのおおかみ)、八坂刀売大神(やさかとめのおおかみ)となり、天照国照彦火明櫛玉饒速日命、瀬織津姫命の名は消されております。
ニギハヤヒの正式な名称は、『先代旧事本紀』に記されているように「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」であります。
天照大神と同神か、正統な後継者なのです。
そう考えると、井関三神社と同じように伊勢神宮の内宮に天照大神が鎮座し、その別宮の荒祭宮に天照坐皇大御神荒御魂(瀬織津姫)が鎮座しているのはおかしくないのです。
しかし、大宮諏訪神社から瀬織津姫の名が消えているのでしょうか?
実は、
これは別にめずらしいことではないのです。
「函館市史」資料編第2巻所収に残る資料に寄れば、
明治初期まで”瀬織津姫神”が、祭神として樽前地区の樽前神社(由来不明)に祀られていましたが、明治7年に明治政府の勅命によって
苫小牧市内中央に奉遷され社格を郷社とし
社名 樽前山神社
祭神 大山津見神(おおやまつみのかみ)
久久能智神(くくのちのかみ)
鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)
の三神が祀られたのです。
つまり、
【勅命によって変更・黙殺】 瀬織津姫 → 大山津見神
ということを、書き換えを推古天皇2年(584年)から1400年余りも永遠と続けているのです。
なぜ、瀬織津姫を黙殺し続けているのでしょうか?
瀬織津姫が初めて、祓戸大神として現されたのが、天智8年(669年) に滋賀県に建立された佐久奈度(さくなど)神社で中臣朝臣金連が、この地に社殿を造り、祓戸大神四柱「瀬織津姫命・速秋津姫命・
気吹戸主命・速佐須良姫命」を奉祀したのが始まりと言われます。この時、「大祓祝詞」がつくられました。
天智天皇が瀬織津姫の怒りを恐れたということです。
さて、大山祇神社に話を戻しましょう。
元々大山積神は山の神で水の神ではありません。しかし、山は海の民にとって目印となり、海の民の信仰を集めています。
ですから、大山積神が大山祇神社に呼ばれるのは不思議なことではないのです。しかし、雷や大雨という災害は、淤加美神(おかみのかみ)、または龗神(おかみのかみ)といった水や雨の神に分類されます。大山祇神社のご神体は鷲ヶ頭山(四三七㍍)と安神山(二六四㍍)の合間には『入日ノ滝』があり、滝の手前に本尊の十一面観音を竜神に見立てて祀っている瀧山寺があり、また、宇迦神社には『能因法師雨乞いの楠』が境内に立っています。
つまり、三嶋龍神の「雨」を司る神格は大山祇神社境内の「宇迦神社」にみられ、三嶋龍神の滝宮神・滝神としての神格は「入日の滝」にあるとみられるのです。
そして、
大山祇神社境内には、
上津社:ご祭神 上津姫 雷神
下津社:ご祭神 下津姫 高籠神
が祀られています。
大山積神は二人の娘がおり、それが姉の磐長姫命と妹の木花開耶姫命であります。
瀬織津姫は大禍津日神の悪神と言われています。
この大禍津日神の代表が『祓戸の大神四神』であります。
『古事記』や『日本書紀』には直接登場しませんが、 神道の『大祓詞』には登場し、
瀬織津比売命(セオリツヒメノミコト )川の神滝の神
遠秋津姫尊(ハヤアキツヒメノミコト)海の神
気吹戸主尊(イブキドヌシノミコト)風(息吹)の神
速佐須良姫尊(ハヤサスラヒメノミコト)地底(霊界)の神
と書かれています。
一説には、瀬織津姫と木花開耶姫命と同神と言われる方もいますが、
瀬織津比売命=磐長姫命=上津姫
遠秋津姫尊=木花開耶姫命=下津神
姉の磐長姫命と妹の木花開耶姫命=瀬織津姫(瀬織の津姫達)
ではないかと思えるのです。
それはさておき、姉の磐長姫命と妹の木花開耶姫命の姫達が瀬織津姫と関係が深い事だけは間違いないようです。
いずれにしろ、瀬戸内海の海の民から絶大な支持を得ていたのは間違いないのです。
また、この大山祇神社は明治元年の神仏分離令以前、四国霊場八十八ヶ寺の第五十五番札所・月光山神宮寺とされていました。
月から連想すると、
大山祇神社は元々、月の女神が住んでいた土地のように思えます。
壱岐の月読神社では占いによって航海の案内しており、月の満ち欠けで潮の流れを読み、天候を予測していたようです。それは瀬織津姫や卑弥呼とまったく同じようなシャーマンの資質を持ち合わせております。
もしかすると、瀬織津姫は月読尊、あるいは、その娘達なのかもしれません。そして、瀬織津姫の子孫が卑弥呼達なのかもしれないのです。
そこで問題が起こってくるのです。
邪馬台国の卑弥呼は倭国の王の称号である金印を貰っていました。
これでは瀬織津姫が倭国の王のようでないでしょうか。
もちろん、瀬織津姫が倭国の王であった訳ではありません。仮に荒祭宮に祭られているのは天照坐皇大御神荒魂が瀬織津姫であったとしても、アマテラスの妻であって、アマテラス本人ではありません。
しかし、日本を統一した神功皇后(じんぐうこうごう)を卑弥呼と同一人物、あるいは、後継者の台与とする天皇家の思惑が覆い被さると無視できなくなります。
神功皇后は天照坐皇大御神荒魂、あるいは天照大神であって、その子である応神天皇も神の子であり、その孫の仁徳天皇も神の子孫である。
つまり、
× 天照大神(男神)の妻=木花咲耶姫=瀬織津姫=月読尊=卑弥呼
であってはいけない。
天皇家として、
○ 天照大神(女神)=卑弥呼=神功皇后
ではなくてはならない。
女神である天照大神に妻は必要なくなったのであります。
当然、瀬織津姫の名を隠したい王家は、勅命によって瀬織津姫の名を他の神の名に差し替えてゆきます。推古天皇2年(584年)に大山祇神社が創建され、瀬織津姫の名が消されました。
しかし、海の民にとって、海を支配し、天候を司る瀬織津姫に背いて航海に出るのは自殺行為であり、全国で瀬織津姫を神と仰ぐ信徒が各地の神社で崇拝し続けたのであります。
こうして、天皇家は1000年以上も瀬織津姫の名を隠蔽するという作業を永遠と続けているのです。
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