2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ

« 経済から見る歴史学 日本編 01-2 倭人は海を渡る。 | トップページ | 経済から見る歴史学 日本編 01-4 古代先進国の倭国 »

経済から見る歴史学 日本編 01-3 稲作の伝来?

経済から見る歴史学 日本編 古代の通貨って、何? 3章「稲作の伝来?」
>2章へ戻る 倭人は海を渡る。
>4章へ進む 古代先進国の倭国

3.稲作の伝来?
近年、弥生人が稲作を伝来したという定説が間違っていたことが判ってきました。縄文人は狩人の生活を中心にしながら、イノシシ、シカ、タヌキ、ニホンザル、イヌ、クジラ、イルカ、キジ、マガモ、モズ、ツグミという肉食から魚類、堅果類(クリ・クルミ・トチなど)、エゴマやヒョウタン、ゴボウ、マメといった一年草の栽培種まで食べていました。そして、米も食していたのです。
中国の稲作は7000年から8000年前に中国南方にて起こり、全国へと広がっています。この中国南方は日本と交流、あるいは縄文人の祖先の1つであります。そして、何より4000年前には倭人の交流圏に稲作が伝来していました。
114_dna
〔稲作の起源〕(佐藤洋一郎著『DNAが語る稲作文明』より)
中国の長江の中・下流域を起源とするイネで、1973年には、長江下流の南、余姚(よよう)県河姆渡(かぼと)遺跡から約7,000年前のイネの籾が出土しており、陸稲と呼ばれている温帯ジャポニカが見つかっております。我が国でも、岡山県の灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から陸稲の植物珪酸体(プラントオパール)が大量に見つかっています。つまり、縄文人は稲作を知っていたのです。
そして、弥生人によって齎されたのは、灌漑式の水田で栽培される水稲系の温帯ジャポニカと言う訳です。ただ、青森県・高樋Ⅲ遺跡から出土した炭化米のDNA鑑定によれば、熱帯ジャポニカに特徴的な「7C6A」という配列を示しており、他にも下の郷遺跡(滋賀県守山市)・唐古鍵遺跡(奈良県田原本町)・池上曽根遺跡(大阪府泉大津市)・菜畑遺跡(佐賀県唐津市)・妻木晩田遺跡(鳥取県淀江町)・登呂遺跡(静岡県静岡市)等々と、弥生人は日本各地で熱帯ジャポニカを水田で栽培していたと思われるのです。
さて、水田の稲作文化を持って渡来した弥生人と先住民の縄文人が争った記録はありませんが、その片鱗を思わせるのが古事記・日本書紀における伝承でしょう。出雲にやって来たスサノオノミコトは、アシナヅチ・テナヅチ夫婦神の娘であるクシナダヒメを助ける為にヤマタノオロチ退治を行います。これは先住民と渡来人が友好関係を持ちながら定住したという隠語のように思えます。しかし、そういった渡来系の文化を拒絶した縄文人もいました。
115
〔紀元前10~4世紀頃の稲作文化と縄文人〕(NHK特集古代史ミステリー「“御柱”~最後の“縄文王国”の謎~)
渡来人は様々な技術を持ち、彼らと友好を結ぶことで収穫が向上し、生活が楽になるという利点が渡来人を受け入れた大きな要因でしょう。しかし、渡来人の来訪はそんな喜ばしいことばかりではなかったことが記紀に記させれています。
高天原を追放されたスサノオは、母イザナミの故郷である朝鮮北東部に赴いた後に出雲に渡ります。そこでアシナヅチとテナヅチの娘クシナダヒメの為に八岐大蛇と戦い、これを倒して、この地を治めます。
さらにスサノオの子供は
ニギハヤヒノミコト(スサノヲの子):奈良県「大神(おおみわ)神社」
オオヤツヒコノミコト(スサノヲの子):新潟県「弥彦(やひこ)神社」
ウマシマヂノミコト(スサノヲの孫):島根県「物部(もののべ)神社」
と各地に勢力を伸ばします。(ここには色々な異説もあります)
時が流れ、スサノオの子供であるオオクニヌシが出雲を治める時代になると、高天原から派遣されたタケミカヅチ(建御雷神=鹿島神宮の祭神で中臣氏の祖神)がオオクニヌシに国譲りを要求します。オオクニヌシはタケミナカタと勝負をして勝ったなら国を譲ると約束し、タケミカヅチはタケミナカタを負かし、国譲りを完了します。
一方、負けたタケミナカタは諏訪に逃げのびます。諏訪に来たタケミナカタは諏訪の神『モレヤ』と戦い、モレヤ(洩矢神)を従えて、この地を治め、タケミナカタは諏訪の神になります
なぜ諏訪だったのでしょうか?
諏訪大社上社の摂社に足長神社がありあます。また、諏訪市下桑原に鎮座する手長神社もあり、祭神に出雲系の足摩乳命(あしなづちのみこと)を祀っており、クシナダヒメの両親を祀っている神社であります。
高天原に命じられて諏訪を襲ったのかもしれませんし、高天原に対抗する為に勢力拡大したのかもしれません。いずれにしろ、高天原の天孫達が来襲することによって、日本は戦乱の渦に巻き込まれたのです。
116s
〔縄文人から弥生人、そして、伝説の国譲り〕(NHK特集古代史ミステリー「“御柱”~最後の“縄文王国”の謎~)など
1万6000年前から3000年前、つまり、紀元前10世紀までは縄文人は比較的穏やかに暮らしておりました。ところが紀元前10世紀になり、青銅や鉄といった便利な道具と一緒に入ってきた弥生人は、縄文人と同化して溶け込みます。しかし、日本列島に稲作を伝来したのではなく、戦乱の火種を伝来したのが弥生文化なのです。

第1幕 <縄文・弥生時代>古代の通貨って、何?
1章 日本人がどこから来たのか?
2章 倭人は海を渡る。
3章 稲作の伝来?
4章 古代先進国の倭国
5章 邪馬台国って、どこにあるの?
6章 大型の帆船
7章 神武の東征(前篇)
8章 神武の東征(中篇)
9章 神武の東征(後篇)
10章 朝鮮三国情勢と倭国
10章―1 高句麗(こうくり)
10章―2 百済(くだら)
10章―3 新羅(しらぎ)
10章―4 古代朝鮮三国の年表
11章 邪馬台国の滅亡とヤマト王朝の繁栄
12章 古代の通貨って、何?

« 経済から見る歴史学 日本編 01-2 倭人は海を渡る。 | トップページ | 経済から見る歴史学 日本編 01-4 古代先進国の倭国 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/465045/67671690

この記事へのトラックバック一覧です: 経済から見る歴史学 日本編 01-3 稲作の伝来?:

« 経済から見る歴史学 日本編 01-2 倭人は海を渡る。 | トップページ | 経済から見る歴史学 日本編 01-4 古代先進国の倭国 »