月畢(ひつ)を探して
晴れた夜空を見ると、星を探してしまう。
今日は、おうし座ωが食になる。
月は見えても、どこにωがあるか判らない。
明るい星は木星だ。
その下の少し劣る星はアルデバランだろう。
アルデバランを探すには、いて座の三ツ星を見つけ、大きな弧を描くように右手に伸ばしてゆく。そこにある星がアルデバランだ。さらに伸ばすとプレアデスが見つかるハズだ。
しかし、ω星もプレアデスも見つけることはできない。
畢の横を通り過ぎる月を見るには、星の耀きが町の明るさに負けてしまうからだ。
目を閉じて、月がかかるを想い浮かべ、手を高く上げる。
畢(畢)とは、畢宿のことでヒヤデス星団をいう。
『詩経』の「周代の武人の行路難」(※)のように、月畢が掛かると雨を呼ぶと思われてきた。
三国志の有名な諸葛亮公明が、建興7年秋7月に司馬懿が蜀へ攻撃をかけた時に「畢星が太陰(月)の軌道にかかっているから大雨が降る、魏の大軍は攻め込んでこれない」と言っている。
また、江戸時代の【世間学者気質】巻二に「月畢にかかる、滂沱たらしむといえば、明日は雨が降るに決まった。」と節がある。
中国も日本も昔から畢星(牡牛座ヒヤデス群)をあめふり(雨降星:和名)と呼んでいる。
残念ながら、今回は月畢がかかることはない。
畢宿の横を月が横切るだけだ。
天の空は1年で一周し、1日は365分の一だけ景色が変わる。月は1日に約29分の一も移動するので食が発生する。
しかし、月は気まぐれのように黄道に対して上下に揺れる。
.
月が約5.9度の傾きを持っているからそうなるのだが月は西へ西へと移動し、約18.6年で黄道を一周すると言われる。
それゆえにおうし座ωの食も何年ぶりなのかも判らないが、毎年見られる訳ではないのだ。
日食ほど珍しいものではないが、月食より貴重な食という訳だ。
ただ、星の食は隠れるだけで、月や太陽のように感動的な変化はない。
月畢も毎年見られるものとは決まっていない。
天文数学が詳しい方が要れば、建興7年秋7月が今から何年前かを推測することができる。
歴史と天体は切っても切れない関係で結ばれていたりする。
しかし、月畢を想う季節は寒さが身にしみる。
※.「周代の武人の行路難」
「漸々の石新れそれ卒(けわ)し、山川悠かに遠し、いつかそれ没(つ)きなむ、武人東を征(ゆ)きて他に遑(いとま)あらず。
豕あり白き蹄ありて、もろもろ波を涉(わた)る。月畢に離りて滂沱(ぼうだ)たらしめんとす。武人東を征きて他に遑あらず。」
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/478530/465045/84062344
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