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2015年7月

アニメの世界の現実と夢

最近、非常にいい作品なのに、心がもやもやする作品があった。

P.A.WORKSの『SHIROBAKO』である。

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夢をみんなで現実にする為にがんばっている少女たちのお話であるが、舞台設定がリアルになっている。

50時速kmでカーチェイスから始まるこのアニメをもう1度見直して見ると、服の設定まで細かく決めてあって無駄に臨場感がある。

アニメを作るのはこんなに厳しい、辛い、見返りが小さい。でも、やっぱり好きだから作っている。一人一人は違うことを考えているが、結局は好きだという気持ちが勝っている。

これからもいい作品を作っていきたいという気持ちが溢れていた。

しかし、心がもやもやする。

何故だろう?

Dに及ばないカーチェイス、溝に落としてインコースで抜き去ってゆく。そんなパロっていない分だけ物足りない。

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『えくそだすっ!』のラスト、馬が100頭で疾走するシーン!

監督木下誠一が夢を語る。それを実現できるアニメーター杉江茂がいる。そこまで盛り上げて、ショボイ疾走シーンが冷や水を掛ける。

そこは監督木下誠一がシーンの確認を取り、杉江茂が「さすがにそれは無理、時間がない。今回はこれで我慢して下さい」と断るか、さもなければ、誰もが頷いてしまうシーンを用意するべきだった。

でも、それは作品中の不満であって、胸がもやもやする原因ではない。

第21話「クオリティを人質にすんな」は、アニメの核心部である。現実に直面する飴メーターと作品のデキ、その垣間に見える人間劇は見応えがある。何故、アニメを作るのか?

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いよいよ確信に迫る・・・???

P.A.WORKSは、『true tears』(トゥルー ティアーズ)や『花咲くいろは』を手掛けている。『true tears』の内容は大嫌いだ。『花咲くいろは』の緒花が最終に近づくと『true tears』の仲上 眞一郎みたいになっているのが嫌だった。何故、今更揺れるのだろう。

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ゆっくりと喜翆荘を好きになり、自分の居場所を見つけたと緒花は感じた。

特に14・15話はいい話だった。

成長したなと頷いてしまう。

16話で経営を失敗する話になる。これはどこの企業でもあることだ。

女将四十万 スイが店を閉めることを考えるのは当然だろう。

その後に結婚式があり、一区切り付いたことで店を閉めることをみなに告げた。

働く人たちが動揺する。主人公の緒花が動揺する。

幼馴染みで種村 孝一(たねむら こういち)との再会で心が揺れる。喜翆荘と孝一を天秤に掛けている。あれれ??? 先週の緒花と今週の緒花の性格が変わっている。

前半の13話は何だったと思った。

台詞が可笑しい?

SHIROBAKO』(シロバコ)の劇中『第三飛行少女隊』のアリアは飛ぶ意味を失った。緒花は自分の居場所を失った。居場所の意味を考え、四十万スイが自分の目標であることに気付く。でも、緒花と喜翆荘の仲間が対立するシーンは可笑しい。

女将スイと従業員の対立するのは奇妙な演出だ。

従業員は女将スイが好きで、喜翆荘が好きで抵抗するのだから認めて貰いたいと動いていていなければならない。

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緒花と従業員は対立するのではなく、お客の対応ですれ違って行くのでなければならない。迷いながら足取りと止めて俯く緒花ではなく、何とかしようと動くが亀裂が深くなる緒花でなければ可笑しいのだ。

極め付けが、四十万 スイの性格の一遍する所だ。気丈だったスイが弱々しくなる。理想を語る。夢を語る。

あ~そうかっ!

この演出は間違っている。『SHIROBAKO』を見てから見直して、はっきりと気が付いた。

この物語は現実の設定を取り込んで、そこに夢を描いている。

喜翆荘のモデルは、白雲楼ホテルで、かつては東洋一といわれ、GHQが保養施設として接収し、昭和天皇・皇后が食事をとったことがある由緒正しいホテルだ。経営不振から平成11年の倒産している。『花咲くいろは』が放映される5年前の平成18年に取り壊されている。歴史は変えられない現実は重たい。

『花咲くいろは』の演出家は大きなミスを犯した。

リアルな設定をしておきながら、リアルな現実から目を逸らしている。

経営不振とは何だ。

金がない。金がないのだ。

喜翆荘は維持費を捻出できないほど資金難に陥っていた。女将のスイに逆らい経営を続けようとした番頭縁(えにし)はその現実をみんな告げるべきだったのだ。

「今の喜翆荘は喜翆荘ではありません。それはお気づきだと思います。喜翆荘はお客様一人一人に喜んで貰う旅館であり、あらゆるサービスを犠牲にして、価格の安さを実現しても意味がありません。私の責任です。申し訳ありません」

「縁、お前は悪くない。あたしゃ判っていた。遅かれ早かれこうなることを、お前は何とかしようとしたんだ」

「かあさん」

「あたしゃ、あたしの夢に酔っていたんだ。あたしと旦那の夢を壊したくない。お客様の旅館でありたい。そうでなければ意味がないと思っていた。わたしの意地でこの旅館を潰すことになった。本当に申し訳ない」

「女将、わたしはこの旅館を続けた」

「緒花」

「女将、お願いします」一同が声を上げる。

「あたしもそうしたい。でもね、緒花。旅館は伊達や酔狂じゃないんだ。おまんまが食べられないようじゃやっていけない。そうだね、縁」

「はい、今回の収益で借金の利子を返済すると何も残りません。もう少しは残ると思っていたんですが・・・」縁、泣きながら

劇中で映画に収支したなら銀行で金を借りている。その金利は思かろう。

現実は、豪華な造りが仇となり、高額な維持費が採算割れを起こし、経営を悪化させていった。

現実をさらりとスルーしているから、心がもやもやしていたのだ。

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SHIROBAKO』(シロバコ)第21話「クオリティを人質にすんな」は、アニメーターの収入まで突っ込まないと駄目でしょう。それとも2期に残したのだろうか?

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アリアは戦う意味を見つけた。

宮森 あおいは何を見つけたのだろうか?

現実と夢の狭間、『SHIROBAKO』の監督水島努はそれを書く気がないのかもしれない。第20話「がんばりマスタング!」で今井 みどりの解答に、演出の山田 昌志がこう言っている。

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「なんか生々しいね」

「実体験をそのまんま読まされても面白くない」

生々しい現実は面白くないと語っている。

でも、現実を書かないとリアリティーは求められない。

綺麗ごとで並び立てられた言葉など、空々しくて安っぽく嘘っぽく聞こえる。

アニメ界の現実を知らない私が語ることができないが、もしかすると監督は私より。この世界に絶望しているのかもしれない。

あるいは、主観の違いだけかもしれないが・・・。

《東田伝》東郭先生とオオカミ

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<この歴史館へGO! 歴史のブログ>

 東郭先生とオオカミ

 ある日、東郭先生はロバに乗って、本のつまった袋を背負い、就職のため“中山国”という地に向かっっていたが、不意に傷を負った一匹のオオカミが彼の前に現れ、「旦那さま、わたしは猟師に追われていおり、猟師の矢にうたれ死にかけています。わたしを救うため貴方のその袋に入れては頂けないでしょうか。このご恩は将来必ずやお返しします」と願い出た。もちろんオオカミは人間に害を加える動物であることを東郭先生も知っている。しかし目の前にいるこの傷を負ったオオカミを可哀相に思い、少し考えてから「それでは猟師を怒らせてしまうでしょう。しかしお前がわたしに願い出たからには、必ず助けてあげよう」と答え、彼はオオカミに体を小さくさせて縄で縛り、本の入った袋に入れた。 

 まもなくオオカミを見失った猟師がやってきて、「オオカミを見なかったかい?どこに逃げたんだろう?」と東郭さんに聞く。「見ませんでしたよ。この付近には分かれ道が多いから、オオカミはほかの道で逃げたかもしれません」と東郭さんがこれに答えた。猟師はその言葉を信用してしまい、ほかの方向へと追っていった。こちら袋に入っていた狼は猟師の遠ざかる足音を確認し、「お願いします、わたしを外に出して、逃がしてくださいまし」と再び願った。心のやさしい東郭先生は狼の言葉に惑わされ、狼を袋から外に出してやった。ところが、狼は外に出るなり「旦那さまは善事をしてわたしの命を助けて下さった。いま、わたしは非常におなかを空かしているので、もう一度善事をしてあなたを食べさせてくださいな」と東郭先生に吼えて襲いかかった。 

 東郭先生は狼と戦いながら、「恩を仇で返すなんて!」と叫び続けた。このとき、鋤を持った一人の農民が通りかかったので、東郭先生はその農民を引きとめ、自分が狼を助けたが、オオカミは恩を仇で返し、自分を食べようとした経過を話した。だがオオカミは東郭先生が自分の命を助けたことを一切否定した。しばらく考え込んでいた農民は「貴方たちの言葉は、とちらも信じられません。こんな小さな袋にこの大きな狼が入るとは思えない。この目で確かめたいので、もう一度やって見せてください」と言い出した。これに狼は同意し、またさっきと同じく横になり、体を縮め、またも東郭先生に縄で縛らせ、もう一度袋に入ったとたんに、農民は袋の口も堅く縛り、「このようなケモノは自分の本性を変えることはない、貴方は狼に慈悲を施すなんて、バカなことをしたね」と東郭先生にいい、鋤を振り下ろして狼を殴り殺してしまった。ここでやっと気付いた東郭先生は、自分の命を助けてくれた農民に心から感謝した。

 

十三世紀の明代の馬中錫が著した《東田伝》の話である。“東郭先生”と“中山のオオカミ”とも呼ばれている。中国では、無意味な同情心から恩を仇で返されるお人好しを無知な人としている。善悪の判断もできない人ということだ。

孔子の国である中国では、道徳が欠落した民族を多く、それゆえに“徳”を強く説いたのであろう。しかし、それも形骸化されて、身分差別を固定化される朱子学へと形を変えてゆく。朱子学そのものは立派なのだが、結局は人がどう扱うかで変わってしまう。

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