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2013年4月

済南事件

01_8
<この歴史館へGO! 歴史のブログ>

事件の中で、日本人居留民12名(男10、女2)が殺害され、日本人居留民のその他の被害は、負傷後死亡した男性2、暴行侮辱を受けたもの30余、陵辱2、掠奪被害戸数136戸、被害人員約400、生活の根柢を覆されたもの約280、との記録が残っている。

日本人惨殺状況に関する外務省公電には、「腹部内臓全部露出せるもの、女の陰部に割木を挿し込みたるもの、顔面上部を切り落としたるもの、右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突傷あり、全身腐乱し居れるもの各一、陰茎を切り落としたるもの二」とある。

・1927年(昭和2年)3月 南京事件
・1927年(昭和2年)4月3日 漢口事件

●1928年(昭和3年)5月3日 済南事件(さいなんじけん)
・1931年(昭和6年、民国20年)9月18日 満州事変
・1932年(昭和7年、民国21年) 満州国建国
・1932年(昭和7年)1月~3月 第一次上海事変
・1936年(昭和11年)9月23日 日本人水兵射殺事件 
・1937年(昭和12年)7月7日 盧溝橋事件
・1937年(昭和12年)7月25日から26日 廊坊事件(ろうぼうじけん)

・1937年(昭和12年)7月26日 広安門事件
・1937年(昭和12年)7月26日 平津作戦
・1937年(昭和12年)7月29日 通州事件
・1937年(昭和12年)8月13日 第二次上海事変
・1937年(昭和12年)南京事件(なんきんじけん) 「南京大虐殺」 

済南事件(さいなんじけん)は1928年(昭和3)5月3日、中国山東省の済南における、国民革命軍の一部による日本人襲撃事件、および日本の権益と日本人居留民を保護するために派遣された日本軍(第二次山東出兵)と、北伐中であった蒋介石率いる国民革命軍(南軍)との間に起きた武力衝突事件。蒋介石は日本軍による北伐の妨害であったと後に非難している。藤田栄介青島総領事は、南軍による組織的に計画された衝突と述べている。

事件の中で、日本人居留民12名が殺害され、日本側の「膺懲」気運が高まった。一方、日本軍により旧山東交渉公署の蔡特派交渉員以下16名が殺害されたが、中国側はこれを重く見て、日本軍の「無抵抗の外交官殺害」を強く非難した。さらにこれを機に、日本軍は増派(第三次山東出兵)を決定した。

衝突はいったん収まったものの、5月8日、軍事当局間の交渉が決裂。日本軍は司令部と城壁に限り、砲撃を開始。安全地帯と避難路を指定したため、南軍は夜陰に乗じて城外へ脱出し北伐を続行した。5月11日、日本軍は抵抗なく済南を占領した。中国側によれば、その際、中国軍民に数千人の死者が出たとされる。藤田栄介青島総領事によると、中国商民らは日本軍の正確な砲撃によって被害のなかったことに感謝していた。

・朝日新聞 五月五日と六日の朝日新聞 「邦人虐殺数二百八十」と実際の二〇倍以上にのぼる誇大な数字を報じた。
〔強硬派の酒井隆少佐が打電したものを陸軍省が流したものといわれている。〕
 実際の虐殺数は十二名、この時点では必ずしも南軍の仕業とは断定できない。「膺懲」世論を煽るための作為的な情報操作と思われても致し方ない。
 臨時済南派遣隊第六中隊の手によって十二名の遺体が確認されたのは、5日午後3時であり、五月五日の新聞に載せることは不可能だったのです。

・内容
膠済鉄道は日本の借款鉄道であり、同鉄道沿線の鉱山は日中合弁会社が経営するなど、山東省には日本の権益も存在した。
山東省における日本人居留民数は、昭和2年末の外務省調査によれば、総計約16940人に達し、そのうち青島付近に約13640人、済南に約2160人であり、投資総額は約1億5千万円に達していた。

・被害状況

日本側の参謀本部が編纂した『昭和三年支那事変出兵史』によれば、被害人員約400、被害見積額は当時の金額で35万9千円に達したという。日本人居留民の被害、死者12(男10、女2)、負傷後死亡した男性2、暴行侮辱を受けたもの30余、陵辱2、掠奪被害戸数136戸、被害人員約400、生活の根柢を覆されたもの約280、との記録が残っている。なお、日本軍の損害は、死者26名、負傷者157名。[10] 被害者の治療は同仁会 済南病院にて行われ、軍、警察、中国側の立会いの下に同病院内で検死が行われた。

日本人惨殺状況に関する外務省公電には、「腹部内臓全部露出せるもの、女の陰部に割木を挿し込みたるもの、顔面上部を切り落としたるもの、右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突傷あり、全身腐乱し居れるもの各一、陰茎を切り落としたるもの二」とある。なお、居留民の虐殺については、「(犠牲者の)多くがモヒ・ヘロインの密売者であり、惨殺は土民の手で行われたものと思われる節が多かった」(佐々木到一少将、「ある軍人の自伝」)との見方もある。ただし佐々木到一氏は1928年5月3日の事件当時、他の被害者同様に中国側の兵士、民衆に暴行を加えられた上略奪も受けており、所持していた総司令部の護照のおかげで殺されずに済んだことを当時の陸軍省軍務局長 阿部信行宛の報告書「被害状況に関する件報告」(昭和3年5月8日 陸軍省歩兵中佐 佐々木到一)にて述べている。[12]

中国側の資料によれば、中国側の被害は、軍・民あわせて、死者は「中国側済南事件調査代表団」の報告では「約3,000人」、「済南惨案被害者家族連合会」の調査では「6,123人」。負傷者数は「中国側済南事件調査代表団」では「1,450名」、「済南惨案被害者家族連合会」では「1,701名」とされている。

虐殺された日本人の遺体が済南病院で検死されている写真が、中国の新華出版社から出された『日本侵華図片史料集』や吉林省博物館に、731部隊が中国人に細菌人体実験をしている写真として掲載され、そのイラストが中学生用の歴史教科書にも掲載された。同様の写真は『朝日ジャーナル』(昭和59年11月2日号)の「東京裁判への道」(粟屋憲太郎)にも、日本軍が進めた細菌による人体実験の一場面として掲載された。また、平成4年11月21日夜10時からテレビ朝日が報じた「戦争とはかくも非人間的な行為を生むものか」と題した番組では、元軍医と元衛生兵が、吉林省博物館に掲げてある「七三一部隊細菌戦人体実験」(実際は、済南事件で虐殺された日本人の遺体が済南病院で検死されている写真)にひたすら謝罪した。

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済南事件

邦人虐殺数二百八十 言語に絶する暴戻
 

【天津電通四日午後九時半発至急報】天津に入電せる確報によれば三日南軍に虐殺された邦人は二百八十名でこれは皆我軍の警備区域外居住のものである

【北京特派員四日発】南軍兵士の暴行言語に絶し尚調査中なるも日本婦人を裸体として虐殺せるを始めとしてこれに類せる酸鼻を極めた事件が甚だ多いと

【北京特派員四日発】済南邦人虐殺の事実は濃厚で我軍諜者の情報によれば館駅街地方の邦人虐殺されたとのことなれど同方面は今尚我軍の力およばず真偽取調べ難きも各方面の状況より判断すれば同地に居残つたものは絶望と見る外ない、同地居住邦人は約十家族である

『東京朝日新聞』 昭和三年五月五日 第二面、上段中、四段見出し
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済南事件

五月三日午前八時頃東地区警備隊に於ては 隊長(小泉中佐にして副官随行)城内に南軍総司令を往訪し 不在の為第四中隊長(大尉難波元吉)は隊長代理として師団長の巡視を迎へんとし 東地区警備隊本部(旧朝鮮銀行社宅)に在り

 然るに午前九時三十分済南日報社(普利門、街)より「麒趾門街一の日本人住宅に支那兵闖入し掠奪を開始せり 速に来援を請ふ 現地に案内すへきに依り先つ済南日報社に来られたし」との電話に接し 直に部下中隊に警急集合を命し 取敢す第一小隊長(中尉久米川好春)をして小銃二分隊軽機関銃一分隊(長以下二十七にして外に田中、辻両曹長同行す 以下久米川小隊と称す)を率ゐ 先つ済南日報社に急行せしむ

 是より先緯の派出所に在りし我総領事館警察巡査二(岡田静雄 山下茂一)は署長より掠奪地に急行を命せられ 吉房方に到りしに 同家は午前九時二十分頃より南軍暴兵約三十の為掠奪せられ主人は暴行を受け逃れて現地に在らさるも 南軍兵尚十数名同家に留れるを以て退散を要求せしに 却て彼等の為銃剣を以て威嚇せられ 山下巡査隙を見て報告に赴くや 岡田巡査は暴兵の為殴打せられ叉将に佩剣を奪はれ且射殺せられんとせしとき 恰も久米川小隊現場に到著せしかは 暴兵は忽ち東方約百米なる其兵舎に向つて遁走し 岡田巡査は辛うして危難を免れたり

 小隊長は後日の証拠として掠奪兵を逮捕せんとし逃くるを追うて其兵舎(市中に散在し其構造一般民家と大差なし)前に達するや門内舎前に立哨中の二名の銃前哨俄然我に向つて射撃し遁入せし掠奪兵も亦加りて射撃を開始す

 小隊は一物の掩護なき路上に於て射撃を蒙り已むなく之に応戦するに決し直に射撃を開始し我に射撃を加へし敵歩哨を射殺す 時に午前十時なり

 然るに敵は兵舎及圍墻を利用して我を猛射し小隊は之に応戦して戦闘激烈となる 是に於て小隊長は責任者の徹底的膺懲を必要と認め田中曹長をして状況を中隊に報告せしむると共に中隊主力の出動に関する意見を具申せり

 此小闘を端緒として各所一斉に南軍部隊の射撃及掠奪は開始せられ瞬時にして全商埠地内に波及するに至れり 之を五月三日事件の発端となす

参謀本部『昭和三年支那事変出兵史』P225~P226より

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済南事件

 西田畊一(こういち)在済南総領事代理が酒井少佐とともに蒋介石と会見していた五月三日の午前九時半頃、事件が発生した。

 日本側の説明だと発端は、国民革命軍の正規兵約三〇人が城外の商埠地内で満州日報の取次店を営む在留邦人の吉房長平宅を掠奪したことにはじまる。そして、この知らせを受けた久米川好春中尉が率いる日本軍約三〇人と襲撃した中国兵約三〇人との間で銃撃戦が開始され、近辺でも複数の個所で射ちあいが発生したとしている。

 実態は、国民革命軍の反日宣伝をめぐる紛糾かと推定できるが、吉房宅は、日中両軍が激戦を交わした麟趾門街からは七〇〇メートルほど離れた場所であり、軍事衝突の直接的な誘因とは考えにくい。

 一方、中国側の見解だと、病気の第四〇軍兵士一人を病院につれていく途中で、日本兵に阻止されて言い争いとなり、発砲されたという(この時、中国兵一人と中国人人夫一人が死亡)。

 いずれの言い分が正しいか検証は困難であるが、第四〇軍第三師歩兵第七団の将兵約一二〇〇人のうち、一〇〇四人までが約二時間の間に捕虜となっており、日本側一〇人に対して一五〇余人もの死者を中国側が出していることから、中国軍にとってこの銃撃戦は突発事であり、計画的だったとは考えにくい。

 問題の居留民虐殺は、この軍事衝突の合い問に生じたが、死者一六人とも一三人(うち九人が虐殺)ともいわれる被害者の多くは朝鮮人の麻薬販売人や売春業者で、一般居留民のように避退せず、残留していたものらしい。

 ところが、五月五日と六日の朝日新聞などは「邦人虐殺数二百八十」と実際の二〇倍以上にのぼる誇大な数字を報じた。大規模出兵を望んでいた強硬派の酒井隆少佐が打電したものを陸軍省が流したものといわれている。こうした情勢を背景に、現地の第六師団長は責任者の処刑や関係部隊の武装解除など五ヵ条の期限付要求を中国側に交付した。

 予想しない事態に中国側は驚き、回答期限の延期を要求したが、日本軍側は、「軍の威信上已むなく断然たる処置に出て要求を貫徹」すると通告したのち、八日早朝から済南城に対する大規模な攻撃を開始し、済南周辺を占領した。

 この攻撃により、中国側には、一般市民をふくむ三六〇〇人の死者と一四〇〇人もの負傷者が出たとされる(日本軍の死者は二六人、負傷者一五七人であった)。

 このような日本側の強硬姿勢は、北伐軍の進攻を遅らせ、張作霖政権との間で懸案となっている中国東北地方における鉄道問題等の契約交渉の成立をも視野に入れたものといえよう。

 これに対し、日本軍との決戦を回避した蒋介石は、中国軍を撤退させ迂回して北京へ向かい北上したため、交戦は短期間で終わった。そして外交交渉に移り、二九年三月に合意が漸く成立し、日本軍は撤兵する。

『世界戦争犯罪辞典』 P62~P63より
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 8 通州事件(四)

 通州事件は、飼犬に手を噛まれたような事件であり、不幸な事件であるとともに不名誉な事件であった。松村秀逸少佐は、陸軍省の新聞班に所属し、盧溝橋事件が起るとともに天津へ出張してきていたが、通州事件の報に接した支那派遣軍司令部の狼狽ぶりをしるした―

 その報、一度天津に伝わるや、司令部は狼狽した。私は、幕僚の首脳者が集っている席上に呼ばれて、<この事件は、新聞にでないようにしてくれ>との相談を受けた。

 「それは駄目だ。通州は北京に近く、各国人監視のなかに行われたこの残劇(ママ)が、わからぬ筈はない。もう租界の無線にのって、世界中に拡まっていますヨ」

 「君は、わざわざ東京の新聞班から、やってきたんじゃないか。それ位の事が出来ないのか」

 「新聞班から来たから出来ないのだ。この事件をかくせなどと言われるなら、常識を疑わざるを得ない」

 あとは、売言葉に買言葉で激論になった。私は、まだ少佐だったし、相手は大、中佐の参謀連中だった。あまり馬鹿気たことを言うので、こちらも少々腹が立ち、配下の保安隊が叛乱したので、妙に責任逃れに汲々たる口吻であるのが癪にさわり、上官相手に激越な口調になったのかもしれない。

 激論の最中に、千葉の歩兵学校から着任されて間もなかった矢野参謀副長が、すっくと立上がって<よし、議論はわかった。事ここに至っては、かくすななどと(ママ)姑息なことは、やらない方がよかろう。発表するより仕方がないだろう。保安隊に対して天津軍の指導宜しきを得なかった事は、天子様に御詫しなければならない>と言って、東の方を向いて御辞儀をされた。この発言と処作で、一座はしんとした。

 <では発表します>と言って、私が部屋を出ようとすると、この発表を好ましく思っておらなかった橋本参謀長(秀信中佐)は「保安隊とせずに中国人の部隊にしてくれ」との注文だった。勿論、中国人の部隊には違いなかったが、私は、ものわかりのよい橋本さんが、妙なことを心配するものだと思った。

―かくして通州事件はあかるみに出たが、新聞は逆に「地獄絵巻」を書き立てて日本の読者を煽りたてた。

信夫信三郎氏「聖断の歴史学」(P116~P117)

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参考
・済南事件
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/478530/465045/81885138

・南京事件-日中戦争 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/

<マイブログ>
通州事件とプロパガンダ

http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-031a.html

膺懲:よう‐ちょう、うちこらすこと。征伐してこらしめること。

まとめ

円安にエネルギー高をどう乗り切るのか!?
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-3d97.html

天然ガス価格急落中!時代は天然ガスに向かっている。
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-daac.html

メタンハイドレートの掘削方法「サイフォンの原理による汲み取り方式」
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-f62b.html

森永卓郎氏、裏で金を貰ったね? だぶん・・・
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-b0f3.html

大飯町の住民を悪役に仕立てる政権の愚、地熱発電の開発で一挙両得
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-c8bf.html

財政再建に消費税を叫ぶ愚か者達
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-29a9.html

一%の経済理論
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-9026.html

デフレが消費者にとって良いなどトンでもないデマである。消費者ではなく、金持ちと書き直すべきである。
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-736c.html

放射能被害者はタチの悪い宝くじを強制的に買わされたようなものだ。>>政府も東電もその意味を理解していない
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若狭湾周辺の原発は、直下地震の場合はもたない
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地震で原発が壊れる訳がない。by原子力会議分科会
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-be11.html

福島第1原発の原子炉にはじめから亀裂があった。
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-c1c0.html

原子力発電が安価でないことをやっと認めた。-原子力委員会-
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/---8425.html

311の福島第1原発事故は天災でなった。国会事故調
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-fdca.html

原発推進派の言い分には無理がある。企業はみんな反原発
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-6d19.html

農(農業)という営みを続ける人がいるからそれをどう支えるか?
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-676b.html

福島観光の風評被害? 汚染地図はいつになったら手に入るのだろうか?
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-56c4.html

被災3県でガレキ処理をするつもりはない!
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-54ce.html

放射能ガレキは誰の為に!? 「瓦礫受け入れ漫画
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-b7cd.html

経済素人、日銀・白川総裁 「歴史にしたがえば、膨大な通貨供給はインフレになる」
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-296a.html

円高を余り気にする必要はないが、内需が伸びないことには解決しない
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とても不思議な超円高、安住財務相がG7で呼びかけるらしいが???
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福島を勉強したい人の為に、紹介
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福島第一にあるウラン燃料の量って!? 2466t 広島型原爆の1233倍、チェルノブイリ 19倍
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広島原爆の29.6個分の熱量、それが福島第一原発事故、児玉龍彦の原発対応に満身の怒りを聞いてほしい。
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今日も福島第1原発は元気に活動中!?
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“ピサの斜塔”福島原発4号基は崩壊の危機に瀕している。(米テレビ)
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福島の内部被曝に心を痛める。バンダジェフスキー博士
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放射能が安全もウソとホントと!? ラッキー博士の原爆の健康法
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福島第1原子力発電所、地下水汚染の海水汚染タイムリミット!? もうそろそろ危ないかも???
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日本全国放射能汚染地帯、数値はともかく大阪も、北海道も安全で無くなったのが証明された!? そして、3次汚染も始まっている。
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始まりか、偶然か、福島の子130人健康調査で10人の子供から甲状腺の変化。
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(1)それでも、福島県民は逃げてほしい 2011年3月17日
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-bb0f.html

(2)規格外作業という恐怖
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-6dbb.html

(3)朗報、聞き間違いじゃなかった。
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-faa1.html

(4)現場のリスクと市民のリスク
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-c747.html

(5) 安全??? それとも危険???
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-c63d.html

(6) 情報の隠蔽をするな!!!
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-5ec8.html

(7)白煙と黒煙???
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-f49c.html

(8)放射能の恐怖と戦う!?
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-be75.html

(9)風評被害は止まらない!?
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-d3a2.html

(10)風評被害は止まらない!? 
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/10-0368.html

セシウム汚染肉流通という風評被害?
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-eb82.html

伊藤園の「お~いお茶」は安全なのか???
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-be91.html

放射能汚染拡大を阻止、それとも被災者救済を優先しますか? 地元野菜購入のリスク!?
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-27cc.html

放射線量、除染なしで2年後に4割減 何言ってんだばかやろう!
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大阪アスベスト訴訟、原告が逆転敗訴決定!? 未来の福島、否、日本人の原発事故訴訟の未来を見た
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-d2d4.html

定量下限値はNGです!!! これでは“米”の安全が確保できない。
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すべて放射能汚染米??? 品質は昨年以上 <安全も確認済み> 福島の一般米、「ひとめぼれ」35トン出荷って???
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徹底されない食の安全、危険に晒されている食卓
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牛乳は安全か? 今の基準ではまだ危険、基準のあり方を考えたい。
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除染費用トラブル >>除染は新しい産業として育てよ!
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国と地方の生活保護協議 <改悪? どんでもない。ちょい悪程度ですよ。現状を放置する方が悪いです>
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太平洋の放射能汚染図、グリーンピースの報告は話半分、でも、政府がやらないので何も判らない
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日本全域が汚染地帯、そう思われても仕方ない。
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明治の粉ミルクから微量セシウム 信じられない!?
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原発事故防げたと米専門家、もうすぐ3・11 御霊に鎮魂の祈りは届くのだろうか?
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復興には協力するが、自殺を共用されても付き合う気はない。
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子の甲状腺「安心できる」 福島、問題なしが99.5%
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人の役に立つセシウム
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チェリノブイリ法への道
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福島県内の子供の「心疾患」が2倍に上がっている。
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市販の牛乳にベクレル表示をお願いしたいが・・・難しだろうね!
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原発再稼働、カルト宗教とか言うな! 無責任主義者め!?
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<節電でこの夏は大丈夫!> 関西圏の足らないf電力は最大で2百万KW弱だけ!
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福島原発の作業員3000人中800人死去 デマと思うが作業員のその後を追えていないのも事実
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怒り心頭、福島には住みたくない。福島小児科医(会報誌)の見解を見て
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宮城県議会、広域処理必要ない。VS 細野大臣、広域絶対必要。
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「福島の人とは結婚しない方がいい」、嫌々、かわいい子なら結婚するよ!
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コラム 『廃墟の夢、日本の将来』
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足りないものは政府のやる気と覚悟だけ
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指が6本の子供、悩まない、悩まない、 とっても縁起がいいよ!?
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4人に1人「不可能」、放射能の除染はできるが、今やっていることは移染であって、除染ではない。
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新米の季節です。憂鬱ですが、放射能のチェックは見逃せません
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日本政府さん、「風評被害だ!?」と何故、叫ばないのですか?
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川崎市長 阿部孝夫 セシウム検出食材使用「危険知ることが大事」 ←子供で試す馬鹿は誰だ!
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放射能の低線量被爆の可能性は高いが・・・・・・今は細かいメモを忘れずに!
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4780ミリシーベルト 福島第1原発3号基に突入したら、2時間で死亡確実!?
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-9fd0.html

増える県外避難者を止める為に、県外避難支援を打ち切る福島県
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-723f.html

甲状腺がん被曝、考えにくいと言うのは、全国平均を取ってからいいましょう。
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-4f27.html

どちらも世界保健機関(WHO)です。どっちの意見が正しいのでしょうか?
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-7538.html

修己以敬、自らを律して、敬虔を忘れない。

簡単なことほど難しいものです。
喜怒哀楽、感情の海に飲まれて遭難するのが人の性なのですから致し方ありません。しかし、だからと言って、敬虔の心を失うのは愚かなことです。
穏やかな日々を求めず、勝ち負けの一喜一憂に埋もれて生きては本質を失ってしまうというものです。
『修己以敬』は孔子の言葉ですが、簡単で素朴な言葉の中に本質が埋もれております。

孔子の弟子の子路は嘗て先生にどうやったら君子になれるか尋ねたことがある。
自分自身を修練した上で、厳粛で敬虔な態度を維持しなさい

『修己以敬』
己を修めて以て敬す

子路は思います。そんな簡単な筈がない。
そこで更に問うて言った。
「斯(か)くの如きのみか。」
孔子はまたちょっと付け足しました。

『修己以安人』
己を修めて以て人を安んず

子路は明らかにそれでも尚満足できず、更に尋ねた。
「斯(か)くの如きのみか。」
孔子は更に付け足します。

『修己以安百姓』
己を修めて以て百姓(ひゃくせい)を安んぜよ。己を修めて以て百姓(ひゃくせい)を安んずるは、堯、舜も其れ猶(なお)諸(これ)を病(や)めり。

自分自身を修練し、更に一般民衆が幸福な生活を送れるようにしなさい。
堯、舜のような聖賢の君子であってもこれについては十分出来ない点があった。
そこまで出来て、どうして君子と呼ぶに足りないなんていうことがあるだろうか。

つまり、修己を怠らないことが大切なのです。

これと同じ言葉に『修己治人』という言葉があります。

古の明徳を天下に明らかにせんと欲するものは先ずその国を治む。
その国を治めんと欲する者は先ず其の家を斎ふ。其の家を斎へんと欲する者は先ず其の身を修む。その身を修めんと欲する者は先ずその心を正す。その心を正さんと欲する者は先ず意を誠にす。其の意を誠にせんと欲する者は先ずその知を致す。その知を致すは物を格すに在り。

大学には「心正しくして身は修まり、身が修まれば家が治まり、国が治まり、そして天下は平らかになる」と言っております。
孟子も「天下の本は国、国の本は家、家の本は一身にある」と言っております。

『修己』を知るということが、すべての始まりなのです。

さくらさく 桜文化と桜の伝搬

<桜咲く3部>
さくらさく この花の起源
さくらさく 桜文化と桜の伝搬
ポトマック河畔にさくらさく

中国人学者の張氏は、宋の時代に日本に伝わったと主張されていますが、少し勉強不足のようです。

上に示したように、古代日本時代から桜は繁栄の証とされており、伝来はかなり昔と推測され、宋の時代(960年~1279年)は、平安時代(794年~1192年頃)の後期に重なります。花を観賞するという文化が輸入された可能性は否めさせんが、桜が宋から齎されたという主張は無理があります。ただ、宋(隋・唐等々)に赴いた僧や官僚が桜の木の苗を持ち帰った可能性は否定できません。

中国では牡丹などの花が喜ばれます。

では、何故、中国でそれほど注目されていない桜の木を持ち帰ったのでしょうか?

古代の中国では、シナミザクラのことをオウといい櫻と表記したそうです。

 Photo_5

古代中国では、貝は子安貝のことを表し貴重品や財宝として珍重されていました。

その貝が二つ並ぶことで、首飾りをあらわしていたそうです。

さくらんぼの実が首飾りの玉に似ているところと、母親のところにまとわりつく赤ちゃんの唇の色にも似ているところから櫻という字が使われるようになり、首飾りの玉のような実がなる木というのが一般的な解釈だそうです。

三国志に劉備、関羽、張飛が義兄弟の契りを結んだ。これを『桃園の誓い』といいいます。桃と言われるので、桃の木と思えば差に非ず。桃色の美しい花をつける木のことです。

中国で「桜(櫻)」という字は、ユスラウメを意味しますが、「桜桃」(おうとう)もユスラウメと意味します。つまり、中国では同じ文字になってしまいます。

もしかすると、『桃園の誓い』は桜の木の下で行われたのかもしれないのです。

この『桜桃』(おうとう)がシナミザクラです。別名としてカラミザクラ(唐実桜)と呼ばれ、中国原産で食用になります。そうご存じ、サクランボのことなのです。

サクランボは、桜の実という意味の「桜の坊」が変化した言葉です。

中国の華北・華中を中心に支那桜桃(シナノミザクラ, Prunus pseudocerasus)・唐実桜(カラミザクラ)が分布し、漢の時代に編纂された礼記『月令』の仲夏(旧暦5)の条に「是月也,天子乃以雛嘗黍,羞以含桃,先薦寢廟」との記述も残っております。上で紹介した三国志の『桃園の誓い』に現れる木も『桜桃』(おうとう)で間違いないでしょう。

では、日本に入ってきたのはいつでしょうか。

正確に判るものでは、江戸時代に清から中国桜桃が伝わったがあまり広まらず、西日本の一部で現存しているだけです。

文献から調べてみますと、

国指定重要文化財の大善寺玉垂宮所蔵の掛軸(玉垂宮縁起、建徳元年銘《一三七〇》のいただいた由緒書によれば玉垂命は仁徳五五年(三六七)にこの地に来て、同五六年に賊徒(肥前国水上の桜桃ゆすら沈輪)を退治。同五七年にこの地(高村、大善寺の古名)に御宮を造営し筑紫を治め、同七八年(三九〇)この地で没したとあり、先の端正元年に没した玉垂命とは別人のようだ(『吉山旧記』による)。

『吉山旧記』の中の桜桃(ゆすら)は賊徒という人物名ですが、桜桃の文字が示されています。

つまり、かなり古い時代から桜桃が伝来したことが伺われます。

しかし、『桜桃』(おうとう)の資料に食用としての記述は中々見つかりません。梅のように食用として日本に伝わった可能性が小さいと思われます。

桜は古代日本にある花で『古事記』、『日本書紀』に書かれているように貴重な花とされていました。しかし、平安時代になるまで春の歌に使われるのは梅であり、桜の歌は数少ないのです。

劇的に桜が見直されるきっかけがあったハズなのです。

実は仏像に秘密が隠されていました。

京都東寺(教王護国寺)の兜跋毘沙門像は、中国産の魏氏桜桃Prunus Wilsoni Koehneで造られているのです。

他にも、京都清涼寺阿弥陀堂本堂の釈迦如来像(本尊)、神奈川清雲寺の滝見観音像(裳裏)、神奈川清雲寺の滝見観音像(背下)も魏氏桜桃の木を使っています。

この東寺の兜跋毘沙門と清原寺 の釈迦像は、東大寺の僧 奝念(ちょうねん)が平安中期の永延元年(九八七年)に宋から請来したものです。

昭和二十年代に従来の国宝が重要美術品と呼ばれる格づけになり、この像も新国宝にするため調査が行われました。すると、胎内に五臓模型が収められてい ることがわかり、世界最古の内臓模型をもつものとして世の注目を浴び ることになったのです。さらに、胎内から記録が出て、奝念が揚子江の沿岸の台州で造像博士張延皎に模刻させて持ち帰ったことも明らかになった訳です。伝承では、インドから中国、そして日本と三国伝来と言われていた仏像が中国で造られた仏像であったことが明らかになった訳です。

こうして、この仏像の用材が台州付近に産する魏氏桜桃であることが判明したのです。

もしかすると、奝念が『桜桃』(おうとう)の一枝が持ち帰られ、それを源流として日本の桜が生まれたのかもしれません。

『日本後記』弘仁三年二月辛丑に「神泉苑の幸して花樹を覧る。文下に命じて棉を賜うこと差あり、花宴の節はここに始また。」『編年記』

このとき南殿の桜が嵯峨天皇の勅命で植えられた。いろいろな桜が一所に植えられたので、花におのずから遅速であり、「開花又異なり其の色もまた各別である」と記されています。

つまり、記録に残る日本最古の桜のお花見は、嵯峨天皇が812年(弘仁3年)に神泉苑にてもよおした日本後紀に記される『花宴の説』だのです。

奝念(ちょうねん)が仏像を持ち帰ったのが987年ですから、175年も前から桜の花見が催されていたことなります。812年(弘仁3年)は中国ではまだ唐の時代です。唐より後の宋の時代から桜を持ち帰り、それを日本人が愛でるようになったという理屈は無理のようですね。

しかし、桜文化のヒントはそこに隠されていました。

平安時代は、

日本天台宗の開祖である伝教大師 最澄(767~822)、高野山に真言宗を開いた弘法大師 空海(774~835)と平安仏教が花開いた時代です。

特に吉野では、桜が蔵王権現(ざおうごんげん)の神木であるとされ、行者達は桜材を使い権現を彫刻し、これを祀る習わしとなりました。

蔵王権現(ざおうごんげん)は、インドに起源を持たない日本独自の仏で「権(かり)の姿で現れた神仏」という意味です。役小角が吉野の金峯山で修業中に示現し、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体したものとされています。

この高野山と吉野を拠点としたのが、弘法大師 空海です。

・木造兜跋毘沙門天立像(奈良県指定文化財)平安時代 一木造りサクラ材

・法隆寺 釈迦三尊像 平安時代 一木造りサクラ材

奈良時代でサクラ材を使った仏像はあまり見当たりません。

やはり、弘法大師やその他の遣唐使たちが持ち帰った知識と考えられます。

そうなのです。

吉野に桜が多いのは、こうした理由からなのです。

そう中国よりサクラ材で仏像を彫るという知識が伝搬したからこそ起こった一大センセーショナルなのです。

桜の木は古来より神聖な木とされており、その神聖な木で仏像を彫るとありがたい仏像が生まれるという考え方が生まれたのです。

平安の世が落ち着いてゆくにしたがった貴族たちが挙って仏像を造らせました。

その材料となる桜が各地で植えら、山々や貴族の田園や庭にも植えられ、春を鮮やかに飾る桜文化が華開いたのであります。

平安時代に桜文化が花開いた日本では、野山に咲く桜だけでなく、中国や朝鮮からも多くの苗を取り入れたことでしょう。

いつの時代までかは特定できませんが、桜桃の苗も輸入されたかもしれません。

原種の植物は、基本的に異品種の交配により、同種内の遺伝子に幅を持たせるような遺伝子構造を持っております。多くの桜が交配されて、新しい桜が生まれていったことでしょう。そんなことを繰り返しながら、現代の桜の祖先が生まれていったことでしょう。

<<『桜の起源は中国 宋代に日本に伝わる』は大間違い>>

桜の原種はヒマラヤ山脈かもしれません。しかし、数百万年前の地層から桜の葉の化石が日本で発見されているように、最古の話で人類が存在する以前の話なのです。

中国や朝鮮の桜の起源が日本などとは申しませんが、日本にも昔から桜があったのです。

仏教の伝来と同じくして、桜の苗が梅などと元に日本に伝来したかもしれません。

中国に20種、その内の9種が日本に入ったと一般的に言われます。

それらの桜と日本原種の桜が交配し、現代の桜を形成しています。

中国科学院武漢植物園の専門家の張忠慧氏は

当初の桜、つまり山桜と野桜は代表的な中国の桜だ。

日本の桜は重弁花で、野桜と山桜は単弁花だと主張されています。

しかし、日本の原種のエドヒガン (江戸彼岸)も単弁花もあり、樹齢2000年の神代桜はエドヒガンの自生種です。

Photo_2

〔中国産の桜桃〕

Photo

〔日本産のエドヒガン〕

中国の桜が単弁花だから、日本の単弁花の桜はすべて中国から伝来したというのは思い上がりというものです。

2000年も遥か古代に、食用でもない桜の木を誰が運んだのでしょうか?

宋の時代(960年~1279年)以前に日本にも桜が自生したことも知らないのでしょうか。

もう少し勉強された方がよろしいのではないでしょうか。

ただ、何度も申しますように、

平安時代、遣唐使などを通して仏教がより深く伝来し、それに伴って桜文化が花開きました。より美しい桜の花を咲かせる為に、多くの人たちが努力されたことでしょう。

その中に中国や朝鮮などから新しい桜の苗が取り入れられたとしても不思議ではありません。

すばらしいものを受け入れることに、何の抵抗があるのでしょう。

桜の木材で仏像を彫るという技術が伝搬し、

神聖な桜の木で仏像を彫る。

仏像を彫る為に桜の木を植える。

植えた桜の木で花見を行い、春を楽しむ。

日本に桜文化をもたらしたのは中国なのです。

私は日本にすばらしい文化を齎した中国に感謝しています。

どうか、その感謝を自ら泥を塗るような稚拙な嘘で穢さないで下さい。

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中国専門家:桜の起源は中国 宋代に日本に伝わる

http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2013-03/27/content_28371002.htm

武漢大学のキャンパスは桜の名所だ。記者がこのほど武漢の桜の名所を取材した際、武漢大学園林環境衛生サービスセンターの黄徳明主任、中国科学院武漢植物園の専門家の張忠慧氏、磨山管理所の園林エンジニアの張艶芳氏は、桜は中国原産で、宋代に日本に伝わったと主張した

 

日本の史書、桜の原産地は中国と証明

張氏は、「日本の権威ある桜専門書・桜大鑑には、桜の原産地は中国であり、日本で名を馳せたとされている。桜の起源はヒマラヤ山脈にあり、その後日本に伝わり、桜の変種が発展した地方となった」と述べた。

張氏は、「当初の桜、つまり山桜と野桜は代表的な中国の桜だ。日本の桜は中国の宋代の頃より、中国の野生の桜の栽培を開始した。さらに現地で改良を続け、現在の有名な日本の桜に進化した」と語った。

日本の桜は重弁花で、野桜と山桜は単弁花だ。これを鑑賞した場合、日本の桜はボリューム感があり、野桜と山桜は寂しさが目立ち、木の寿命も短い。しかし野桜と山桜の鑑賞期間は20日以上に達し、日本の桜より1週間ほど長い。

文化の差、桜が日本の象徴に

桜は中国原産であるにも関わらず、なぜ桜は日本の象徴とされるのだろうか。

 

張氏は、「これは長期的な文化の差により形成された誤解だ。中国の歴史において、桜は他の名花ほど知られていなかった。中国人は富を象徴する牡丹、高潔な品格を示す梅の花を好む。日本人にとって、桜は純粋かつ剛直で、潔く滅び行くイメージがあり、武士道の精神に合致する」と指摘した。

 

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2013327

さくらさく この花の起源

<桜咲く3部>
さくらさく この花の起源
さくらさく 桜文化と桜の伝搬
ポトマック河畔にさくらさく

淡いピンクに囲まれて、散歩道を歩いてゆく。

散り逝く花びらがちらりちらりと降り注ぐ。

今年はホンの少しだけ長く楽しめた。

今日の雨で散ってしまうかもしれないと思いながらも空を見上げた。

あもりつく  あめのかぐやま  かすみたつ  はるにいたれば  まつかぜに  いけなみたちて  さくらばな  このくれしげに

おきへは  かもつまよばひ  へつへに  あぢむらさわき

ももしきの  おほみやひとの  まかりでて  あそぶふねには  かぢさをも  なくてさぶしも  こぐひとなしに 

鴨君足人香具山歌一首

万葉の歌人、鴨君足人は櫻花が木の下が暗くなるほど満開になっているのに、舟に乗って遊ぶ人も泳ぐ人もいなくなって寂しいと嘆いております。

この詩は葛城を中心として繁栄した鴨氏(注1)は、今は見るものもなく寂しいものだと嘆いている歌なのです。

この「あめのかぐやま」は「あまのかぐやま」と呼ばれ、天から降ってきた山という意味です。この香具山で有名な歌が持統天皇の詩です。

春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 

    衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま)

訳:いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏にな

 ると真っ白な衣を干すと言いますから、あの天の香具山に(あの

 ように衣がひるがえっているのですから)。

非常に情感に溢れた歌ですね。

洗濯ものひらひらと棚引いている景色がありありと見えるようです。強い日差しが照りつけて、手を翳して、指の合間から香久山を覗いて、「あぁ、もう夏だな!」と呟いているような気がしませんか。

しかし、正しく読むと可笑しなところが沢山あります。

「天の香具山」は神々が天から降ってくる聖地に、下着を干すというのは如何にも不遜な気がしませんか?

伊勢神宮や靖国神社の境内に洗濯物を干している情景を描いてみて下さい。

奇妙な気がしますね。

では?

この聖域に干してある衣とは何でしょうか?

それは天の衣しかありません。

天女の羽衣と言えば、『羽衣伝説』が残されております。

天女の羽衣を奪い取り、天女を手に入れた話です。

感のいい方はもうお判りですね。

持統天皇の父は天智天皇で母が蘇我遠智娘です。夫は天武天皇です。

天武天皇が天智天皇の政権を倒して、わが世の春が来たかと思っていると、いつの間にか繁栄して、真夏のように盛り上がっている。

しかし、

気が付けば、夫(天武天皇)が病魔に倒れ、香具山に天女の羽衣が目の前にひるがえっているではないでしょうか。

そういう政権奪取の詩なのです。

怖いですね。

怖い話と言えば、

崇峻天皇の「天皇指猪而詔曰。如断猪頸、何時断朕思人。」と歌うと、蘇我馬子に逆に暗殺されました。

歌の裏読みは、時として命取りになり兼ねない時代だったようです。

それはともかく、

この7世紀後半から8世紀後半ころにかけて集められた歌集が万葉集です。

万葉集には、桜の詩が40首ほどありますが、やはり春とは梅のことで梅の詩は119首と萩に次いで2番目に多く使われております。

春を待つ喜びは梅で、桜は散り際の哀愁を歌っているような気がします。

この万葉集に詠まれた歌は、天平期(729749年)に集中していることが特徴である。

ところで『古事記』には梅(モ)が確認されていません。

『日本書紀』には、モ(mo)が13字確認されており、内の1つ梅(モ)が含まれています。

巻九の以下 

故時人号其処、曰梅豆羅国。今謂松浦訛也。

神功皇后が細鱗魚(年魚)を獲る話です。これは、「松浦」(マツラ)という地名の起源説話であり、もともとは【梅豆羅】(メヅラ)と命名された。

【梅豆羅】(メヅラ)から連想される語源は、“めずらしい”と考えられるので、『梅』は珍しいと訳すべきでなのでしょう。

つまり、古代日本において、梅は貴重な植物であり、自然に生育されていなかったことが伺えます。

古文書の中で、梅が最初に使われたと言われるのは、

『懐風藻』の葛野王の作に「春日翫鶯梅」に詠まれています。一般に7世紀後半に中国から食用・薬用にする為に輸入されたという説を裏付けとされていますがどうでしょうか。

そうなると『民のかまど』(注2)で有名な仁徳天皇が詠われた

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

王仁(わに)、和邇吉師(わにきし)〔古事記〕(注3)

訳:難波津に、咲いたよこの花が。冬の間は籠っていて、  

今はもう春になったので、咲いたよこの花が。

百人一首になっているこの詩は、仁徳天皇が自らの即位を春の枕言葉に表した一首です。

さて、この中に描かれる『この花』は何の花なのでしょう。

一般的には、梅と言われていますが、

梅が7世紀後半に入ってきたと推測すると、奇妙なことになってしまいます。

仁徳天皇は第16代天皇で、第26代継体天皇507?-531?の10代も前の天皇です。少なくとも6世紀以前の人物と思われます。

つまり、梅の渡来に100年余りの誤差がある訳です。

梅は、早い春を告げる白や桃色の花をつけ、何とも言えない香りをはなち、こよなく愛する花木です。

梅の原産地は中国の四川省や湖北省と言われます。

発音は、日本語が梅(うめ)、中国で梅(メヲ)と呼ばれます。漢字の中に『母』と字が隠されています。

中国の書物における梅の記載は、この梅は実は徐福ともつながりがありそうです。梅が中国の書物に記載されたのは、孔子が編んだ最古の詩集である『詩経』に「標有梅」とあるのが最初です。

『詩経』は紀元前11世紀から7世紀にかけての500年間の詩を集めたものですが、そこに書かれている梅は、女性が男性に梅の実を投げて愛情を表現した歌です。

 投げる梅の実 その実は七つ あなたわたしが欲しいなら 良いお日柄をはずさずに

 投げる梅の実 その実は三つ あなたわたしが欲しいなら 今この時をはずさずに

 投げる梅の実 もうないわ  あなたわたしが欲しいなら 今すぐ言葉をおかけなさい

熟した梅を熟女となぞらえて、梅を投げることが求婚の証とされていたようです。

縄文時代の遺跡に梅の遺跡はありません。

そのことからも梅が日本原産の植物でないことは明らかです。

中国では、紀元前11世紀から7世紀の『詩経』に梅の記述が載っていたということは、梅の木が普及していたことを表しています。

では、春秋戦国・秦・漢時代から日本に渡ってきた可能性はないのでしょうか?

ありました。

弥生時代と古墳時代の遺跡に梅の遺物が残っていました。

  弥生時代前期 山口県平生町 岩田遺跡(モモとともに)

  弥生時代前期 大阪府八尾市 亀井遺跡(梅の自然木の断片)

  弥生時代前期 山口県綾木郷 台地遺跡

  弥生時代中期 山口県熊毛町 岡山遺跡

  弥生時代中期 京都府綾部市 青野遺跡

  弥生時代後期 奈良県榛原市 高塚遺跡(モモ・クリと共に)

  弥生時代後期 東京都板橋区 前川泥炭層(梅の破片2個)

  古墳時代前期 山口県平生町 吹越遺跡

  古墳時代前期 奈良県桜井市 大西遺跡

  古墳時代前期 愛知県豊田市 伊布遺跡

梅が日本に渡って来たのは弥生時代前期となります。

最も古いのが山口と考えられ、そこから日本全国に広まっていったとも思えます。

そうそう、山口県には、徐福が上陸した土井ヶ浜遺跡があるので、もしかしたら徐福伝説とも共に上陸したのかもしれません。

梅が入ってきたのは7世紀後半ではなく、弥生時代ということが判りました。

しかし、5世紀の倭の五王(わのごおう)時代には、梅豆羅から推測されますように珍しい植物で大王(おおきみ)などの有力豪族にしか手に入らない貴重なものだったに違いありません。

しかし、7世紀後半から描かれる万葉の歌で119首も詠われるのを見ますと、7世紀後半には普及していたと考えられます。6世紀後半から7世紀に掛けて、輸入あるいは育成が盛んになったのでしょう。

6世紀と言えば、

513年に百済より五経博士が日本に来日し、儒教が日本に伝わる。

538年に百済の聖明王が仏像と経論を朝廷に送り、日本に仏教伝来する。

587年に排仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子の間で丁未の乱が起こり、蘇我氏の物部氏を滅ぼす。

593年に聖徳太子が推古天皇の摂政となる。

600年に日本が第1回遣隋使を派遣する。

このように蘇我、聖徳太子の時代になってから、仏教を始め新しい文化を導入することに熱心になった時代です。

梅の木もその頃に多く輸入され、さらに育成の技術も入って来たのでしょう。

梅は桜より早く咲くことから春を表す代名詞となり、こうして7世紀後半には万葉集に梅の詩が多く歌われたのでしょう。

さてさて、桜が起源はどこなのでしょう。

<桜の起源>

どこかの国が、日帝時代に自国より持ち帰ったんだ。

なんていう法螺を言っていますが、これはまったくの嘘です。

1000年以上も前の万葉の歌になっている桜が、タイムスリップでもしない限り、118年前の日清戦争1895年以後に持ち帰った桜が万葉集に載ることはありません。

詳しくはこちらの方に書いておきおります。

『ポトマック河畔にさくらさく』

http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-32f9.html

植物界バラ目バラ科のサクラ属は約400種からなると言われます。また、固有種・交配種を含め600種以上の品種が存在しまう。その中で果実の特徴からサクラ亜属 subg. Cerasus と呼ばれます。日本に自生するサクラ亜属は57種類ほどが認められており、変性や交雑などから数十種類の自生種が存在するそうです。が、難しくて良く判りません。

サクラの原産地はヒマラヤ近郊と考えられており、北半球の温帯に広範に分布しております。ヒマラヤ原産の桜は中国に渡り30種の原種を作り、その内の9種が日本に来たと考えられます。

その内で、ヤマザクラ、オオシマザクラ、エドヒガンなど10種ほどが自然種と認められており、ソメイヨシノの片親であるオオシマザクラは伊豆大島など南部暖帯に自生する固有種で少なくとも数百万年前から自生していると考えられます。それを裏付けるように鮮新世の地層とされる三朝層群からムカシヤマザクラの葉の化石が見つかっています。

また、日本三大桜の一つ、野生のエドヒガンザクラである神代桜(じんだいざくら)は推定樹齢は2000年と言われ、1922 (大正11年) 1012日に日本最初の国指定天然記念物に指定されています。

  

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(山梨県北杜市武川町の実相寺内)

言い伝えでは、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折に植えたと言われ、それが名前の由来になっています。

また、13世紀ごろ、日蓮聖人がこの木の衰えを見て、回復を祈ったところ再びう命の躍動を取り戻したことより、「妙法桜」ともいわれています。

さらに、『古事記』、『日本書紀』には、

木の花(桜の花とされる)が咲くように美しい女性という意味で、桜の名を持つ木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)、木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)がいます。

木花之佐久夜毘売は、オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)の娘で、オオヤマツミは神産みにおいて伊弉諾尊と伊弉冉尊との間に生まれた神です。

さらに、木花之佐久夜毘売は天照大神の孫天孫ニニギノミコトと結婚し、ホデリ・ホスセリ・ホオリ)の三柱の子を産みます。

ホオリ(火遠理命:ほおりのみこと)は海神の娘のトヨタマビメ(豊玉毘売)を妻とし、「日子波限建鵜葺草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)(神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)の父)」をもうけた。

この日子波限建鵜葺草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)こそ、初代天皇の神武天皇(じんむてんのう)であります。

つまり、桜の名を持つ木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)は、日本の系図に深く関わっていることが伺われるのです。

また、オオヤマツミが「コノハナノサクヤビメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろう」と言っていることから、桜は繁栄の象徴でもあるのです。

その中に桜の文字が現われるのは、『日本書紀』です。

花はぐし 桜の愛で 同愛でば 早く愛でず 我が愛づる子ら

これは桜の最古と言われる歌で、允恭天皇が衣通郎姫を思って詠んだものと言われています。衣通郎姫は、『古事記』、『日本書紀』に書かれている衣通姫伝説(そとおりひめでんせつ)です。木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)、軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)という兄妹が愛し合い、別れ、再会し、愛し合いながら自害するという悲しいラブロマンスです。允恭天皇は二人の兄妹の父なのです。

“はぐし”にはつっかえ棒が外されたという意味があり、花を外されたと読むべきなのでしょうか。花はずしは繁栄から外れたという意味で、花が咲く蕾とでも読むのでしょうか。

“愛()”が4回も書かれえおり、“同(こと)”と読みますから“ことめ”と読めます。“ことめ”は、小姑(こじゅうとめ)と書き、夫の姉妹にあたる人を差します。同じように、“コトメ子”はコトメの子どもといい夫の甥・姪に当たります。

当然、“同愛”は木梨軽皇子と軽大娘皇女のことでしょう。

允恭天皇が自らの子供達を“道を外した可愛い子供達だが、それでも愛さずにいられない”と言った感じの歌なのでしょう。

桜の観賞は、9世紀前半に嵯峨天皇が南殿に桜を植えて,宴を催したのが最初と言われています。平安時代に移り、春の花が桜へと変わっていったのです。野生の桜を都市部に移植して、桜の花見の風習が始まり、その後,貴族から武士や大衆へ,そして都から地方へと広まっていきました。

豊臣秀吉が我が故郷吉野と醍醐(京都)で盛大な花見を催したのは有名な話です。

3代将軍家光が上野に寛永寺を建てて吉野の桜を移植し,隅田川河畔にも桜を植えました。8代将軍吉宗が飛鳥山を桜の名所にしました。歌舞伎の忠臣蔵で「花は桜木、人は武士」という台詞が平然と言われるくらい、日本の花となっていきました。

おかげで江戸時代末期に登場したソメイヨシノは日本中に花見の風習を広く普及に貢献し、日本全国の文化となっていったのです。

その為に、春の訪れとともに咲くのが桜の80%がソメイヨシノと言われております。しかし、自生種(山桜を代表とする桜)、一重の里桜(染井吉野が代表)、そして、里桜(八重~半八重桜)があり、大きく分けて9種類、全部で400種類以上の桜が春を彩っているのです。

さて、あなたの桜の名所はどこですか?

春といへば誰も吉野の花をおもふ心にふかきゆゑやあるらん 

訳:春と言えば,誰でもまず吉野の桜を思うはずだ。その気持ちに何の深い訳などあるだろう。

注1:鴨は賀茂とも呼ばれる安部氏に並ぶ陰陽の祖先、「沖の方では鴨が妻」母神の多紀理毘売の命、「岸の方では味鴨」阿遅鋤高日子根命 、「船には梶も棹もなく」は妃の天御梶日女命を祀る出雲の多久社で大船大明神と呼ばれ、葛城を中心として繁栄した。

注2:高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑ひにけり

注3:応神天皇の時代に百済より来朝。『論語』『千字文』を伝来し、皇太子宇治稚郎子(うじのわきいらつこ)に典籍を講読したと伝わる。書首(ふみのおびと)などの祖とされる。楽浪郡の豪族の王氏の後裔とする説や、百済第16代辰斯王の子辰孫王とする説などがある。

■万葉集で桜(さくら)を詠んだ歌

 

0829: 梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや

 

<藥師張氏福子(くすしちょうしのふくし)

 

 

 

烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良婆那 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也

 

 

 

梅の花が咲いて散ったら、すぐに続いて桜(さくら)が咲きそうになっているではないですか。

 

<平2年1月13日、大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で催された宴会のときに詠まれた歌の一首>

 

 

 

1212: 足代過ぎて糸鹿の山の桜花散らずもあらなむ帰り来るまで<作者:不明>

 

 

 

足代過而 絲鹿乃山之 櫻花 不散在南 還来万代

 

 

 

足代(あて)を過ぎて糸鹿(いとか)の山まで来てしまいました。私が戻ってくるまで桜が散らないで欲しい。

 

(注):「足代(あて)」は、現在の和歌山県有田市、有田郡あたり

 

 

 

1425: あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも<春雑歌 山部赤人>

 

 

 

足比奇乃 山桜花 日並而 如是開有者 甚恋目夜裳

 

 

 

山桜が連日満開だ、こんなに長く満開が続けば山桜をひどく恋する事などないだろう。

 

 

 

1430: 去年の春逢へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へけらしも(若宮年魚麿 わかみやのあゆまろ)

 

 

 

去年之春 相有之君尓 戀尓手師 櫻花者 迎来良之母

 

 

 

去年の春にお会いしたあなたのことが恋しくて、桜の花が咲いて迎えているようですね。

 

<はおとめらのかざしのためにみやびをの...の反歌>

 

 

 

0257: 天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば 松風に 池波立ちて 桜花 木の晩茂に

 

   奥邊は 鴨妻呼ばひ 邊つ辺に あぢ群騒き

 

   ももしきの 大宮人の 退り出て 遊ぶ船には 楫棹も 無くて寂しも 漕ぐ人なしに

 

 (鴨君足人(かものきみ たりひと)の香具山の歌一首 并に短歌)

 

 

 

   人漕がず あらくもしるし 潜きする

 

          鴦とたかべと 船の上に棲む

 

 

 

   何時の間も 神さびけるか 香山の

 

          桙杉の本に 苔生すまでに

 

 

 

   右、今案(かむが)ふるに、都を寧樂(なら)に遷(うつ)しし後、舊(ふる)きを怜(あはれ)びてこの歌を作るか。

 

 

 

<原文>

 

原文と読み

 

鴨君足人香具山歌一首

 

天降付  天之芳来山  霞立  春尓至婆  松風尓  池浪立而  櫻花  木乃晩茂尓

 

あもりつく  あめのかぐやま  かすみたつ  はるにいたれば  まつかぜに  いけなみたちて  さくらばな  このくれしげに

 

奥邊波  鴨妻喚  邊津方尓  味村左和伎 

 

おきへは  かもつまよばひ  へつへに  あぢむらさわき 

 

百礒城之  大宮人乃  退出而  遊船尓波  梶棹毛  無而不樂毛  己具人奈四二 

 

ももしきの  おほみやひとの  まかりでて  あそぶふねには  かぢさをも  なくてさぶしも  こぐひとなしに 

 

 

 

反歌二首

 

人不榜  有雲知之  潜為  鴦与高部共  船上住

 

ひとこがず  あらくもしるし  かづきする  をしとたかべと  ふねのうへにすむ

 

 

 

何時間毛  神左備祁留鹿  香山之  鉾榲之本尓  薜生左右二

 

いつのまも  かむさびけるか  かぐやまの  ほこすぎがもとに  こけむすまでに

 

右今案遷都寧樂之後怜舊作此歌歟

 

 

 

 

 

天降って来た天の香具山は、霞の立つ春になると、松風に池の波が立ち、桜の花は木の下が暗くなるほど繁り、沖辺では鴨が妻を呼び、岸辺ではあじがもの群れが騒いで、かつて大宮人が宮殿から退出して遊んだ船には、今は梶も棹も無くて淋しい。漕ぐ人も無くて。

 

反歌

 

水にくぐるオシドリとコガモとが舟の上に住んでいるのを見れば、人が漕がずに捨ててあることがはっきりわかることだ。

 

何時の間にまあこんなに古めかしくなっていまったのだろうか。香具山の鉾杉の根元に苔の生えるほどに。

 

 

ポトマック河畔にさくらさく

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<この歴史館へGO! 歴史のブログ>

<桜咲く3部>
さくらさく この花の起源
さくらさく 桜文化と桜の伝搬
ポトマック河畔にさくらさく

桜と言えば、ソメイヨシノだ。
ソメイヨシノは、江戸末期に江戸の染井村に集落を作っていた造園師や植木職人達によって育成された。明治初期に樹齢100年を達するソメイヨシが確認されていた記録から1720~1735年ごろに人工交配されたのでないだろうか。
吉野に咲くヤマザクラ「吉野桜」と混同しない為に「染井吉野」と命名したという。天気予報の開花宣言でお馴染みとなったソメイヨシノは、日本を象徴する桜と言っても過言ではないだろう。
そんな日本の桜が、ワシントンDCのポトマック河畔でも満開らしい。

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(植樹から100周年を迎えたワシントンの桜 AFP=時事)より

<困ったちゃんの起源説>
植物分類学の小泉源一博士が、1939年に韓国の済州島に自生する王桜とソメイヨシノを比較し、同一種として済州島を発祥地とする説を唱えた。

2012年には、ワシントンDCのポトマック河畔に植えられた桜の『日米桜寄贈100周年』も執り行われた。この桜は尾崎行雄東京市長をはじめとする多くの方の尽力により実現したもので約3,000本の桜が贈られ咲き誇っている。それは日露戦争を講和に導いてくれたアメリカの恩義に報いようとした日米の友好証なのだ。
大正8年(1919年) 61歳になった尾崎が外遊の際
「異国(とつくに)の春の光を添へなんと
         寄せし桜の花 この日咲く」
と再会した桜に贈っている。

しかし、この桜には、困った謂れがある。
『ワシントンの正直桜の話』
アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは
子供の頃、お父さんが大切にしていた桜の木を
切り倒してしまいました。
「これは誰がしたのだ。」とお父さんが尋ねたので、
「私が切り倒しました。」と正直に答えました。
お父さんはワシントンの正直な事を喜びました。

これは、伝記作家のパーソン・ウィームズがジョージ・ワシントンの死後に子供向けに書いたThe Life of Washington (1800)の中で書いた作り話で、
褒めた本当の理由は「正直に答えたからではなく、そのときジョージ・ワシントンはまだ手に斧を持っていたからだ」、というオチである。
M・ハーシュ・ゴールドバーク( M..Hirsh Goldberg)著 「世界ウソ読本 The BookOfLies」によると、パーソン・ウィームズは、出版社に「ワシントン伝記」で一儲けしようと持ちかけてワシントンの逸話を集めて出版されたそうだが、ワシントンが正直であることを伝える為につかれた嘘の話だった訳だ。

しかし、奇妙なことにこの桜の話には尾びれ付き、アメリカの弁護士会の仲間内で「ワシントンの父は切り倒された桜のDNAと斧についていた桜の切りくずのDNAテストを事前に調べていたことを知っていたので、正直に答えざるを得なかったというのだ!まあ、DNAテストは確かに今や絶対的証拠に近い。」などと語られたらしい。
つまらない、アメリカンジョークなのだが、信じる馬鹿が本当にいたのだ。

それは、この桜のDNAテストの結果で、この桜のDNAは韓国の済州島で天然記念物に指定されている美しい王桜のDNAと一致しているからだという。

はっきり言わせて貰おう。
これはまったくの嘘である。
そもそも寄贈された桜は、ソメイヨシノの1種でない。明治45年(1912年)に贈られた桜は染井吉野ほか12種類3000本の苗木である。(ソメイヨシノが1800本、関山桜350本、一葉桜160本等の12種類、そのうち御衣黄桜20本は全てホワイトハウスの庭に植えられたと詳しく記録している。)
ソメイヨシノが最も多く寄贈されているのでそこに目が向いてしまうが、そもそも1種類でないことも判っていないことが問題である。

さらに、米国農務省がDNA鑑定を行い、ソメイヨシノと王桜は別種であると2007年6月に結論しているので疑う余地もない。この分析を行ったのは、すべて韓国系か中国系の研究者であるというのだから信憑性はより高い。

それでも韓国系の方は、ソメイヨシノが王桜だと信じている。
2009年4月6日に聯合ニュースが記事に、韓国国立山林科学院暖帯山林研究所のキム・チャンス博士がDNA分析を行ったところ、「ポトマック川で採取した桜と王桜は同じDNAを持ち、日帝強制支配期に日本人が済州島の王桜を改良・増殖して、それをワシントンDCに送ったものだ。」という論文を掲載した。
そもそも、採取した桜がソメイヨシノと限らない。さらに「改良・増殖」と書かれているので完全に一致したのではなく、一部が一致したのであろう。
ソメイヨシノと王桜が別種の桜であることは判っているので、おそらくソメイヨシノ以外の桜を採取し、一部が一致したと言っているのだろう。
そして、アメリカ人や多くの外国人がその桜を褒めれば褒めるほど、桜祭りが盛大になってゆくほど、それを根拠に「ワシントンDCのポトマック河畔に植えられた桜は、韓国産の桜だ」と今もロビー活動を続けている。
12種類の桜を寄贈したのは紛れもない日本人であり、日米の友好証に飛んでもない横やりを入れられた訳だ。

美しい桜は、日本の象徴とされて贈られることが多い。
桜を送るというとスポンサーも付きやすいらしいので、それを『桜外交』と言ってもいい。
しかし、桜はどこに植えても咲く花ではない。
況して、ソメイヨシノは病気に弱い。
植えても咲くとは限らない。桜が綺麗に咲くように、枯れないように、そんな桜達を影で支えるのが、造園家達である。
そんな造園家達にとって、「ポトマックは桜の海外植樹の聖地」であるらしい。寿命が約60年の桜が100年以上も枯れずに満開に咲き誇るのは奇跡のようだ。さらに、幹にカビが繁殖し、樹洞(ムロ)が出来ると桜の木は自重で倒れにくくなり、『姥桜(うばさくら)』へと変わってゆく。すると百年、千年と寿命が延びてゆくそうだ。

日米の友好証が千年と延びてゆくことを祈りたいものだ。

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“桜外交”を支える造園家の苦労――ポトマック河畔の桜が100周年
http://www.fsight.jp/11301
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日米桜寄贈100周年
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/usa/sakura100.html

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