古事記・日本書記の謎《神話の真実を探す》 6. 日本の神話 天照大神と素戔嗚尊
倭国は3人の貴公子、アマテラス、ツクヨミ、スサノオに別けられました。スサノオはイザナミの国に行きたいとアマテラスを訪ねます。倭国の出入り口が九州のアマテルの支配地だったからです。スサノオがアマテルに下ったことで倭国の王はアマテラスとなりました。そこからアマテラスとスサノオの国造りがはじまったのでありました。
古事記・日本書記の謎《神話の真実を探す》
0. 神話は畿内からはじまり、邪馬台国は九州から
1.古事記・日本書紀のはじまり
2.邪馬台国の都がどこにあったのか?
3-1. 古事記・日本書紀の成り立ち 前半(出雲風土記に国譲りなどなく、阿波風土記に国譲りがある)
3-2. 古事記・日本書紀の成り立ち 後半(出雲風土記に国譲りなどなく、阿波風土記に国譲りがある)
4. 天孫降臨は2度あった
5. 日本の神話 国産み
6. 日本の神話 天照大神と素戔嗚尊
7. 日本の神話 大国主
5. 日本の神話 国産みに戻る
6. 日本の神話 天照大神と素戔嗚尊
アマテラスの拠点は筑紫の久留米平野でありました。奥地まで海岸線であった有明海はゆっくりと陸地が増して旧石器時代、縄文人、弥生時代と集落の場所が海の方へ延びてゆきます。それでも2200年前は随分と奥まで海が広がっていたことが判ります。
これは別に堆積物によって陸地が増えたのではなく、4500年前から海面がゆっくりと低くなっていっている為であります。海面がゆっくりと引くと、そこに川から流れてきた堆積物が沖まで流されなくなり、そこに留まって陸地が加速的に広がってゆくのです。
アマテラス・ツクヨミ・スサノオの三国時代は、紀元前473年以降でちょうど平野部が増えてゆく過程でありました。
<s-06-1 筑紫平野生成過程図>
〔筑紫平野生成過程図〕
【図1】「筑紫平野生成過程図」(久留米市史第一巻)。原典は九大教養部地質研究報告第4集(昭和三二
年)。
しかし、アマテラスの御世はそれほど安泰ではありませんでした。今から2200年前に由布山が噴火し、それに続いて九重連山がブルカノ式噴火の活動期に入ります。ブルカノ式噴火とは、比較的長期間活動を休止していて、火口が閉塞されている火山でマグマが活発化して、分離したガスの圧力が増大して、火口栓が飛ばされ、火山弾、火山岩塊、火山灰などが爆発的に放出されるような噴火のことです。
筑紫平野に暮らしていた人々は神の怒りに怖れ慄いたことでしょう。それはもう天地がひっくり返ったことでしょう。
<s-06-2 筑紫平野の情景>
さて、問題はそれだけに終わりません。この筑紫平野は筑紫山地と九州山地に囲まれたいわばお椀の中にあります。その南側の由布山や九重連山が噴火すると、火山灰が積もり平地の農作物をすべて駄目にしてしまいます。そして、雨が降れば、その火山灰は土石流となって筑紫平野に流れ込んでくるのです。もうとても人が住める土地ではありません。その時の大王であったニギハヤヒ(天照)はヤマトへの移住を考えた訳であります。
つまり、筑紫のアマテラスの御世は紀元前5世紀半ばから紀元前3世紀までと限定されたのであります。
一方、もう一人の主人公であるスサノオは、父の伊邪那岐に比べて革新的な人物であったことが判ります。アマテラスが反乱を起こすまでは倭国の王であった伊邪那岐はアマテラスに敗れて倭国の王を奪われます。スサノオは伊邪那岐から倭国の王の地位を譲られ、奪われた土地と権威を奪還する為に兵を起こし、筑紫のアマテラスから奪い返す為に兵を差し向けました。
古事記・日本書紀のどちらもアマテラスは武具を整え、魔除けの勾玉を沢山身に付けてスサノオを迎え討つ準備をしております。スサノオが手勢を連れて高天原にやって来て尼テラスと対峙したことは間違いありません。
スサノオは記紀に書かれているように初めから母の国に行きたいと思っていたのか、アマテラスの軍勢を見て、「これは勝てない」と悟って同盟を申し出たのかは知る由もありませんが、どちらであったとしても状況を判断できる冷静な知略を備えていた革新的な頭脳がなければ、戦いもせずに和議を申し出る行動になりません。
スサノオが高天原に滞在するようになると、田んぼに続く畔を壊して、田に引く水の溝を埋めてしまいます。それに対してアマテラスは罰を与えません。むしろ、田が広がったと良かったと褒めています。さらにスサノオは忌服屋という神聖な機織り小屋に皮を剥いだ馬を放り込み、織女を殺した古事記に書かれております。織姫と彦星、その下にペガサスが逆さに飾る天の星々の謂れを語っているギリシャ神話でも模しているのでしょうか。
紀元前5世紀から紀元前3世紀なら古代ローマ帝国の時代であり、紀元前15世紀と言われるギリシャ神話も確立しており、大陸を渡って伝承が流れてきた可能性も考えられます。
いずれにしろ、畿内の淡路島を中心とした倭国の中心はアマテラスの登場によって九州久留米周辺とする地域に変わりました。同時に高天原は、イザナミの母国である大陸を差す言葉から九州久留米周辺の言葉に変わっていったのであります。当然、葦原中国は淡路周辺のみを差す言葉になりました。
スサノオがアマテラスの下に降り、再び交易が自由になります。契約で土地を譲られたアマテラスの子たちは、その統治にスサノオの力を借ります。古事記の言う畔を壊すとは、スサノオが民を集めて新たに土地を開拓したことであり、神聖なハズの機織りなどの宮殿を新しくしたことを指します。
スサノオの協力で全国から物資と人が集まり、久留米当たりが目に見えて発展したことにアマテラスが非難する訳もゆかず、民の敬意が無冠の弟に集まることを苦々しく思ったことでしょう。
さて、ここで天の岩戸伝説には、二説あります。
1つは、日食を利用してアマテラスが岩戸にお隠れになった。
1つは、火山が噴火して太陽の日を遮った。
日食の観測は中華では夏の時代の義と和という二名の司天官が酒に酔って日食の予報を怠ったため処刑されたという有名な話が『書経』に記されており、紀元前6世紀頃であれば、ある程度の日食の予測ができます。あるいは偶然に噴火した火山の灰で太陽の光を遮ったとも考えられます。
アマテラスは「主は二人要らない」とか言って阿蘇の麓に隠居します。すると、日食、あるいは火山が爆発などの天変地異が起こり、人心は不安を覚えます。古事記では思金神をはじめ、天宇受売命まで多くの神々が登場し、実に比喩的に描かれております。
隠居したアマテラスを古参の神々が策略を巡らし、お帰り頂いたというのが話の全般となっております。ここで登場する尻久米縄(シリクメナワ)は、神社の鳥居などに掛かっているしめ縄であります。
しめ縄はアチラとコチラの境を示す結界であり、神々とそうで無いものを初めて分け隔てたのかもしれません。
いずれにしろ、帰ってきたアマテラスはスサノオの髪と爪を切って小綺麗にすると、旅立ちを祝って罰と称して追放したのであります。
古事記や日本書記では、スサノオの滞在がわずかな印象を持ちますが、実際はスサノオがアマテラスに降ってから10年近く掛けて畿内の民がスサノオの下に集ったと考えられ、スサノオが吐き出した汚物は、有明海(筑紫潟)を埋める土木作業のようなもので数年の事業ではありません。村が町、町から都市へと発展していった過程を、天の斑馬(シマウマのような珍しい馬)を逆剥ぎで神聖な忌服屋(織姫が働く神殿)を壊したと表現したのです。
一方、追放にスサノオが素直に従いました。正確には先代旧事本紀に書かれているように、スサノオを大陸に渡る許可を出し、スサノオは喜んで大陸に渡っていきました。その後で、スサノオを追放したと民に告げれば、体よく追い払ったと判ります。
さて、スサノオが海を渡った先は、イザナミの母国である呉ではなく燕であります。
漢書地理誌、王充が著した『論衡』(ろんこう)に
「周時天下太平 倭人來獻鬯草」(異虚篇第一八)
周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草を献ず
「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」(恢国篇第五八)
成王の時、越裳は雉を献じ、倭人は暢草を貢ず
「周時天下太平
越裳獻白雉 倭人貢鬯草 食白雉服鬯草 不能除凶」(儒増篇第二六)
周の時は天下太平、越裳は白雉を献じ、倭人は鬯草を貢す。白雉を食し鬯草を服用するも、凶を除くあたわず。
また、秦・漢時代の地理書『山海経』(せんがいきょう)に
「蓋國在鉅燕南
倭北 倭屬燕」(山海經 第十二 海内北經)
蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。
倭は燕に属す。
と、倭が燕に属していたという記述が見られます。
周(紀元前1046年頃 - 紀元前256年)の時代から秦の時代に至るまで、倭国は燕と国交が深かった為です。
スサノオが燕で目にした光景は、高度な文明で巨大な建造物と立派な宮殿、珍しい品と鉄の武具でした。しかし、その国では何千という兵が殺し合いをする凄まじい残虐な光景も目にしたのです。
敵の民をすべて滅殺するというのは大陸の文化であります。海の民はそんな残虐な真似をする部族はいません。なぜなら、海は危険が沢山あり、いつ遭難するか判りません。戦以外は相互互助が海の民には必要だったのです。つまり、戦士以外を殺すことはなかったのです。凄まじい虐殺にスサノオは目を背け、「もうこんな国は嫌だ」と帰ることを決意します。
先代旧事本紀では、新羅の曽尸茂梨(そしもり)から土の舟を作り、東に渡ったとあります。スサノオの時代が紀元前2世紀以前ですから、新羅も辰国も衛氏朝鮮も出来ておりません。ただ、曽尸茂梨は朝鮮半島の北東の位置にあります。スサノオが朝鮮半島の東側を経由して帰ったという印象を受けます。もちろん、スサノオが新羅との関係を深く印象付けたい為に書かれたのかもしれません。
いずれにしろ、スサノオと大陸の文化が結ばれて、その技術に支えられることによって倭国の王として返り咲くことになります。
愛媛の大山祇神社に鎮座する大山祇神は、『伊予国風土記』逸文に百済から渡来して津の国(摂津国)の御嶋に鎮座、のち伊予国に勧請されたとあります。百済から来た神とは誰を差すのか、想像の翼が広がってしまいます。
畿内に戻ったスサノオは丹生氏などの力を借りて畿内を大きく変えた形成期が見受けられます。大和出雲のヤマタノオロチ退治は川の氾濫であり、治水工事の技術がオロチ退治となります。洪水を防ぎ、稲から酒を造って神に奉納しました。治水工事こそ最新の知識なのです。
因みに、酒は『論衡』の記述に、成王(紀元前1000年頃)の時「倭人は鬯草(酒に浸して作製した薬草のこと)を貢す」と書かれており、ずいぶんと古くから酒が日本にあったと推測されます。
次に、淡路から須賀(アスカ)の地に拠点を移したのは、淡路より須賀の地の方が畿内を移動するのに便利だからです。スサノオの伝承を追うと、拠点を次々と移しているのが判ります。しかし、最初の拠点となった須賀の地が重要な意味を持ってきます。クシナダヒメと契り、子を成して、周辺部族を従えてからスサノオは国を広げてゆくことになります。
最初に訪れたのは、おそらく木の国(紀の国)です。
スサノオはクシナダヒメとの子である五十猛神(イソタケル)を伴っていることから、須賀から木の国に訪れたことが判ります。木の国では、新種の種や造船技術を伝え、まず丹生氏を擁護しました。あるいは丹生氏から接触してきたのかもしれません。
和歌山県北東部には、丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ)があり、丹生氏の拠点の1つであり、この神社の建立は空海が金剛峯寺を建立するにあたって高野山北西の天野盆地に丹生都比売神社が神領を寄進したと伝えられ、古くより高野山と深い関係にある神社であります。空海は讃岐忌部氏と関係が深く、空海、丹生、忌部の関係は非常に複雑です。それはまたいずれ話すとしまして、何故、木の国かと断言できるのかと言いますと、紀の川が奈良の交通の要所だからであります。
<1-49 紀の川河口からの航空写真>
〔紀の川河口からの航空写真〕(紀の川 万葉香の悠久の歴史と自然の川 国土交通省HPより)
口で言うより写真を見れば、一目瞭然であります。
飛鳥時代の物流はすべて紀ノ川を通じて行われておりました。須賀に拠点を置いたとするなら、蛇行する大和川よりもまっすぐな紀ノ川を通じて淡路と連絡を取る方が楽です。さらに吉野付近を制すると、十津川から熊野川に抜けて熊野に通じます。
熊野信仰の中心の1つである熊野速玉大社は、神倉社を経て阿須賀神社(あすかじんじゃ)に結神(熊野牟須美大神)・早玉神(熊野速玉大神)と家津御子神(熊野坐神)を祀ったとの記述が「熊野権現垂迹縁起」に見られます。
熊野牟須美大神=イザナミ
熊野権現=スサノオ
紀伊の人々がスサノオを深く信仰していたことが伺えます。
南の次は北の山城の国(京都)であります。
京都と言えば、『祇園祭の山鉾巡行』の八坂神社であります。スサノウは牛頭天王(ごずてんのう)として祭られ、蘇民将来など新羅と結び付ける逸話が多くあります。実際、先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)などでは、イザナミの国は辰国(後の新羅)ということになっておりますし、スサノオも高天原を追放された後に一度新羅に渡ってから倭国に戻って来ております。古事記・日本書紀の本文には書かれておりませんが、韓の国を強く意識しているのは間違いありません。また、日本書紀の別伝には書かれております。
しかし、ニギハヤヒが大和に移住するのが紀元前2世紀より、スサノオが活躍した時代は100年ほど前となります。朝鮮の辰国が秦の始皇帝の末裔であることより、
秦国=辰国
と名乗っている伝承から言えば、秦国が滅亡したのが紀元前206年であり、朝鮮半島にまだ辰国はできておりません。もしも、スサノオが大陸に渡っているとするなら、その国は辰国ではなく、燕や斉や越であります。
いずれにしろ、スサノオが大陸の武具や技術を取り入れ、丹生氏や忌部氏など大陸と繋がりのある部族を引き連れていました。
さらにその先は丹波であります。
『丹後風土記』によると、今日の大江町有路と千原の地名由来についておよそ次のとおりのべております。
その昔、日子坐王が、丹波国の青葉山(丹後と若狭を境いする)にいたクガ耳の御笠を征討したとき、匹女(ひきめ)という土クモの女酋を追討し、この蟻道の里の「血原」に追い詰め、これを殺害したところだと傳えている。今日の大江町有路(ありじ)と千原(せんばら)である。
さて、ここに出てくる『血原』ですが、大和にも「宇陀の血原」という名称がでてきます。伝承では、吉野入りした神武天皇に敵対する兄ウカシを裏切って、弟ウカシが神武天皇に付き、兄ウカシは自分の仕掛けた罠で悶死した。その死体を切り裂いて流れ出した血が、踝(くるぶし)までつかるほどあり、いつまでも消えないので「宇陀の血原」と呼んだと残されております。
宇陀に隣接する丹生谷には、朱砂含有の露頭した母岩があり、その流出した朱砂が堆積して眞赤に野を染めていたと思われるのです。
朱砂は辰砂(しんしゃ)の別名で水銀の原料であり、不透明な赤褐色の塊状、あるいは透明感のある深紅色の菱面体結晶であり、古より赤色(朱色)の顔料や漢方薬の原料として珍重されております。それは堆積して血原と表現されていました。
つまり、丹波国の青葉山の近くに水銀の鉱床があったのです。丹生氏が多くやってきて、丹波や丹後などと言う地名が使われるようになったかもしれません。
さて、日子坐王は『日本書紀』では「彦坐王」、『古事記』では「日子坐王」とされ、第9代開化天皇の第三皇子と言われます。丹生氏を丹波に連れてきたのが、スサノオなのか、日子坐王か、悩ましいところであります。
丹波には、古代民族が定住地を求めて移動した時に目印となった山が二つあると言われ、1つが三嶽はもと畑山(幡山)といい、もう1つが波賀尾山であります。目印としていたのが波賀尾山であるから、波賀が的(はが)の語源と云われています。
三嶽山の麓には天孫系の大和の神々(タカミムスビ、イザナギ、アマテラス。ニニギ)を祭る神社が取り囲み、波賀尾山の麓には出雲の神々(カミムスビ、イザナミ、スサノオ、オオナムチ、オオヤマクイノカミ)を祭る神社が多くあります。
つまり、福知山あたりが但馬と丹波の境界線であり、北にアマテラスを支持する民が住み、南にスサノオを支持する民が住んでいたようです。ただ、但馬でもスサノオは祭られております。
たとえば、但馬の八坂神社は雄略天皇の御世で祭られており、時代と信仰する神によって祭られる神が代わってきますから簡単に判別できません。スサノオとイソタケルを祭る神社は全国にあり、スサノオの御世でどこまで版図を広げたのか推測が難しいのであります。
たとえば、島根県大田市五十猛町にある韓神新羅神社(からかみしらぎじんじゃ)は、元々五十猛神社の境内社にあったのを移したとあります。名前からして新羅系の神様であります。このように嵐などを起こす荒神のスサノオを祭り、天候に恵まれ、豊漁であるように祈っているのです。
スサノオが自ら広げた所もスサノオ、スサノオの子孫が広げたのもスサノオ、スサノオのように強い男がスサノオを名乗る場合もあり、また、スサノオを信仰する民がスサノオを祭る場合、この石はスサノオさまが剣で切った跡に違いないと思い込みでスサノオを祭る場合、この石はスサノオさまがお座りになった霊源あらたかな石で、石の付近から涌く水には、スサノオさまの霊力が混じっておりますなどと商魂たくましく逸話を捏造する場合などなど、伝承そのものにどれだけの信憑性があるのかさえも判り兼ねますが、神話の中のスサノオ様は倭国の王で間違いありません。
しかし、それでは話になりませんので、視点を変えてみます。
京都府京丹後市の峰山町の扇谷遺跡、途中ヶ丘遺跡は弥生時代前期末(BC300年頃)に発展したと判ってきました。高地性大規模環濠集落ですが住居跡は見つかっておりません。環濠からは、「鉄」「玉」「ガラス」等が出土して、陶ケンとは中国源流の土笛も出土しております。板状鉄斧は、全長5.6㎝ 幅3.4cm、厚2.0㎝、重さ68gのもので、砂鉄系原料による鋳造品です。鉄製品導入期の希少なものです。それらは隣の七尾遺跡からは方形台状墓も見つかっております。山城、大和、播磨といった地方の土器と類似した土器も出土したことから、スサノオの一味が丹波・丹後まで進出したのではないかと思われます。
一方、扇谷遺跡は弥生時代中期中葉(BC200年頃)になると姿を消します。おそらく扇谷遺跡は、途中が丘遺跡を営んだ人たちと同じ部族で2つの集落の間を行き来しながら、先端技術工房を築いたと思われ、その技術工房を外敵から守るために、環濠を掘ったものと考えられております。弥生時代中期中葉(BC200年頃)以降、ニギハヤヒが大和に入り、スサノオとアマテラスが併合された為に防御の豪が必要なくなり、扇谷遺跡は消え、途中ヶ丘遺跡が繁栄するようになったと思われるのです。
<s-05-2 稲作伝播の版図>
〔稲作伝播の版図〕(Akazawa 1978,佐々木1986による)
さて、スサノオはどこまで北上したのでしょうか。突帯文土器の分布は、紀元前2世紀で越前・岐阜・三河のラインで止まっております。ここより先に北上した可能性は低いでしょう。そして、最終的にスサノオが鎮座したのはどこでしょう。
そこで参考にするのが銅鐸の分布であります。銅鐸は紀元前2世紀から2世紀まで広く分布し、3世紀になると消えてしまいます。時期的に言えば、ニギハヤヒが大和に移って来て広まり、神武天皇が大和を治める頃に消えて往きます。
ニギハヤヒの正式名称は天照国照彦天火明櫛玉饒速日命となっており、『天照』というアマテラスの天孫族であると同時に、その銅鐸が集中しているのが、『櫛』、『玉』というイザナギが持つ神器も所有していたことを連想させます。つまり、アマテラス、ツクヨミ、スサノオと三ツに別れた国を1つにした倭国の王と考えられるのです。
スサノオが最後に鎮座したのは、オオクニヌシの章で大屋毘古神(オオヤビコ神)は
「須佐之男命(スサノオ命)の居る根の堅州国に行きなさい。
」
と言ってオオクニヌシをスサノオのいる国に行くように進めおります。
銅鐸の分布を見れば、畿内にニギハヤヒが移住していますから、スサノオの末裔はその周辺ということになります。そう考えると『根の堅州国』は、阿波・播磨・近江・尾張の国が候補として上がります。
主観的に考えれば、琵琶湖の東側の近江盆地は湖岸の湿地帯の周りはハンの木やコナラを中心として豊かな照葉樹林が広がり、食料も豊富で肥沃的な土地が広がっておりました。壬申の乱の折りも、近江と尾張の衆をどちらが味方にするかで大勢に大きな影響を与えます。
しかも近江には多賀大社があります。多賀大社の主祭神に伊邪那岐命、伊邪那美命、
摂社(境内社)の延喜式内社の日向神社は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、同じ摂社の山田神社は猿田彦大神を祀っております。
遣隋使・遣唐使で派遣された犬上御田鍬(いぬがみのみたすく)を輩出した犬神族の土地であり、「故、其伊邪那岐大神者、坐淡海之多賀也。」と古事記には書かれていることにより、西暦712年には多賀社が実在したということになります。有力な候補地の1つです。
<s-06-3 銅剣・銅戈・銅戈文化圏VS銅鐸文化圏>
〔銅剣・銅戈・銅戈文化圏VS銅鐸文化圏〕(井上光貞著「日本の歴史1 神話から歴史へ」より)
そして、もう1つが熱田大社のある尾張であります。ここからも出土数が多くでております。
そして、銅鐸の候補地から外れますが、淡路から冬至のレイラインであり、日が沈む方角という意味で島根の出雲が『根の堅州国』の可能性が残されております。
国譲りで大和の出雲を追いだれたオオクニヌシが、流れ流れ付いたのが、スサノオがいる島根の出雲であったという可能性は非常に高く。
須賀族も一緒に伴って定住したと考えれば、大和の須賀から追い出された須賀氏が、大和の須賀に戻って、「我、蘇り」と蘇我を名乗った理由もはっきりとします。
ここもまた、有力な候補地であります。
いずれにしろ、スサノオは畿内を中心に同盟部族を増やし、アマテラスの国から見れば、由々しき国力を持つ国となっていったのであります。
■天照大神と素戔嗚尊
国を3国に分けて分轄統治することになりましたが、スサノオだけは泣き喚いて統治しようとしません。あまり泣け叫ぶので緑の山は枯れ、河・海が干し上がるほどの干ばつや夏のハエのような辺り一面の悪霊が沸く疫病がはやり、国は大いに乱れます。イザナギはスサノオに聞きました。
「おまえは何をしたいのだ」
すると、スサノオは答えます。
「亡き母の国である『根の国』に行きたい」
イザナギは怒り、スサノオを国から追い出してしまいます。スサノオは仲間と連れ立ってアマテラスの国に向かいます。そして、アマテラスに頼んで根の国に行けるようにして貰うつもりでした。
しかし、アマテラスはスサノオが攻めてきたと思い、鎧を付け、守りの勾玉を多く飾って弓を引いて出迎えます。
「何しに来た」
スサノオは素直に答えました。
「ならば、あなたの心が清く正しいことをどう証明するか」
「誓約をして子供を作りましょう」
スサノオがアマテラスに十拳の剣を差し出して敵意のないことを示します。そして、多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)、次に市寸嶋比売命(イチキシマヒメノミコト)、さらに多岐都比売命(タキツヒメノミコト)の三人の娘を人質という養女として差し出します。
そこに応えて、アマテラスは左右の角髪(みずら)を外してスサノオに与え、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)、天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)を養子として与えます。続いてスサノオと共について行く者として、天津日子根命(アマツヒコネノミコト)、活津日子根命(イクツヒコネノミコト)、熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)も養子として与えました。今でいう目付のようなモノです。そして、アマテラスは言います。
「後から生まれた五柱はわたしの持ち物から生まれたわたしの子です。先に生まれた三柱はあなたの物から生まれたあなたの子です」
と、生まれた神を別けました。
誓約が無事に終わるとスサノオは無邪気に喜びました。スサノオの子は心が清らかなのでか弱い女の子が生まれました。そういう意味でスサノオの心の清さが証明され、両手を上げて「自分が勝った。勝った」と騒ぎます。騒いでいると、体が大きな壁にぶつかりました。
「これはなんだ」
「これは堤防で御座います。そこから水を取って田畑に流しているのです。丈夫に作っておりますから、誰かが当ったくらいでは壊れません」
スサノオは「そうか」というと、思いっきり体を堤防にぶつけます。
すると、堤防にヒビが入り、そこから水が決壊し、田や畑、大嘗(=収穫祭)を行う神殿も水と泥に流されて大無しになってしまいます。
「なんだ。大したことないではないか、は、は、は」
スサノオは決壊した堤防を見ながら無邪気に笑いました。周りの者はアマテラスがどういうのか、息を潜めて待っています。
「あのように泥まみれになりましたが、悪意がある訳ではありません。泥が溝を埋めてしまいましたが、田を広げるのに丁度よいでしょう」
アマテラスは悪い言葉をスサノオに吐かず、困難を糧により良いものにしていくのがあなたたちの努力でしょうと、悪いものを良いものに変えてゆくという「言霊信仰」を説きました。
しかし、スサノオの好奇心は止まりません。
ある時、忌服屋という機織りの家にゆくと、女たちが数人で機織りをやっております。スサノオは興味津々でそれを教わります。そこでスサノオはお礼に珍しい天の斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕し入れました。珍しい衣服に女たちは大切な機織りの仕事を止めてしまいます。スサノオに一突きされた女たちはアマテラスの忠誠を忘れ、スサノオに下ってしまいました。
このような恐ろし所行にアマテラスは自ら天の岩屋戸を開き、勅命を持って母里に移られてしまったのであります。するとどうでしょう。高天原が暗くなり、葦原中国もことごとく暗闇に包まれ、朝の来ない夜となってしまったのであります。是に万の神の声が陰暦五月頃の群がり騒ぐ蠅のように沸き立ち、よろずの物の妖が現れたような災害に見舞われたのであります。
これに困った神々は天安の河原に集まり、高御産巣日神の子、思金神に相談したのです。長鳴鳥(ナガナキドリ)を集めて泣かせ、天安河の上流の天の堅石と天の金山の鉄を材料に、鍛冶屋の天津麻羅と伊斯許理度売命に鏡を作らせます。玉祖命に勾玉を連ねた玉緒を作らせ、天児屋命と布刀玉命を呼び、天の香具山の鹿の骨を抜き取って桜の木で占いをさせました。そして、天の香具山のサカキの木を一本抜いてきて、上に玉緒を、中段に八咫鏡を、下段には白い布と青の布を垂らします。その飾ったサカキを布刀玉命が持ち、天児屋命が祝詞を唱え、天手力男神が岩戸のそばに隠れて立ち、天宇受売命が日陰蔓をたすきがけにし、マサキカズラを髪に飾り、手に笹の葉を束ねて持ち、桶を伏せてその上に立って踏みならしました。神懸かりを為して、乳房を晒し、着物の帯を陰部まで押し下げます。神々はどっと湧きました。
アマテラスは何事かと思い、天戸を開いて覗き見ました。
「吾がいなくなり、世界は暗闇に包まれているのに、天宇受売は踊り、八百万の神は笑っているのかとお尋ねになります」
天宇受売は答えました。
「あなた様より貴き神がお座りになったので、喜びに湧き、踊っているのです」
アマテラスは天戸から顔を出して覗き出しました。布刀玉命はそこに鏡を差し出すと光輝く神が映っているのです。おどろいて乗り出したアマテラスを天手力男神が手を取って引き出し、布刀玉命が尻久米縄をアマテラスの後ろに掛けて戻れなくします。アマテラスを高天原にお戻り頂くことができて、世界に光が満ち、思金神一同、八百万の神が胸をなで下ろしたのであります。
さて、アマテラスがお隠れになった原因のスサノオに何ら沙汰しないとはいきません。髪を整えさせ、髭を切り、爪を抜いて、身なりを整えると、スサノオが願っていた母の国へ神の遣いとして遣わすと命じます。スサノオは喜んで根の国を目指します。
(スサノオは根の国のすばらしい宮殿や進んだ文化に心を躍らせます。しかし、恐ろしい殺戮を繰り返す国に嫌気が差して戻ることに決めました。その国の民はスサノオを慕って付いてきます。東から海を渡って戻ろうとしますが、高天原は入れてくれません。スサノオは自分が追放されたことに気づきます。そこで機織り巫女、アマテラスの妹であったツキヨミを訪ねます。ツキヨミはスサノオと禁を犯した罪で伊予の大山津見神に嫁つがされていたのです。伊予で一息ついたスサノオは淡路に戻ることを決めました。スサノオに付き従った幾人かはこのまま伊予に留まります。淡路に戻ったスサノオを大気津比売神が迎えてくれたのです。)
大気津比売神は鼻や口、および尻から食べ物を取り出すとスサノオに差し出します。それを見たスサノオは、
「汚い物を出しやがって」
と怒って、斬り殺しました。
スサノオが殺した大気津比売神が治めた阿波の頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれ、実り深い国へと変わってゆきます。しかし、スサノオはそれで満足できません。
スサノオは東に進み、河内湖を遡ると三ッ島がありました。その島にかの地から着いて来た者に与えると、さらに東に進みます。
山を越えると、大きな大きな海(奈良湖)が広がっていました。その地は出雲といい、肥河の上流の鳥髪というところにやってきました。河から箸が流れてきたので、人がいると思い河を上ってゆくと、アシナヅチ・テナヅチのお爺さんとお婆さんが泣いていたのです。そして、二人の間に童女がいたのです。
スサノオは、「汝等は誰ぞ」と問うと、老父は「国津神の大山津見神の子で、 足名椎といいます」と答えます。妻は手名椎、娘の名は櫛名田比売と紹介します。スサノオが泣いている理由を聞くと、河の龍神である八俣の遠呂智が暴れ、娘を生け贄として差し出し、遂に櫛名田比売のみなってしまったと嘆いていたのです。
八俣の遠呂智の目は赤加賀智のように赤くて、体がひとつで、頭が八つ、尻尾が八つ、体には、日陰かずらやヒノキや杉が生えていて、八つの谷と八つの峰に及んでおり、腹は赤い血が爛れているといいます。
スサノオは娘を私に献上するなら何とかしてやろうといいます。しかし、老夫婦はスサノオの名も知りません。
スサノオは名乗りました。
「私は天照大御神の伊呂勢なり、 今、高天原より降り立ちました」
すると、足名椎手名椎は娘を献上しましょうといいます。スサノオは八つの八塩折の酒を造らせて奉納して玉鎮めを行います。そして、かの地の民達を呼び寄せ、河に石を投げて流れを変え、河幅を広げて流れ穏やかにし、土手を作って村を守りました。
玉鎮めのおかげでしょうか。八俣の遠呂智は中々目を覚ましません。しかし、遂に暗雲が立ち込める雨雲がやって来て、目を開けられぬほどの豪雨となり、肥河が血で染まり、流れてきました。スサノオは豪雨の中で十拳剣を抜いて天にかざします。
するとどうでしょう。
天は二つに裂け、蒼天の空から日差しが漏れだしたのであります。スサノオはかの地から持ち帰った都牟刈の大刀を持って来させて、十拳剣で切りつけます。しかし、都牟刈の大刀はびくともせず、十拳剣の方が欠けてしまいました。
「この大刀は八俣の遠呂智の尾から現れた。この大刀を天照大御神に奉じましょう。さすれば、この地に安寧を約束してくれるでしょう」
そう言って都牟刈の大刀をアマテラスに届けさせ、スサノオが下って来たことをアマテラスも喜んでその地の安寧を約束してくれたのです。
さて、これより後に足名椎との約束で出雲国に土地を貰う為に国中を歩いていると、天がどこまでも高い土地に辿りつき、スサノオは空を見上げて声を上げました。
「吾、この地に来て、我が御心があぁ~清々しいな」
スサノオがそう言ったのでの、この地を『阿須賀』と呼ばれるようになったそうです。今でもさらに清らかになり、『アスカ』と呼ばれております。
スサノオは訪ねます。
「この地はどういった土地であるか」
すると、土地の者が申しました。
「昔、イザナギの神が根の国の邪気をそこの海の水で払ったと伝えられております」
「おぉ、そうか」
この清々しい空、清らかな海の水なら然もありなんとスサノオは納得し、この地に宮殿を造ることに決めました。そして、宮殿を造りはじめると、雲が立ち上がり、スサノオはこの雲を眺めながら歌いました。
「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」
その後、アシナヅチを呼んで宮殿の責任者にすると、稲田の宮主の須賀之八耳神と名づけたそうです。
こうして、スサノオの国造りがはじまったのであります。
【参考資料】
但馬の八坂神社(豊岡市竹野町奥須井)
由緒には、
人皇21代雄略天皇17年(473)春4月 出雲国土師連ハジノムラジの祖・吾笥アケの部属ミヤツコ、阿故氏人等部属を率いて、阿故谷*1に来たり、清器スエキを作る。阿故は赤土なり。
よって埴ハニを延ばすことを名づけて、蕩ヒクと云う。ゆえにその場所を蕩森ヒクノモリとも云う。(蕩は止呂呂久トロログと云うべし。のち単に蕩と云い、また森とも云う。故に阿故を置く谷を蕩と云う) (式内阿古谷神社・森神社 豊岡市竹野町轟)
五十猛神社
御祭神:五十猛命 應神天皇
配祀:抓津姫神 大屋姫神
合祀 式内社 石見國迩摩郡
國分寺霹靂神社
霹靂神社 別雷神
玉依姫命
島根県大田市五十猛町2348
祭神は素盞嗚尊の御子神・五十猛命。
父神とともに新羅へ天降り、
新羅より埴舟に乗って我国へ帰り来たった神。
その帰路、磯竹村(現五十猛町)の内大浦の灘にある
神島に舟上がり、
父神・素盞嗚尊は大浦港(韓神新羅神社)に、
五十猛命・抓津姫神・大屋姫神の兄妹神らは
今の宮山(当社)に鎮まり給うたという。
韓神新羅神社(からかみしらぎじんじゃ)
祭神:スサノオおよび韓郷山
島根県大田市五十猛町
元々五十猛神社の境内社で、大浦で漁師が増えた事から、大漁と航海安全祈願の為、明治40年(1907年)から2年かけて本殿を大浦に移し、明治43年に拝殿が建てられました。地元では通称「大浦神社」、「明神さん」と呼ばれています。
石見風土記によると延長3年(925年)に創立されました。(五十猛村誌より)
天照大御神(アマテラスオオミカミ)の弟であり、高天原から新羅の国へ天下り、のちに御子、三兄妹(五十猛命(イタケルノミコト、大屋津姫命(オオヤヒメノミコト)、抓津姫命(ツマツヒメノミコト))を連れて五十猛町の神島(カミシマ)に上陸され、出雲の国で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治したという神話が五十猛町に伝えられています。
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投稿: StevenBix | 2021年11月 2日 (火) 02時24分