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今日のタマねい〔糞虫至穢(ふんちゅうしわい)〕

「苦しいことに弱気になったり、不満を嘆いてしまう。人の心は弱いものだからそれをはしかたないわ。でも、蝉はゴミの中で育ち、蛍は腐った草の中から生まれる。仏花の蓮も泥の中にしか咲かない。苦しみや悲しみが人を育てる。境遇を嘆くだけで終わるのは止しなさい」

糞虫至穢、変為蝉而飲露於秋風。
腐草無光、化為蛍而燿釆於夏月。
固知潔常自汚出、明毎従晦生也。

糞虫(ふんちゅう)は至穢(しわい)なるも、変じて蝉(せみ)となりて露(つゆ)を秋風に飲む。
腐草(ふそう)は光なきも、化して蛍(ほたる)となりて釆(さい)を夏月(かげつ)に耀(かがや)かす。
周(まこと)に知る、潔きは常に汚れより出で、明るきは毎(つね)に晦(みそか)より生ずるを。

ゴミの中で湧いたうじ虫はまっこと見るに堪えたい。身の毛もよだつとはあのことだ。しかし、変じて蝉になると、その響きは情緒となって悪いものでもない。
況して、秋の川辺で心を和ましてくれる蛍の光は、弱々しくそれでいて可憐だ。その蛍も幼生の間は腐った草の中で過ごしている。
この世の中は生きるだけで、苦しみや悲しみが押し寄せてくるようになっている。
そんな苦しみや悲しみを知り、心を砕かれずに前に進んだ者のみが、明るい光を生み出せるようになるのである。

菜 根 譚(さいこんたん)の25項に書かれる『糞虫至穢』とは、苦しみを知らない人は、楽しみや幸福を知ることができないと説いております。
同じ意味で「吃得苦中苦,方为人上人」と言う言葉もあります。苦しみを知らない人は人の上に立つことができないという意味です。どちらにおいても、人間形成において、苦しみや悲しみが人を育てるという意味です。
ただ、苦しみや悲しみで心がねじ曲がってしまう方もおり、必ずしも苦労が人間を正しく育てるとは言えません。
良い人との出会いがあって、初めて人としての形成に役立つのです。

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