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今日のタマねい〔格物至知(かくぶつちち)〕

「もう日曜日だから言って、いつまでも寝てないの。普段から身を慎みなさい。だらしない生活は心まで緩めてしまう。顔を洗って食事にしましょう。規則正しいリズムが大切なのよ。それが終わったら掃除、それから読書もしましょう。時間を大切に」

 

格物至知は、大学(孔子の教えを記した教え)の道を説いたもので、世の中を平和にするにはどうすればいいのかを示しています。よき治世を施した名君を時ほどして行けば、物事の本質をしっかりと理解することから始まる。ゆえに、物事の正しい知識や学問を磨き上げることがよい治世を作る根幹なのであると言っています。

安岡正篤先生は、その知識が「有源の井水」(ゆうげんのせいすい)でなければならないと言っております。知識を水に喩えるなら、巨大なダムのような知識を持っていても、水が滞っていれば、沼のように水は腐り、単なる雑学に成り下がってしまう。しかし、井戸のような小さな知識であっても止めどなく流れる水は、尽きることなく生きた知識となりうる。知識は活用するものであって、本棚に並べるものではありません。

格物至知の知は、知識でなく、知恵でなくてはならないのです。

孔子の儒教は、南宋の儒学者朱熹(しゅし)がまとめ、朱子学は宋学となり、現代の中国や朝鮮に伝わっております。しかし、朱子学の体系のみが残り、その中身は伝わっておりません。むしろ、儒教の国でない日本に神道と一体化して体現化しております。我々の祖先は、儒教や朱子学の殻を捨て知恵を学んだのです。

“誰も見ていなくても、お天道(おてんとう)様が見ていらしゃる”

(身を慎ましくし、悪事を働かない。悪いことをすれば、巡り巡って自分に厄災が帰ってくる。)

江戸時代の民衆は、お金を落ちていても誰も拾わない。家に鍵が掛かっていないなど、一人一人が身を慎ましく暮らしていたそうです。最近でこそ、留守にするときは鍵をしますが、幼い頃は家に鍵などしたこともありません。随分と世知がない世の中になったものです。

日本を治める総理大臣が、法に触れなければ何をしてもいいなんて、随分と酷いことを言うのですから、世の民の世相が乱れるのも致し方ありません。

治世を望むなら、身を慎み、物事の知を知ることなのです。

 

<原文>

 大学(大学 経一章)

大学之道 在明明德  在止于至善。

大学の道は、明徳めいとくを明らかにするにあり、民を親たにするにあり、至善しぜんに止とどまるにあり。

明徳天から授かった徳性。

至善最高の善。

知止而后有定 定而后能静 静而后能安 安而后能 而后能得。

(とど)まるを知ってのち定まるあり、定まってのちよく静かに、静かにしてのちよく安(やす)く、安くしてのちよく慮(おもんぱか)り、慮りてのちよく得()

物有本末 事有始。知所先后 近道矣。

物に本末あり、事に終始あり。先後(せんこう)するところを知ればすなわち道に近し。

古之欲明明德于天下者 先治其国。

古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治む。

欲治其国者 其家。

その国を治めんと欲する者は、まずその家を斉(ととの)う。

其家者 先修其身。

その家を斉(ととの)えんと欲する者は、まずその身を修む。

欲修其身者 先正其心。

その身を修めんと欲する者は、まずその心を正しくす。

欲正其心者 其意

その心を正しくせんと欲する者は、まずその意を誠(まこと)にす。

其意者 先致其知。

その意を誠にせんと欲する者は、まずその知を致す。

致知在格物。

知を致すは物に格(いた)るに在り。

物格而后知至

物格ってのち知至る。

知至而后意

知至ってのち意誠なり。

=誠

而后心正。

意誠にしてのち心正し。

心正而后身修。

心正しくしてのち身修まる。

身修而后家

身修ってのち家斉(とと)のう。

而后国治。

家斉のいてのち国治まる。

国治而后天下平。

国治まってのち天下平らかなり。

自天子以至于庶人 壹是皆以修身本。

天子よりもって庶人に至るまで、壱是(いっし)にみな身を修むるをもって本となす。

壱是一切。

其本乱而末治者否矣。

その本乱れて末(すえ)治まる者はあらず。

其所厚者薄 而其所薄者厚 末之有也。

その厚くするところの者薄くして、その薄くするところの者厚きは、いまだこれあらざるなり。

右經一章。蓋孔子之言、而曾子述之。

右経一章。けだし孔子の言にして、曾子これを述ぶ。

其傳十章、則曾子之意、而門人記之也。

その伝十章はすなわち曾子の意にして、門人これを記するなり。

舊本頗有錯簡。

旧本すこぶる錯簡(さっかん)あり。

錯簡本文の入れ違えや前後した箇所。

今因程子所定、而更考經文、別爲序次如左。

今は程子の定むるところにより、さらに経文(けいぶん)を考えて、別に序次をなすこと左(さ)のごとし。

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