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上念司 経済で読み解く明治維新の概略5

概略1:第1部 江戸時代の経済、第1章「農民の価値観を疑え、貧農史観を捨てよ」 

 

概略2:第1部 江戸時代の経済、第2章「江戸幕府の慢性的な財政難」 

 

概略3:第2部 大名と百姓 

 

概略4:第3部 江戸幕府の滅亡 

 

概略5:まとめ

 

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私が私淑する安岡正篤先生は『続経世瑣言』で、史とはこう申しております。

「吾等如何に生き来ったという生活の記録であり、畢竟如何に生き来ったかという事の裡より如何に生くべきかの理法を明らかにするもの」

つまり、人の記録であり、人のいきざまであり、人生をどう決断してきたかという指標なのです。この一角の人物の人生史を嘗め尽くせば、その人なりに大成することができるのです。ただ、水を堰止めたダムのような知識ではなく、地下に溢れる井戸のように『有源の井水』となれるのです。堰止めただけの知識では水も腐ってしまうというモノです。

日本の子供は小学1年から高校3年まで12年間も歴史学を学んでいますが、何の力にもなりません。これは日本の歴史教育が『おしながき』だからです。『おしながき』とは、メニューのことであり、こんな奴です。

5 おしながき>

教科書には年表と事柄が書かれており、「胡麻とは、小さい粒の実で油などが取れます。豆腐とは、白く四角い食べ物です。」と説明されているだけで、実際に食することもなければ、良し悪しを比べることもありません。これでは唯の知識であり、人生を生きる助けになる知恵に昇華しません。況してや教科書を作っている人が実際に試行錯誤することなく、誰かが言った評価をそのまま写しているだけです。

ですから、元禄文化で景気が上がり幕府の富みも増していたに関わらず、吉宗が登場すると幕府の財政が破綻しているという矛盾を、放漫財政で破綻したと片づけてしまえるのです。少し調べれば、江戸時代は天災に対して非常に脆弱な体質であったことが判るのですが、それを調べるという努力をしません。

何故、そんな努力をしないのかと言えば、お偉い学者様がそう言っているから疑うことはできないという観念論が存在するからです。つまり、「教科書にそう教えているから疑うな!」と考えるという最も大切な『考える』ことを置き去りにしているからです。

ドイツの名宰相オットー・ビスマルクの言葉に

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」

という格言があります。

この言葉に疑問を持つ方も多いでしょう。歴史教科書を読んでも賢者になれる人は一人もいません。中身はありません。歴史と人物史であり、一角の人物の人生を嘗め尽くすことであります。意味を取り違えば、格言も間違ってしまいます。結局、日本の子供たちはみんな愚者からスタートしなければなりません。もしかすると、日本人が優秀になってもらっては困る誰かの陰謀なのでしょうか。大衆は常に愚者であった方が、為政者にとって都合がいいのです。

いずれにしろ、学校教育12年間で一角の人物を2・3人だけでも嘗め尽くせば、その子供達の人生は非常に豊かなものに変わるでしょう。

【経済で読み解く明治維新】

~江戸の発展と維新成功の謎を「経済の掟」で解明する~

まとめ

上念 司の『経済で読み解く明治維新』は、明治維新に至る江戸時代をより詳しく書かれた歴史学書であります。

日本の歴史教科書は間違いだらけであり、その間違いを疑問に思うことすら禁止しております。歴史を学べば人生が変わります。なぜなら、歴史には、様々な人生禄が書き記されているからです。そして、それに気が付けば、江戸時代がどんなに優れていた時代か、気が付くでしょう。

私が初めてそれに気が付いたのはNHK『お江戸でござる』杉浦 日向子(すぎうら ひなこ)の間違い探しでした。多彩の江戸文化に興味を持って調べると江戸の凄さに驚愕します。西洋と比べて劣っておりません。金融システムにおいては世界最先端でした。

明治維新で『文明開化』を果たしたと言われますが、文明開化も何も科学技術以外は何も発展していません。そう考えると明治維新は何なのかという疑問に当たります。

そうです。思考すれば、解答に辿り着けるのです。

日本は戦後教育で資源のない国だと言われ続けていますし、それを信じている方々も多いですが、その根幹から間違っていたのです。

江戸から明治に移る日本は、

・日本の人口は3000万人もおり、世界の3.%を占め、経済力は世界最高水準だった。

・金銀銅などの資源を産出する資源国だった。

・国民の識字率は80%を超え、これを世界最高水準だった。

ということが判ります。『人・金・知識』が最初から揃っていたのです。なかったのは政治力だけでした。徳川幕府の誰かが政治体制を変えていれば、自国民が殺し合う内戦をする必要もなかったのです。つまり、明治維新とは、政治体制だけを変える戦いだったのです。

この『経済で読み解く明治維新』はそこを詳しく書かれているので、ぜひ購入してお読みになることをお勧めします。

また、上念 司氏には

【経済で読み解く徳川幕府】

~織田信長と羽柴秀吉の天下統一の謎を「経済の掟」で解明する~

が出版されることを強く希望します。

信長と秀吉の経済学もおもしろいですよ。信長は今川義元から楽市楽座を学び、津島衆から貨幣経済も学びます。信長と秀吉は貨幣で天下を統一した希少な武将です。貨幣へ戦国時代を読み解くことを強く推奨します。どこかの『逆説の日本史』より貴重な歴史書が完成することを強く望んでおります。

最後に、本書の概略を書き紹介しようと原稿用紙400字くらいのブログを書こうと思っておりましたが、筆が止まらず、注訳本、あるいは、過筆本的な量になってしまったことを謝ります。このまとめを読んで頂ければ、それで十分です。

この概略は、上念氏が敢えて書いていない部分も追加しています。もし、歴史に興味がある方は、興味半分でお読みになって頂くと嬉しい限りです。

また、もしかすると私の解釈が本書と違い、間違っているかもしれませんが、それはお愛嬌とお許し下さい。

(注).概略の中で『三河武士はお馬鹿でござる』、『大権現様の呪い』などという文章は、上念氏の本書にはありません。私が使っている言葉であります。

三河武士というのは、徳川の家臣であり、江戸に移封されるまで三河に住み、家康の家来だった者のことです。尾張の武士は信長、秀吉、丹羽長秀など経済に長けた武士が多くいるのに対して、三河の武士は勇猛果敢かつ義理堅いという人物を多く輩出します。要するに上司に言われたことを着実に守る人柄というべきでしょう。これは現代の官僚社会のルールみたいになっています。上司に逆らうことは、『正悪を別にして』やってはいけない事とされているのです。はっきり言って『悪習』です。これが徳川幕府を滅ぼし、現代の日本を滅ぼそうとしている元凶です。

次の『大権現様の呪い』も同じであり、徳川家康は『1.富士、2.鷹、3.なすび』と続けたように、『質素倹約』を旨とした方です。(決して、緊縮財政ではありませんでした)

それが3代家光が神として崇め、8代吉宗が『質素倹約』を復活させたことで、『質素倹約』と『緊縮財政』(百姓に重税を課す)がセットのように崇められました。江戸の3大革命の享保の改革・寛政の改革・天保の改革は、すべて『質素倹約』と『緊縮財政』であります。そして、平成の世も国民への重税を中心とした『質素倹約』と『緊縮財政』が叫ばれます。私はこれを『大権現様の呪い』と呼んでいるだけであります。

江戸の時代もリフレ派と反リフレ派が交互に政権交代をして江戸の体力を奪います。現在の日本もリフレ派と反リフレ派が交互に入れ替わって経済力を落しています。歴史は繰り返すといいますが、

『人間は歴史から何も学ばないということを、歴史から学んだ。』

というドイツの哲学者 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの言葉が脳裏に浮かびます。

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