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今日のタマねい〔飽後思味(ほうごしみ)〕

「一生に一度でよいから、ごちそうであった芋粥を食べたいと思った若者が食べきれないほどの芋粥が目にすると、たちまちに食欲が薄れてしまう。尽きることない欲望に振り回されず、ささやかな夢を抱く、自分を持ち続けなさい」

志をいつも持ちなさい。

「至誠天に通ず」、「志は気の帥なり」

この言葉は、吉田松陰がこよなく好んだ言葉です。人は志がなければ、何も成し遂げられません。志こそ、人が生きる根幹なのです。

一方、芋粥を腹いっぱい食べたいという夢は、個人の希望であり、欲望です。芥川龍之介の『芋粥』では、ささやかな夢を叶えた主人公が、そんなささやかな夢を想っていた自分を懐かしんでおります。欲望というのは果てしなく、満たされても満たされても尽きることなく湧いて来ます。国家の宰相となり、思うこと、願うことを叶えられる立場になっても、その欲望は尽きることなく膨らんでゆくものです。

至誠と思い描いていたことが、醜悪な願望に変わることもあります。かって朝鮮や中国に進出した日本人は、西洋の脅威を取り除き、大東亜の平和を渇望しました。町を作り、田畑を耕し、教育を施しました。りっぱな世界を想像し、平和な大東亜の夢は半ば実現し、夢の天空城が完成したのです。

しかし、そこに住む人々は天空城の主になることより、一杯の芋粥を欲する人々でした。何の犠牲もなく手に入れた天空城は、彼らを傲慢にし、尽きることなない欲望に呑み込まれて、お互いに傷つけ合う日々に変わっていったのです。

どんな素晴らしい志であっても、道を誤れば、醜悪な結果を招きます。

喩え、赤絨毯の上を歩く主になっても、山林の小道を歩く心を忘れてなりません。

志は人の根幹であるから、志が欲望に変わっていないか。その志は本当に正しいのか。時には振り返って、来た道を忘れないようにしないと、人はすぐに道を外してしまうのです。

尤もその志を持ち続ける方が、ずっと難しいのですが。

<原文>

飽後思味、則濃淡之境都消、色後思婬、則男女之見尽絶。

故人常以事後之悔悟、破臨事之癡迷、則性定而動無不正。

飽後(ほうご)、味を思えば、則(すなわ)ち濃淡の境(きょう)都(すべ)て消え、色後、婬(いん)を思えば、男女の見尽(けん・ことごと)く絶ゆ。

故(ゆえ)に人つねに事後の悔悟(かいご)をもって、臨事の癡迷(ちめい)を破らば、則(すなわ)ち性(せい)定まりて、動くこと正しからざるはなし。

孟子 公孫丑上

志気之帥也。

志は気の帥なり。

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