経済から見る歴史学 日本編 01-1 日本人がどこから来たのか?
経済から見る歴史学 日本編 01 古代の通貨って、何?
古代縄文人の通貨は翡翠やめずらしい貝殻、天然アスファルト、どんぐりなどの保存食などなどと多彩な特産品でありました。北は北海道から南は沖縄まで流通網が整備されており、沖縄や九州でしか取れないめずらしい貝殻が北海道の遺跡から出没し、逆に北海道より北の大陸から輸入された天然のアスファルトが山口の遺跡から出土しています。
弥生時代には統一した通貨を広めようとした者もいましたが、西日本の一部しか広まらず、縄文人・弥生人は日本全国に広がる流通網を完備しながら統一された国家も通貨も作ろうとしなかったのです。通貨というモノが国家の裏付けとして存在しうるものであることが、縄文・弥生時代から伺えるのです。1章から11章まで古代日本の情勢を説明し、12章で古代通貨の意味を語りたいと思います。
第1幕 <縄文・弥生時代>古代の通貨って、何?
1章 日本人がどこから来たのか?
2章 倭人は海を渡る。
3章 稲作の伝来?
4章 古代先進国の倭国
5章 邪馬台国って、どこにあるの?
6章 大型の帆船
7章 神武の東征(前篇)
8章 神武の東征(中篇)
9章 神武の東征(後篇)
10章 朝鮮三国情勢と倭国
10章―1 高句麗(こうくり)
10章―2 百済(くだら)
10章―3 新羅(しらぎ)
10章―4 古代朝鮮三国の年表
11章 邪馬台国の滅亡とヤマト王朝の繁栄
12章 古代の通貨って、何?
1.日本人がどこから来たのか?
DNA鑑定からある程度のことが判ってきた。今から百万年ほど前に、「原人」がアフリカから出てユーラシア大陸に広がり、中央アジアで別れて日本に入ってきた。
〔新人(ホモ・サピエンス)の世界進出〕(国立科学博物館「日本人はるかな旅展」から)
DNA鑑定では縄文時代のDNAとアイヌ民族のDNAが類似していることから、アイヌは日本の先住民であるという国会決議までできている。
さらに最近はミトコンドリアのDNAから母系の祖母が誰かという調査ができるようになった。このミトコンドリアのDNAは変異が起こり易く、同じ変異を持っているのが同族であり、その変異のあるなしで、どこで分岐したかが判るというものだ。
〔ミトコンドリアの変異〕(Mitochondrial Genome Variation and Evolutionary History of Australian and New Guinean Aboriginesより)
これを図に直すと、こんな感じに分かれている。
〔アジアへの変異図〕 (ミトコンドリDNAのハプログループでたどる日本人のルーツより)
こうして別れたミトコンドリのDNAを見れば、日本人のルーツも判り易いと誰もが思った。しかし、遺跡から出てきたDNAから見られた分布は思いもよらないものでありました。
〔縄文人の持つハプログループ〕 (日本人になった祖先たち 篠田謙一NHKブックス2007年より)
4割を占めるDタイプは、東アジアに分布するD4、D5、D6であり、中国東北地方から朝鮮半島に広がっています。3万5000年以上前に誕生して氷河期から温暖化するに付けて南回りでインドから東アジアを北上し、約1万年前に日本に入ってきたと思われます。現代の日本人では、D系より後から日本にやって来たO系の方が多く分布しております。
一方、朝鮮半島ではD系はほとんど見られません。この事からD系の縄文人がO系の弥生人と混じっていった経緯が伺われます。因みにアイヌ系はD系の分布が大きくなっています。
〔ハプログループの分布〕
〔東アジアのハプログループの分布〕
現代のDNA分布と縄文人のDNAが異なっているのがよく判りますね。
次に多いBタイプは、特定部位のDNA配列に9つの欠損があり、約4万年前に中国南部で誕生し、中国南部から東南アジアに分布しています。また、南米の山岳地域や南太平洋、ハワイなどに多くみられます。南太平洋には約6000年ほど前に東南アジアから海洋に進出したと思われます。Bの分布地区には刺青文化が多く、縄文人も小柄で刺青をしていました。アイヌ人も刺青文化を持っています。逆に弥生人に刺青文化がないことは判っています。
Mタイプは氷河期に黄海から東シナ海にかけて存在していた陸地、スンダランドで4万年以上前に誕生し、日本、中国南部、フィリピンやインドネシアに多く存在します。その他にもAタイプは中央アジアから北アジアの少数派です。Gタイプは北方に限られています。Fタイプは4万年以上前に東南アジアに誕生しましたが、環太平洋に展開していません。Nタイプは中国南部や台湾の先住民に見られ、北から日本に入ってきたようです。
これらの事で判るのは縄文時代であっても、様々な人種が日本に来訪し、定住、あるいは通過していったという事実です。そして、Oタイプの弥生人が日本に入ってくることになります。
なぜ、世界中でこんなダイナミック民族移動が行われていたのでしょうか?
それは何万年という時間の中に答えがあります。
〔南極のコアから見た気象変動〕(地球と気象・地震を考える 縄文に学ぶ自然の摂理より)
この15万年の間でも地球の南極の気候は6度も変化しております。これは地球が駒のように重心が回っている為に起こるのです。
〔地球の地軸のずれが気候変動を起こす〕
地球は公転面に対して23.4度傾いていますが、約2万6千年を掛けて回転しています。ですから、夜空に見える北極星はこぐま座α星のポラリスですが、紀元前3000年頃のエジプト王朝ではりゅう座のα星(ツバン)を北極星でした。そして、紀元前12000年頃には七夕の織り姫星であること座のα星(ベガ)が、紀元前 17000年ころには、はくちょう座のα星(デネブ)が天の北極の近くなります。地軸が公転面に深くなると緯度の高い所でも夏は日照時間が長くなり、植物などの生育はよくなります。アイスランドより緯度の高いグリーンランドは、西暦1000年頃に発見されて移住しております。西暦1000年頃は中世の温暖期に当たり、グリーンランドには緑の草原が広がっていたのです。つまり、地軸の傾きの大きい時期ほど、高い緯度で温暖化が活発になるのです。
さらに地球は太陽の回りを公転しています。しかも楕円形で移動しているのです。この公転周期が約10万年と言われます。
〔地球の公転軌道〕(NHK 地球の公転と氷期の関係)
延びている時期が氷期でありますが、10万年周期と聞いて地球は1年で太陽を一周しているのに不思議な感じがしますね。地球が1年で回る公転もわずかに扁平な楕円軌道を描いております。近点では自転が速くなり1日が長くなり、遠点では自転が遅くなり1日が短くなってしまいます。そして、毎年ほんの少しずつ5万年掛けて太陽に近づき、5万年掛けて遠ざかって行くのです。私達の地球は10万周で1回転するスピログラフのような楕円の中にいるのです。
さらに、太陽活動の周期や太陽が銀河系を公転する宇宙の宇宙線の変化、月の軌道、彗星、地震における自転の変化、火山活動、隕石等々と地球の環境を変える要素が沢山あり、地球は氷河期と温暖期を何度も繰り返しているのです。
氷河期になると緯度の高い地域は木の実などの食糧が乏しくなり、もしかすると海も凍ります。その厳しい環境に適応して住み続ける部族もいますが、ほとんどが死に絶えるか、食糧が豊富な南方に移動をします。そして、温暖期になると食糧が豊富になり、人口増加から各地に民族移動が起こります。当然、人が住まない北方にもです。
こうして、氷河期と温暖期に人類は何度も民族移動を繰り返しているのです。それ故に縄文人のDNAを調べても様々な地域のDNAが含まれているのです。
旧先住民が住む日本に中国東北地方から朝鮮半島の東南から海を渡ってDタイプの民族が渡来して縄文人が生まれます。そして、2400年前頃にO1b2タイプの弥生人が稲作文化を持って日本に渡来して日本人の原型が完成します。
ハプログループもOタイプは、東南アジアで1万7500年から1万7000年頃の生まれ、8100年前に北上を開始します。ここからO1、O2、O3の3つのタイプに分かれます。台湾など南琉球にO2が多くみられ、漢民族の華北にO3が多くみられることより、日本に渡来した弥生人は台湾・沖縄・九州と海伝いに渡来したグループと華北・遼東・朝鮮半島を経由して渡来したグループに分かれることが判ります。
いずれにしろ、北方から渡来したと思われるCタイプとNタイプ、先に南から先住したとDタイプ、最後に渡来したOタイプと様々な祖先が日本列島で混在し、現在の日本人を作っているのです。
第1幕 <縄文・弥生時代>古代の通貨って、何?
1章 日本人がどこから来たのか?
2章 倭人は海を渡る。
3章 稲作の伝来?
4章 古代先進国の倭国
5章 邪馬台国って、どこにあるの?
6章 大型の帆船
7章 神武の東征(前篇)
8章 神武の東征(中篇)
9章 神武の東征(後篇)
10章 朝鮮三国情勢と倭国
10章―1 高句麗(こうくり)
10章―2 百済(くだら)
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10章―4 古代朝鮮三国の年表
11章 邪馬台国の滅亡とヤマト王朝の繁栄
12章 古代の通貨って、何?
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初歩的な間違いをされています。
>地軸が公転面に深くなると緯度の高い所でも夏は日照時間が長くなり、植物などの生育はよく
歳差運動をしても、公転面に対する地軸の傾きは23度27分で一定です。
ゆえに、歳差運動によって、日照時間が延びることはありえません。
投稿: とおりすがり | 2016年11月 3日 (木) 19時09分
とおりすがりさん、ご指摘ありがとうございます。
確かに、誤解が生まれる文章でありました。
公転面に対する地軸の傾きは、ほぼ23度27分です。(完全に一定ではありません)
しかし、地球の公転周期は円ではなく、楕円の為に地球の軌道が楕円であるために起こる黄経移動量の変化があると言いたかった訳です。
たしか、最大で15分くらいの日照量の違いがあったと思います。
地球の公転周期で365.2564日で、1太陽年より0.0142日(0.00003888年)長い為に、この差を「歳差(precession)」と言い約26000年で一周します。
現在、近日点は冬至、遠日点は夏至を過ぎた当たりですから、1000年前は夏が長かっただろうから、もう少し夏は温かっただろうという推測に過ぎません。
さらに地球軌道の離心率と地軸の傾きが加わっていたのかもしれないというものです。(こっちは余り関係ないと思っています)
詳しいことは、『ミランコビッチ・サイクル』と呼ばれ、約10万年をかけて横に伸びた楕円が円に近い楕円となり、そしてまた横に伸びた楕円となっているというややこしい話になってゆきます。
それによれば、
地球の地軸の傾きは約21.5度から24.5度の間の間を定期的に変化しており、その周期は4.1万年である。
その中でも影響の大きい木星に関している周期は、
地球軌道の離心率の変化(主に木星の重力の影響による)周期10万年
地軸の傾きが23度27分でないという理由の
地軸の傾き(主に太陽と月の影響による)周期4万1千年
ご存じ、コマ振り周期の
地軸の歳差運動(コマの首フリ)周期2万6千年
最初にすべて説明していましたが、主題と外れているばかりか、難しい話でうまく説明できないので割愛しました。
いずれにしろ、地球の緯度が変化して温暖化したような誤解が生まれる流れになっている事と、公転周期が10万年というところの説明がないのが不味かったと反省しております。
投稿: donnat311 | 2016年12月 8日 (木) 20時15分