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2012年10月

放射能の少量でも危険! 体内で蓄積します。気を付けて下さい。

さて、問題です。
100Bqの放射能を人体は100分の1排出できるとします、1日当たりの排出量1Bqですね。つまり、100日で100Bq排出できる計算になる。
正解でしょうか?

最近、基準値を超える牛肉などで騒いでいますが、人体のメカニズムを知っていれば、おかしいとはを言わないハズです。

<<放射能 基準値超えをするのは当たり前>>
植物や動物、人体には放射能が蓄積するメカニズムになっています。
国が定める基準値以下の飼料や食料を摂取していたとしても、その数値はトンでもない数値になるのをご存じでしょうか。

〔放射能の蓄積計算式〕
.Photo

この計算式は、毎日摂取した場合に、体内に残る放射能の計算式です。
放射能の排出は、その状況によって大きく異なります。
細胞に取り込まれた場合は、中々排出できなくなりますし、一方、取り込まれない場合は比較的早く排出されます。
東京大学アイソトープ科学技術研究センター児玉 龍彦教授の研究では、尿の排出は100分の1のみで排出されると発表しています。
よって、上の計算式は排出率が100分の1と仮に設定しています。

【放射性セシウムの新基準値】(単位:ベクレル/kg)
 食品群  規制値 成人の1日当たりの摂取量(kg) 摂取する放射能量
一般食品   100     1.4              140
牛乳      50     0.2               10
飲料水     10     1.65              16
成人の1日当たりの放射能摂取量 166 Bq となります。

最近は随分と減ってきた気がしますが、
2012.1.25測定のメグミルク牛乳などで、1 Bq/kg が検出されています。(少し前は5Bqとかありましたから減った気がします。)
(少し前)
2011.12.18測定のセブン&アイ 毎日の食卓3.6牛乳 1.05Bq/kg
2011.12.17測定の小岩井 農場3.7牛乳[特選] 6.09Bq/kg
2011.12.16測定の明治おいしい牛乳  2.09Bq/kg
最近は、不検出が増えています。ありがたいことです。

〔お茶〕
2012.10.23消費期限の「綾 鷹」 0.19Bq/kg
2012.11.23消費期限の「生茶」 0.19Bq/kg
2013.3.7消費期限の「お~い、お茶」 0.19Bq/kg
やはり、「お~い、お茶」は静岡県なので下がる気配はありません。キリンも静岡のお茶を使用しているんでしょうか?

〔その他〕
2012年7月測定 2012年12月消費期限 カリフォルニア州の生アーモンド (2011年度産)0.17 Bq/kg

すべての食品が基準値の上限値でないとしても、その10分の1くらい、16Bq/kgは摂取していると推測できます。

【厚生省の計算では、1日当たりの放射能摂取量】(注1)
東京 Cs 0.45 (Bq/man/day)
宮城 Cs 3.11 (Bq/man/day)
福島 Cs 3.39 (Bq/man/day)

厚生省が提出する資料では、宮城や福島でも3Bq強しか摂取していないとしているが信じられない。

仮に、毎日10Bqを摂取した場合、排出率が1日当たり100分の1とすると、
  1日  9.9Bq
10日 94.7Bq
100日 627.6Bq
356日 962.3Bq
と蓄積量は増加してゆく。
わずか毎日10Bqを摂取すると、962.3Bqと1000Bq弱まで増加する。

基準値限界の上限 166 Bq と仮定すると、
  1日  164.3Bq
10日 1571.4Bq
100日 10418.6Bq
356日 15974.9Bq
となり、15974.9Bqは、体重50kgと仮定すると 319.5 Bq/kgとなり、食肉の基準値を超えてしまう訳です。

怖いですね。

日本人の体内残留放射能量は、食肉できないほど高いという訳です。

因みに、家畜における飼料の暫定許容値 300 Bq/kg以下ですから人間の約3倍です。
1~2カ月間、基準値上限の飼料を食べさせれば、簡単に基準値以上の食肉になる訳です。

何故、基準値以上の食肉ができるのかお判りになりましたか。

酪農が「基準値以下の飼料を与えていたのにどうして?」と疑問に思う前に、国の基準を疑うべきでしたね。

食肉牛の体重は600kgくらいですから、餌50kg、水90?、糞尿70kgとして、吸収分70kgです。
飼料の放射能 300 Bq/kgの場合、牛の体内に入る放射能量は、7500Bqになります。
飼料の放射能  30 Bq/kgの場合、牛の体内に入る放射能量は、 750Bqになります。
30日後の残留放射能は、
飼料の放射能 300 Bq/kgの場合、牛の体内に残る放射能量は、193272Bqになり、322.1Bq/kgとなります。
飼料の放射能  30 Bq/kgの場合、牛の体内に残る放射能量は、 19327Bqになり、 32.2Bq/kgとなります。
(毎日30Bq/kgの場合でも、164日を超えると100Bq/kgを超える可能性が出てくる。)

体内に入った100Bqの放射能が排出されるまで、100分の1場合、1年以上の歳月を必要とします。30分の1を排出できたとしても、100Bq/kgが1Bq以下になるまで136日を要します。

あくまで、過程の計算式なので現実とは異なりますが、30分の1以上も排出できるとは私にも思えません。

つまり、少量の放射能でも残留量が増加してゆくという事実です。

国の基準値は、排出する放射能量を間違えております。(故意かもしれませんが・・・)

県立利根実業高校(沼田市)の出荷した肉は、今年の9月以降から放射性セシウムを含む牧草を与えていたと書かれていますが、100~150Bq/kgの放射能を含む飼料なら十分基準を超える放射能汚染が発生するという証拠となりました。

これと同じことが、人体にも起こっております。

なるべく、放射能を含まない食品を摂取することをお勧めします。

特に子供は、年に3ヶ月ほどは、放射能を摂取しない環境を施してあげるだけで将来において、かなりの効果が期待できると私は考えております。

注1:この厚生省の放射能の摂取には、K-40(カリウム)が非常に多い。まるでセシウムが問題ないと言いたげな数値に危うさを感じずにはいられない。おそらく、I-131とCsの数値は計算過程で間違っていると思われる。
-------------○-------------
群馬の牛肉で基準値超え 全国2例目
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121026/dst12102619270014-n1.htm
2012.10.26 19:26
 群馬県は26日、県立利根実業高校(沼田市)が出荷した牛肉から、食品の新基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を超える同190ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。県によると、牛肉で新基準値を超えたのは宮城県に続き全国2例目。流通しておらず、焼却処分する。

 群馬県によると、教育用に飼育していた14歳の雌牛で、飼料の牧草が原因とみられる。

 4~8月は放射性セシウムを含まない牧草が飼料だったが、9月以降は飼料の暫定許容値内で、放射性セシウムを含む牧草を与えていた。4月以降、牛が妊娠しなくなったため出荷した
-------------○-------------
セシウム、クマ肉から基準超え 十日町で捕獲、野生鳥獣で過去最大
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/41595.html
 県は29日、十日町市で捕獲されたクマの肉から、新基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を超える760ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。県が実施している野生鳥獣の検査では過去最大値。肉は販売されておらず処分する。

 24日に有害鳥獣として捕獲されたクマを調べた。県は、市町村や猟友会を通じ、同市で捕獲されたクマの食用自粛を呼び掛けている。
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1日当たりの放射能摂取量 厚生省
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001yw1j-att/2r9852000001ywe9.pdf

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放射能測定
http://gamma-spectrometer.com/resultlist/

牛乳の放射能汚染 まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133006866790609901
http://matome.naver.jp/odai/2134993889654181401
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ゲルマニウム半導体検出器による放射能濃度測定結果
http://securitytokyo.com/data/analysis1.html
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北茨城 食品放射能濃度測定結果
http://www.city-kitaibaraki.jp/modules/info/index.php?content_id=526
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大阪市ごみ焼却工場における焼却灰の放射能濃度測定結果について
http://www.city.osaka.lg.jp/kankyo/page/0000139432.html

10.9 1551年(天文20年)丹羽氏勝と丹羽氏秀の水利権争い事、 横山麓合戦

<<信長公記の軌跡シリーズ、10.9 横山麓合戦>>

岩崎丹羽氏勝と横山麓合戦は、信長が尾張織田家の家督を継いだ最初の戦いです。

大田牛一署の「信長公記」には、この戦いが記載されていませんが、『丹羽家譜』『三草本』『丹羽軍功録』(東大史料編纂所刊行の『史料綜覧』巻十、天文二十年是歳条)に「尾張藤島城将丹羽氏秀、織田信長ノ援ニ依リ、其カ宗家、同国岩崎城将丹羽氏職ヲ攻メテ敗績ス」、信長が氏職(氏勝の父)に「鉄炮卅挺」(鉄砲30丁)によって「伏撃」されて敗れたと書かれております。

この敗戦が鳴海城主の山口左馬助父子の謀反(『信長公記』11、鳴海城離反  三ノ山赤塚合戦の事)の原因であることは間違いないでしょう。

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『信長公記の軌跡 首巻 』 目次へ    ▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽

<<10.9 横山麓合戦 水利権争いの事>>

<岩崎城と横山麓合戦>

岩崎丹羽氏勝の居城は岩崎城です。

Photo_2

                   

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岩崎城は、那古野城の東14kmに位置し、信秀(信長の父)が尾張と三河を結ぶ街道の要衝に築いたといわれる平山城です。天文7年(1538)に地元の土豪・丹羽氏清を城主とし、以来、岩崎丹羽氏は4代に渡って60年間もその地を居城としました。

岩崎の土地は、濃尾平野の東、尾張丘陵(おわりきゅうりょう)の境界線にあり、東北の猿投山麓の三ヶ峯池から発して、尾張国愛知郡(日進市)を横断する社(米野木)川(現在の天白川)の西に位置します。

この社川の東側が、合戦の発端となる丹羽氏秀の居城、藤島城がありました。

川の水は農家にとって死活問題です。東と西の農村間でその水利権を争う戦いが起ります。東に位置する岩崎丹羽(氏勝)は、宗家の武力を背景に水利権を思う儘にしました。分家の藤島丹羽(氏秀)の武力では解決できないので、尾張の実力者である織田家(信長)に陳情した訳です。

信長は岩崎丹羽(氏勝)に仲介を申し出ましたが、岩崎丹羽(氏勝)は事も有ろうに藤島城を攻めたてます。信長は後詰(救援)に兵を揚げます。しかし、横山麓に差し掛かった頃、丹羽氏職の鉄砲30丁の伏撃で軍が崩れ、信長の軍は平針まで敗走しました。

伏撃を受けた横山麓がどこか特定できませんが岩崎城の近隣とすると5km近く敗走したことになります。追撃を振り切った信長は織田領まで逃げ帰り、二度と兵を向けなかったと言われております。

藤島丹羽(氏秀)は織田軍の敗績を聞いて、一族を連れて三河へ敗走し、岩崎丹羽(氏勝)は藤島城を手に入れて、藤島城の城主を丹羽氏職としました。

 

<岩崎丹羽の動向>

▲大永5年(1525)、水野氏被官の丹羽五郎左衛門(楞厳寺寄進状)

 

●??年(????)織田信秀により岩崎城が築城され、属将・荒川頼宗が守備する。

 

▲享禄2年(1529) 三河国・松平清康(家康の祖父)に尾張攻略の足がかりとして攻め落とされる。

 

■天文4年(153512月、守山崩れによる松平の敗走により、丹羽氏も岩崎城を奪取し勢力を拡大していった。

 

■天文7年(1538)地元の土豪・丹羽氏清が岩崎城を修復して居城とする。

 

●??年(????)丹羽氏勝、織田信秀の娘を側室にする。

 

○天文9年(1540)信秀は三河に侵入し松平家の安祥城を攻略する。

 

▲天文19年(155012月、今川氏被官の丹羽隼人佐(今川義元判物)

朔日付けの丹羽隼人佐に宛てた有名な宛行状で、丹羽隼人佐は天文十九年六月に福谷(ウキガイ)砦に上番(守備)した功績によって、旧来の領地であった沓掛・高大根・部田村を同年121日に返還される。岩崎丹羽氏が今川方からの大きな圧力を受けていたことが判る。

「沓掛 高大根 部田村之事

右 去六月福谷外在城以来 別令馳走之間 令還付之畢 前々売地等之事 今度一変之上者 只今不及其沙汰 可令所務之 并近藤右京亮相拘名職 自然彼者雖属味方 為本地之条 令散田一円可収務之 横根大脇之事 是又数年令知行之上者 領掌不可有相違 弥可抽奉公者也 

仍如件

天文十九

 十二月朔日        治部大輔(花押)

                              丹羽隼人佐殿」

 

▲天文廿年(1551 <<横山麓合戦>>

 

▲天文廿二年(1553)、今川方福島氏与力と思われる丹羽右近(参詣道中日記)

『大村家盛参詣道中日記』に「岩さき(崎)ニ着、城下より五丁計行候て、ふし(藤)島と申在所へ行道六里、・・・城主庭(丹羽)ノ右近[36]と申人、・・・岩崎の城主福島(クシマ)、するか(駿河)より被越て被持候、」とあって、岩崎丹羽氏は今川方に服属しその居城を駿河方の城番に明け渡している。

 

●天文廿四年(1555)勘十郎殿、林、柴田御敵の事『信長公記 首巻 第十七段』

「(天文廿四年四月に信光から譲られていた)守山の城、孫十郎(信次)殿年寄衆として相抱え候、楯籠もる人数、角田新五・高橋与四郎・喜多野下野守・坂井七郎左衛門・坂井喜左衛門・其の子坂井孫平次・岩崎丹羽源六者ども、是れ等として、相抱え候」

丹羽源六氏勝は岩崎城を回復してその城主として守山城主の重臣となっている。

 

●弘治二年(1556)正月あるいは2月 『武徳編年集成』

「正月あるいは二月、岡崎衆をもって加茂郡福谷(ウキガイ)に砦構え、酒井忠次を主将として渡辺正綱・大久保忠勝・大久保忠佐・阿部忠政・杉浦勝吉・大原惟宗・筧正重百騎で織田氏に備えていたらしいのを、織田方は柴田勝家・荒川頼季が五百騎で攻める。先鋒の早川藤太は渡辺正綱に射られ、大久保忠勝に討取られる。柴田勝家も阿部忠政に射られて負傷し、織田方143人を討死させて退いたという。」

岩崎丹羽氏が織田方でないと、加茂郡福谷(ウキガイ)に砦を攻めることができない。

 

▲永禄二年(1559)四月二十六日『東照軍鑑』

「丹羽氏を牽制するため岩崎面を押さえて信長自身が平針(天白区)に出陣し、柴田勝家・荒川新八郎らに国境福谷砦を攻めさせたが砦を構えて酒井忠次を配していた松平方に敗れた。」

岩崎丹羽氏が再び、織田と敵対している。

 

○永禄三年(1560)壬子五月十七日、今川義元討死の事『信長公記 首巻 第二十四段』

(桶狭間の戦い)

 

○永禄10年(1567)清洲同盟

信長の娘五徳姫と家康嫡男松平信康との婚姻が成立した。

 

●永禄12年(1569年)、丹羽氏勝ら丹羽衆が伊勢大河内攻めに加わる。

 

●天正8(1580)八月、突如として信長より追放される。

「子細は先年信長公御迷惑の折節、野心を含み申すの故なり。」

 

■天正11年(1583)丹羽氏次(氏勝の子)、本能寺の変で信長が死去した後に信雄に仕えて各地で武功を挙げたが、信雄と対立してその勘気を被ったため、徳川家康の家臣となった。

(●は、どちらかというと信長方、▲は、どちらかというと今川方)

 

「丹羽家譜・三草本」「丹羽氏軍功録」によると、丹羽氏の遠祖は清和源氏足利家の一色(いっしき)分流とされています。

一色家初代の一色公深(こうしん)は吉良庄一色(愛知県幡豆郡一色町)に移り住み、三代目直氏のさらに三代後の氏明が尾張国丹羽郡の地に移住して、性を丹羽と改めます。

さらに、氏明から四代後の氏従(うじより)が現在の日進市の南に移り住み、岩崎丹羽氏になったと言われておりますが、実際は古代尾張国丹羽郡一帯に住んでいた豪族の子孫とも言われております。

 

岩崎丹羽氏3代目、丹羽氏清(うじきよ)の時代に、岩崎城の支配者であった松平清康(家康の祖父)が、世に言う“守山崩れ”による敗走したことで岩崎城を丹羽氏が占領し、以来、約60年間の居城となります。

 

岩崎城は織田信秀が築城します。信秀が勝幡から那古野に移ったのが、1532年ですから岩崎城の築城はそれ以降という事になります。

同じ頃、三河国・松平清康(家康の祖父)も頭角を現して、6年で三河を統一し、享禄2年(1529)には尾張国岩崎郷(岩崎城)も落とされます。天文4年(153512月の“守山崩れ”がなければ、ライバルであった信秀も打ち取られて、尾張・三河・遠江(駿河)の3(4)ヵ国が統一されていたかもしれません。

“守山崩れ”の松平の敗走に際して、丹羽氏は岩崎城を奪取します。おそらく、信秀の娘を側室に迎え、信秀と結んだのもこの頃でしょう。

一方、信秀はこれに乗じて三河の国に進出します。天文13年(1544)には、岡崎城まで5.6kmの安祥城も攻略しています。清康を失った松平家には、織田軍を止める術もなかったのでしょう。しかし、松平が今川を頼ったことで織田と今川の敵対関係が始まります。

「小豆坂の合戦(1542)」では、今川を退けた信秀が戦勝祝として牛頭天王神宮にて相撲奉納試合を行っております。その中に「瀬戸町からは、岩崎の豪族の丹羽源六郎・氏織、織田準一門の下方貞清」とありますから、岩崎丹羽氏も信秀の配下として、戦っていたかもしれません。

 

さて、信秀のカリスマにも天文13年(1544)の安祥城の攻略でピークを迎えます。勢いに乗った信秀は天文16年(1547)に美濃国の斎藤道三の稲葉山城を攻めて、手痛い反撃を食らい敗走したことをきっかけに苦しい防戦を強いられます。天文18年(1549)に太原雪斎に安祥城を奪い返され、天文20年(155133日に信秀は死去します。

 

天文19年(155012月1日には、岩崎丹羽と思われる丹羽隼人佐が沓掛・高大根・部田村を返還されていることを見ても、天文18年(1549)以降の今川の猛攻で岩崎丹羽氏は陥落、あるいは寝返っていたと考えられます。

 

天文廿年(1551)の横山麓合戦は、藤島城の丹羽氏秀が信長を頼ってきたことをきっかけにした反撃戦だったのかもしれません。この時点では、岩崎丹羽は今川陣営に属していたと考えるべきでしょう。しかし、天文廿四年(1555)には織田陣営に寝返っており、また、永禄二年(1559)四月二十六日の記録によると今川陣営に属しています。

桶狭間が終わるまで岩崎丹羽氏は、今川と織田の間を行ったり来たりしているように思えます。

 

実際、両陣営に属しているフリをした日和見をしていたと考えるべきではないでしょうか。

 

このような外交は、刈谷の水野氏にも言えるようです。

 

<横山麓合戦とその背景>

藤島城の丹羽右馬充氏秀は、岩崎丹羽の分家に当たります。この岩崎郷には、藤島・本郷・藤枝・折戸・浅田・赤池という沢山の丹羽の分家が存在していました。

 .Photo 

(岩崎城公式ホームページより)

城・館と書かれていますが、実際は砦のようなものかもしれません。

この岩崎郷は、濃尾平野の平野部と尾張丘陵の境界があります。猿投山麓の三ヶ峯池から流れてくる社(米野木)川は、農業用水としてとても重要なものです。この水の利権を巡って、本家(岩崎丹羽氏)と分家(藤島丹羽氏)が争ったと言われております。

しかし、あくまで一説に過ぎません。

 

丹羽の動向にあるように、信長が家督を継いだ頃は、岩崎丹羽氏は今川陣営に組みしております。藤島丹羽氏が織田と組んで岩崎丹羽氏を追い落とそうと考えていたのかもしれません。

または、信長の調略によって寝返ったのかもしれません。信秀を失った家中は、信行を擁立しようとする分裂の危機でありました。岩崎郷に隣接する下社城は柴田勝家が生まれた城と言われますので、勝家の所領もその付近であったと推測されます。

下社城の近隣の国人は、今川の脅威を払い除けるお館を望んでおりました。『うつけ』と呼ばれるような信長は、勝家には理解できない存在だったと思われます。

ゆえに、家督を継いだ信長がやっておきたいことは、“力の鼓舞”ではないでしょうか。

今川との境界国である岩崎丹羽氏を組み入れることができれば、信長の家督を反対する者を一掃できると考えたのではないでしょうか。

 

一説には、藤島丹羽氏は、天文10年(1541)頃より勢力を増し、本家と諍いを起こしていたともあります。(藤島丹羽)氏秀が信長と接近したことを警戒して、岩崎丹羽氏が 藤島城を襲ったのかもしれませんし、信長と氏秀が共闘して岩崎城を強襲したのかもしれません。ただ、敗れた氏秀が三河へ逃亡したことを鑑みて、私は信長との共闘はないと考えております。

 

やはり、本家と水利権で争いを起こしていた氏秀は今川家に訴えてみたが埒が明かず、信長を頼ったと考えるのが正着でしょう。

 

ただ、信長と氏秀の関係がどういうものであったかは判りません。

今川に安祥城を再奪取される天文18年(1549)以前は、織田に組みしていたと考えられますから、横山麓合戦(1551)まで2年しかありません。当然、信長と氏秀の交流もあったと考えるべきでしょう。

氏秀は信長を信じて、信長を頼ったのか?

それとも信長の調略に応じて、岩崎丹羽本家を裏切ったのか?

私は、信長を信じて頼ったと考えますが、

さて、さて、歴史の真実はどこにあるのでしょう。

『信長公記の軌跡 首巻 』 目次へ

感謝される為にやっている訳でない。日本の海上保安庁の隊員を誇りに思う

第11管区海上保安本部(那覇)によると、沖縄本島の南東約150キロの海域を航行していた中国の貨物船から乗員64人を無事救出したと報告があった。

20日夜、第11管区海上保安本部(那覇)は、台湾当局を通じて沖縄本島の南東約150キロの海域を航行中のセントビンセント・グレナディーン船籍の大型貨物船「MING YANG〔明洋〕」(長さ144メートル、幅13.6メートル、1万2703トン)で火災が発生したとの通報を受け、航空機や巡視船艇「あわぐも」、「もとぶ」等を出動させた。

大型貨物船「MING YANG」は、中国人の乗組員64人で冷凍された貨物などを南米から中国に運んでいた。

21日、中国交通運輸部も火災の通報を受け、同日未明2時35分に救助船「東海救111」を派遣した。

21日2時半頃、巡視艇「あわぐも」が救命いかだに乗っていた21人を救助する。巡視艇「あわぐも」は付近にいたパナマ船籍の運搬船に乗員を一時移送した。

21日午前3時45分頃、巡視艇「あわぐも」は船首部分の甲板上に避難していた残りの43人も救助し、約3時間後に64人全員を巡視船「もとぶ」に移送した。

22日午前9時頃、中国の巡視艇「東海救111」が現場に到着し、火災貨物船の救援に当たる?

現在、11管が乗組員から火災の原因について事情を聴いている。

中国のネット上では、「命の意義は国境を超える」、「中国人乗組員を助けてくれた日本に感謝」など、日本の対応を称える声が多く寄せられているらしい。

第11管区海上保安庁のみなさん、ご苦労様でした。

困っている方を分け隔てなく助ける。

当たり前のことですが、それを実践するのは大変なことです。隊員の活躍は日本の誇りです。ありがとう。

<素朴な疑問ですが>

21日も尖閣諸島周辺の接続水域で中国の海洋監視船『海監』4隻が航行しています。沖縄本島の南東約150キロの海域と言えば、石垣から尖閣諸島の周辺に当たります。

海洋監視船『海監』4隻は何をしていたのか?

巡視艇「東海救111」は、乗務員は午前7時頃には64人全員を巡視船「もとぶ」に移送されているのですが、午前9時頃に何の救援を行ったのでしょうか?

些細な疑問で、どうでもいい事なのですが・・・。

<「中国外務省、船員救助に謝意表さず」は、それこそ、どうでもいいことだ!>

J-CASTニュースで、
>中国外務省の洪磊・副報道局長は、翌10月22日の定例会見で、
>「外務省は事態を重視しており、中国の駐福岡総領事館がすぐに体制を整え、日本側と協調して船の火災を消火するための措置をとった」
>などと「中国主導」を主張。日本側に謝意を表すかどうかについて問われても、
>「駐福岡総領事館を通じて緊密に意思疎通している」
>と、質問に正面から答えることはなかった。
と書かれていますが、謝意を求めるような書き方は、“浅ましい”と考えます。

『情けは人の為ならず』と言いますが、感謝される為に善事を行うものでありません。
人として、当たり前のことをするのが大切なのです。

確かに、道を譲るなどの善事に、相手が無視して通り過ぎると『むかっ』とすることもあるでしょう。
しかし、だからと言って、善事を行わないのはどうでしょうか。
または、無視して通り過ぎた方を引き留めて、「感謝しろ」と怒鳴り付けるのもどうでしょうか。
どちらも人として、『情けない行為』と思いませんか。

人は『恥』を知って、初めて人になると言いまして、恥を知らない人間を『恥知らず』と言い、未熟な者と老子は言っております。

また、孔子は「人に施しては慎んで念ふこと勿れ、施しを受けては慎んで忘るること勿れ。」と言っております。
(施しを受けたことは、決して忘れずにいなさい。人に施したことは、すぐに忘れなさい)

『孔子の国』を自称する国が、いつか赤面して「なんて恥ずかしいことをしてしまったのだろうか」と後悔する日が来ることを願いつつ。

何も自分から「感謝しろ!」なんて、恥ずかしいことを言って、自らを辱めることはないのです。

私達は日々、いつも通りにしていることが肝要です。

言っておきますが、悪事があれば、もちろん毅然とした態度が肝要です。況して、脅迫や恫喝に屈するなど以ての外です。

※(1)、セントビンセント・グレナディーン船籍:カリブ海の小アンティル諸島に位置する火山島のセントビンセント島と珊瑚礁のグレナディーン諸島から成る、イギリス連邦に加盟する英連邦王国の一国たる立憲君主制国家の船
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中国人64人乗る貨物船が火災 中国、救助船を派遣
http://japanese.cri.cn/881/2012/10/22/144s199790.htm

中国交通運輸部は21日、沖縄本島南東の海上を航行していた中国の貨物船で同日未明に火災が発生したとの通報を受け、同日未明2時35分に救助船「東海救111」を派遣したと明らかにした。中国国営の「新華社通信」のウェブサイトが報じた。

 中国人の乗組員64人はすでに日本の第11管区海上保安本部(那覇市)に救助された。「東海救111」は22日午前9時ごろにも現場に到着し、火災貨物船の救援に当たる。

 火災があったのは貨物船「明洋(MINGYANG)」で、長さ144メートル、幅13.6メートル、1万2703トン。冷凍された貨物などを南米から中国に運んでいた。(編集KN)「人民網日本語版」より

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中国人64人乗る貨物船が火災 中国、救助船を派遣
http://j.people.com.cn/94475/7985849.html
中国交通運輸部は21日、沖縄本島南東の海上を航行していた中国の貨物船で同日未明に火災が発生したとの通報を受け、同日未明2時35分に救助船「東海救111」を派遣したと明らかにした。中国国営の「新華社通信」のウェブサイトが報じた。

 中国人の乗組員64人はすでに日本の第11管区海上保安本部(那覇市)に救助された。「東海救111」は22日午前9時ごろにも現場に到着し、火災貨物船の救援に当たる。

 火災があったのは貨物船「明洋(MINGYANG)」で、長さ144メートル、幅13.6メートル、1万2703トン。冷凍された貨物などを南米から中国に運んでいた。(編集KN)

 「人民網日本語版」2012年10月22日
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海保の中国人64人救出、中国のネット上に賞賛の声
http://j.people.com.cn/94473/7985861.html
共同通信は21日、「沖縄本島の南東約150キロの海域を航行していたセントビンセント・グレナディーン船籍の大型貨物船「明洋(MINGYANG)」(1万2703トン)で火災が発生し、海上保安庁の巡視船艇が同日、中国人乗組員64人全員を救助。うち3人がやけどなど軽症だった」と報道。日本の釣魚島(日本名・尖閣諸島)国有化をめぐり、中日関係が急速に冷え込む中の感動の救出劇となった。人民日報系の国際情報紙「環球時報」が報じた。

 同救出劇に、中国のネット上では、「命の意義は国境を超える」、「中国人乗組員を助けてくれた日本に感謝」など、日本の対応を称える声が多く寄せられている。ただ、中日両国の関係がいつ修復に向かうかに関しては、両国の国民から楽観視する声は聞こえてこない。

 日本のネット上では同救出劇に対する賛否両論が寄せられている。中でも、朝日新聞(デジタル)は、ニュースの最後に「尖閣諸島周辺の接続水域では21日も、中国の海洋監視船『海監』4隻が航行している」と付け加えている。

 一方、毎日新聞は同日、「中国人観光客や乗組員計約2200人を乗せた上海からのクルーズ船『コスタ・ビクトリア』(イタリア船籍)が20日、熊本県八代市の八代港に寄港。観光客は花火大会などに参加した」ことを報道。「岸壁では歓迎セレモニーがあり、福島和敏市長や村田信一副知事が船長らに花束を贈った」ことや「地元の高校生が中国語で書いた『歓迎光臨』(ようこその意)の書が掲げられた」ことを伝えた。時事通信は同ニュースを伝える際、八代商工会議所の松木喜一会頭の「日中の雪解けの機会となればよい」との声を載せている。しかし、中国のネット上では同ニュースが論争の火種に。「中日の民間活動は継続して行われるべきだ」と考える人もいれば、「民間の活動は国家利益と共に進退すべきで、今は日本旅行をボイコットするべき時」との声もある。(編集KN)

 「人民網日本語版」2012年10月22日
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大型貨物船火災、中国人64人を救助 沖縄沖
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK21006_R21C12A0000000/
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121021/dst12102110490002-n1.htm

2012.10.21 10:49
 沖縄本島の南東約150キロの海域を航行中のセントビンセント・グレナディーン船籍の大型貨物船「MING YANG」(1万2703トン)で火災が発生し、海上保安庁の巡視船艇が21日、中国人乗組員64人全員を救助した。うち3人がやけどなど軽症。

 第11管区海上保安本部(那覇)によると、船尾部分で煙を確認。午前2時半ごろに巡視艇「あわぐも」が救命いかだに乗っていた21人を救助、付近にいたパナマ船籍の運搬船に一時移送した。

 船首部分の甲板上に避難していた残りの43人も午前3時45分ごろに救助、約3時間後に64人全員を巡視船「もとぶ」に移送した。11管が乗組員から火災の原因について事情を聴いている。

 11管は20日夜、台湾当局を通じて外国船で火災が発生したとの通報を受け、航空機や巡視船艇を出動させていた。

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中国外務省、船員救助に謝意表さず 環球時報は「雪解けムード」指摘
http://www.j-cast.com/2012/10/23151141.html
2012年10月23日(火)19時52分配信 J-CASTニュース

尖閣諸島をめぐって日中の外交関係の緊張状態が続くなか、沖縄県沖で火災を起こした中国の大型貨物船の乗組員を、日本の海上保安庁が救助した。だが、中国外務省は「中国の駐福岡総領事館が直ちに体制をとった」などと自画自賛。日本側への謝意はなかった。一方、中国のネット上では日本に対して好意的な反応もあるようで、「雪解け」の兆しを指摘する中国メディアもある。

中国外務省は「駐福岡総領事館がすぐに体制を整えた」と自画自賛

   沖縄本島の南東約150キロを航行していた大型貨物船「ミンヤン」が2012年10月20日夜に火災を起こし、連絡を受けた海上保安庁が巡視船2隻を派遣。10月21日朝までに乗組員64人全員を救助した。3人が軽傷を負った。

   だが、中国外務省の洪磊・副報道局長は、翌10月22日の定例会見で、

「外務省は事態を重視しており、中国の駐福岡総領事館がすぐに体制を整え、日本側と協調して船の火災を消火するための措置をとった」

などと「中国主導」を主張。日本側に謝意を表すかどうかについて問われても、

「駐福岡総領事館を通じて緊密に意思疎通している」

と、質問に正面から答えることはなかった。

   一連の事実関係については、「官営メディア」として知られる人民日報や新華社通信が、論評抜きで淡々と伝えている。

あの「環球時報」がネット上の感謝の声を紹介

   だが、普段は日本に対して非常に厳しい論調で知られる人民日報系の「環球時報」は、かなり違った伝え方をしている。同紙は東京発で、今回の救助劇を

「日中関係は『厳冬』だが、心温まるニュースが日本からやってきた」

と報じている。中国のネット上では、

「命の大切さは国境を越える」
「日本が中国の船員を助けたことに感謝する」

といった声があがっていると紹介した。

   ただし、記事では、

「日中関係は緊迫した状況が続いており、両国で楽観的な意見が出てくるには至っていない」

と、日中の厳しい現状についても伝えている。

   08年の四川大地震直後に日本が救援隊を派遣した際は、中国ではメディアも世論も日本への謝意を表したが、その時とは反応が異なっている。

川島の腕が4本の合成写真に噛みつく、日本大使館は馬鹿か!?

フランスの公営放送でGK川島永嗣選手に腕が4本ある合成写真を映し、司会者が「福島(第1原発の事故)の影響ではないか」と揶揄する。

これを聞いた川島が「冗談ではない」と怒りを荒げるのは最もなことだ。

家に帰れない人もいる現状をジョークにしても貰いなくない。

しかし、フランスの日本大使館がこれに抗議したのは頂けない。

TVのトーク番組のコメントに一々公式な抗議を申し出ていたのでは、肩身が狭いと言わざる得ない。

「熊本ぼした祭り」が「藤崎宮秋季礼大祭」に名称変更になったことを覚えておいでか!?

この「ぼした」は朝鮮に出兵した加藤清正を讃える祭りで、武者姿で馬を追い「ぼした」「ぼした」と掛け声でねり歩く。

これを朝鮮を滅『ぼした』と解釈して、韓国や在日団体から抗議を受けて名称を変更した。

「ぼした」はあくまで加藤清正を讃えるお祭りであり、朝鮮で活躍した清正は、朝鮮から見れば悪の大権化なのでしょうが、そんなことを一々取り上げていては文化活動ができなくなってしまいます。

「ばかちょんカメラ」もそうですね!

「ちょんの間」(ちょんのま)三省堂 大辞林
訳:(1)ちょっとのあいだ。ほんの短い時間。
  (2)遊里での短時間の遊興。ちょんのま遊び。

「ちょん」とは、隠語であってガラのいい言葉でありませんが、芝居の終わりに打つ拍子木の音になぞらえた言葉で、遊んでいるホンの少しの時間という意味です。

しかし、これを朝鮮人に対する蔑称である『チョン公』と合わせて、馬鹿な朝鮮人(ちょん)でも写せるカメラと訳した方がおり、今では自粛されています。

取るに足らないことを言うのは恥ずかしいことです。

フランスの司会者の悪ふざけは確かに良いことではありませんが、国家を背負う大使館が苦情を言うのも大人げないことなのです。

むしろ、放射能で国家のやっていることに後めたさがあるから、これほど過敏になっているのではないでしょうか。

本当に困ったことです。

やるべきことは、苦情をフランスに言うことなどではありません。

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仏TV「福島の影響?」と揶揄 GK川島に腕4本の合成写真
http://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20121016/soc1210161136001-n1.htm
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川島「福島を救って」涙目会見で訴え
http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/p-sc-tp3-20121019-1034494.html
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東電、観光業賠償を東北全域に 風評被害で
http://www.47news.jp/CN/201210/CN2012101801001557.html

>>>風評被害じゃないっつの!
目に見えない被害に対して、すべてを風評被害というなら、水俣も尼崎も風評被害であって保障の必要はない。汚染されていたのは、水や空気であって水や空気に名札は付けられない。結局、因果関係で証明された訳だ。東北に放射能がないなら風評被害であるが、現存と放射能があるのだから風評被害ではなく、列記とした被害と言うべきだ。
被害者は、科学的に安全であると国民に広く納得してもらう為の費用を捻出させるべきであろう。

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放射性物質・魚や野菜丸ごと測定 東北大が装置開発
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/10/20121018t13030.htm

>>>上にも関連するが、費用というとこう言った検査器具が必須アイテムである。国民全員がモルモット状態であり、安全の境界線を見つけなくてはならない。
何度も同じことを言って悪いが、1300Bqとかいう福島の牛肉とか、野生のキノコは棄てるのではなく、「安全だ」と言っている国会議員や環境省の職員家族で食べるべきだ。1000Bq以上の食べ物を数~10年間摂取し続けた家族が安全なら100Bqは安全宣言を出してもいいだろう。
危険を引き受けない人間がいくら「安全だ!」と言っても信用できるものではない。

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早野龍五氏ロング・インタビュー2 ――原発事故後、なぜ早野氏は「黙らなかった」のか
http://blogos.com/article/45679/?axis=&p=2

早野:知事が県内産の食材安全ですと言って、どうして県庁の食堂は県外産の食材使うのか。

>>>早野龍五氏が言っているように、福島県の給食は「100Bqだから安全です」と言って、自分達は県外の食材を食べている。国会も同じであり、「国会の食堂の食材はすべて福島産です。」と言わないことからそうでないことが判る。自分達は安全なところから危険かもしれない方々へ、「そこは安全です。」と言っている連中の言葉にどれほど価値があるのだろう。
私がビルゲイツほどの資産家なら東北ごと買い取って、住民ごと西日本に移住させたいくらいだ。
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熊本市民の試練「熊本ぼした祭り」が「藤崎宮秋季礼大祭」に名称変更?
http://blogs.yahoo.co.jp/naomoe3/40768003.html?newwindow=true

被災地に広域がれきがない!? 

国がもたもたしている間に、宮城県のがれきが無くなってきている。
県議会で“広域がれきの処理撤回”を求める決議なされているのに、環境省は当初の予定のこだわっている。

しかし、青木泰氏によると現実に宮城のガレキが処分されてゆくので、ガレキの総量を減らす契約変更がなされているらしい。

復興費として、役所や警察署の新築工事をしている間に、政府の思惑と違う方向に進んでいるようだ。
本気で取り組んでいれば、景気も東北の方々も救われていたのだが、今回もまた、政府の思惑が優先され、国民が無視された。

薬害エイズのように、4~6年先に訪れる厄災を気にするようすもないので、これは確実に訪れることになるだろう。

宮城県の方々には、無駄なお金を広域ガレキに使わさず、さっさと広域ガレキも含めてガレキの処理を終えて、堂々と余ったお金を要求することをお願いしたい。
広域ガレキに使われるお金は、東北復興の為に使われることを願いたい。

◆青木泰氏_質疑_震災がれき市民サミット20121013
http://www.youtube.com/watch?v=_PH_f4hGJG0&feature=player_embedded#!

青木泰
「5月の21日は、98万トンのガレキを広域化処理するというふうに具体的にですね、え…例えば富山県は5万トン、静岡県は7.7万トンということで、具体的に示しながら、示してたんですね。こういうふうに。」
「それがこの右側ご覧になって分かると思うんですけど、15.2万トンになっています。つまり、6分の1に減ってしまったんです。」

「PC遠隔操作 無料ソフトにウイルス」の無料ソフト名を意図的に隠す手法が胡散臭い

アニメ演出家北村真咲さんが誤認逮捕であったことが判ったことは喜ばしい。

しかし、肝心の感染源である無料ソフトの名を出さないのは、何故だろうか?

危険なソフト名を発表し、使用または保存している方々に、パソコンの初期化、および、ソフトの廃棄を訴える方が先ではないか。

しかし、未だにソフト名は発表されない。

本当にソフトがウイルス源だったのだろうか?

警察は通信記録から本人が犯人でないと確信したが、ウイルスの感染源は特定できていない。

それゆえに、もっとも危険性が高いフリーソフトを悪役に仕立てた。

その証拠は、警察発表がなされていないこと、本人周辺からそのソフト名が囁かれないことだ。

もちろん、これは私の推測に過ぎないがおそらく間違いないだろう。

いずれにしろ、真実を隠そうとする体質は改善してゆくべきだろう。

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感染源ソフト取得は二十数件か
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2012101201000755/1.htm

2012年10月12日(金)6時14分配信 共同通信

 大阪市のホームページを通じうその殺人予告をしたとして大阪府吹田市のアニメ演出家北村真咲さん(43)が起訴、釈放された問題で、遠隔操作ウイルスの感染源とみられる無料ソフトが最大二十数件しかダウンロードされていなかったことが12日、大阪府警への取材で分かった。府警は、ソフトの配布サイトの接続記録を確認した結果、大量に出回り拡散し続ける状況にはないとみている。
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「日航機爆破」予告のPC痕跡
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2012101101001511/1.htm
2012年10月11日(木)18時18分配信 共同通
 大阪市のホームページを通じうその殺人予告をしたとして起訴、釈放された大阪府吹田市のアニメ演出家北村真咲さん(43)のパソコン内に「日航機に爆発物を仕掛けた」と8月1日に日航へメールを送った痕跡が残っていたことが11日、府警への取材で分かった。府警は、日航にメールが送信された直後の8月1日午後、北村さんからパソコンの任意提出を受けたが、第三者の遠隔操作を可能にするウイルスは既に削除されていた。

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PC乗っ取りウイルスは新種、不特定多数狙う?
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20121008-01089/1.htm
2012年10月9日(火)11時55分配信 読売新聞
遠隔操作型とみられるウイルスに感染した男性2人(威力業務妨害容疑で逮捕後、釈放)のパソコンから犯罪予告メールが送られるなどした事件で、ウイルスは最近、海外で確認されたばかりの新種だとみられることがわかった。

 2人のパソコンはいずれも、インターネット上のサイトから無料ソフトをダウンロードした直後にウイルス感染した疑いが強いことも判明。サイトは誰でも閲覧可能で、大阪、三重両府県警は何者かが不特定多数を対象にウイルスをばらまいていたとして、他にも感染者がいないか確認を急いでいる。

 捜査関係者によると、府警に逮捕されたアニメ演出家の男性(43)は調べに、7月29日に大量殺人予告のメールが送信された当日、ネットからファイルを取り込んだと説明。三重県警に逮捕された津市の無職男性(28)も、9月10日のネット掲示板への爆破予告書き込み直前、画像処理用ソフトをダウンロードしたと話し、パソコンからもそれぞれ、取り込みの形跡が見つかった。

 いずれも今年の夏まで存在が知られず、ウイルス対策ソフトなどでも検出できないタイプのウイルスだったという。両府県警は、攻撃者が2人だけを狙ったものではなく、不特定多数を狙っていた可能性があるとみている。

タバコであれ、何であれ、全国に放射能を拡散中!

タバコの怖いところは、たばこの熱量がセシウムの沸点を超えていることです。

セシウムは当然のことながら気化して、煙の中に混ざって放出される。それこそ肺の奥底まで入って体内に吸収される。

当然、副流煙にこそセシウムが含まれる。

JTの以前の資料でも
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とセシウムは検出されていましたから、現在流通しているタバコの中に含まれているハズです。

今回、「福島産葉タバコ基準値超え=セシウム検出―JT」と報道されていますが、それほど驚くほどのことではありません。むしろ、現在まで報道されなかったことの方が異常です。

そして、一番気になるところはここです。

「福島県のそれ以外の地域は、いずれも100ベクレルを下回った。」

静岡のお茶もそうですが、製造過程で凝縮されているハズですが、タバコは現在のところそれを規制されていません。

1本当たり80gしかないので、健康に影響がないとしているのでしょうか?

さて、肝心のタバコは、いったい何ベクレルあるのかをJTさんが自ら公表してもらいたいものです。

本来、良い意味で使うのですが、

「塁土して輟まざれば、丘山も崇成す」(少しずつ手を止めないで土を盛れば、いつしか高い丘もできる)

と言いまして、

ホンの少しだからと見過ごしておけば、数年~数十年後には、全国放射能まみれに成りかねないと危惧します。

基準値以下とか、ホンの少しだからという通常の概念で放射能と接するのが危険であるか。

それに気が付いたときは、もう後戻りできない。

水俣病、尼崎公害、エイズ薬害等々

それらを鑑みると、日本の未来が見えるだけに悲しく思えます。

何故、そんなことが言えるのかと疑問に思う方もいらしゃるかもしれませんが、

福島第一原発からは種々の放射性物質が撒き散らされた放射能が、政府がいう77万テラベクレル(=770,000,000,000,000,000ベクレル)としましても、これをグラム表示に直すと、数十kgか数百kgになります。

砂漠の中に落とした宝石を探すような作業です。

福島、関東東北一円に広まったわずか数十kgの放射能を回収するとなると気が遠くなります。

これがいずれ全国に広まると思うと、気が滅入らずにはいられないのです。

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福島産葉タバコ基準値超え=セシウム検出―JT
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121009-00000089-jij-bus_all
時事通信 10月9日(火)17時0分配信

日本たばこ産業(JT)は9日、2012年産の乾燥葉タバコに対する放射性物質検査を実施し、福島県産の一部で放射性セシウムが同社基準の1キロ当たり100ベクレルを上回ったと発表した。JTは検出された約4.5トン(850万円相当)の購入を取りやめる。福島県では昨年、葉タバコの栽培を見合わせていた。
福島県白河市の旧小野田村の農家3戸で栽培された「バーレー種」の葉タバコに対する検査の結果、110.7ベクレルの放射性セシウムが検出された。福島県のそれ以外の地域は、いずれも100ベクレルを下回った。自主検査で基準値を超えたのは初めて。

岡田副総理 、原発事故は「幸運だった」など、当事者が言ってはいけない

取り分けて紹介するニュースでもないが、この人がいうと霧消に腹が立つので紹介する。

岡田克也副総理が、三重県桑名市で講演で「現状もひどい状況だが、最悪の事態を考えれば、それは幸運に助けられたということだと思う」と言っている。

幸運とは、「運がよいこと。めぐりあわせがよいさま。しあわせ。」という意味だが、幸が“しあわせる(為る+合わせる)を掛け合わせて、巡り合わせが良い”と室町時代にできた言葉と、運という“初めから終わりのすべてを司る五行(木火土金水)の運行”を意味を意味する言葉と合わさっています。

つまり、幸運とは、本人が知らないだけで初めから定められた“しあわせな巡り合わせ”という意味です。

厄災の後の幸運という使われ方をしていますから、今回の場合“勿怪の幸い”と同意語になります。

“勿怪の幸い”とは、異変・災い・不幸及び思いもかけぬことが福に転じる。または、思いもしなかったような幸せが転がり込んでくることを意味します。

振り返って、今回の放射能事故で、「放射能を浴びて寿命が延びた」とか、「立てなかった患者が、事故にびっくりして歩けるようになった」とか、思いもしなかった幸せが舞い降りた場合のみ成立します。

小学生の国語のテストでは、この使い方に『はなまる』を上げることはできませんね。

今回の公演では、「幸運」ではなく、「幸い」を使うべきでした。運が余計なのです。

「幸い」だけなら、“その人にとって望ましく、ありがたいこと。”が含まれますので合格でした。

ただ、原発問題で好き勝手できた『民主党政権』にとっては、政権維持ができて幸運だったかもしれませんが、一般人で幸運な人はいません。

つまらない指摘ですが、本音が見え隠れするみたいで嫌ですね。

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岡田副総理、原発事故は最悪事態免れ「幸運だった」
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/10/07/kiji/K20121007004275790.html

岡田克也副総理が6日、三重県桑名市で講演し、東京電力福島第1原発事故について「事故の影響は非常に深刻だが、いろいろな関係者が“これは幸運だった”と言っている。最悪の場合は東京圏まで汚染される可能性があった」などと発言した。他者の発言を引用した形だが、今回の原発事故が「幸運」と受け取られかねない発言で、波紋を呼ぶ可能性がある。
岡田氏は講演後、記者団に「現状もひどい状況だが、最悪の事態を考えれば、それは幸運に助けられたということだと思う」と釈明した。
2012年10月7日 06:00

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岡田副総理 原発事故は「幸運だった」
http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/6661900.html
岡田副総理は6日、三重県桑名市で講演し、東京電力福島第一原子力発電所事故について、「いろんな関係者が言っているが、事故は幸運だった。最悪の場合は東京圏も含めて汚染される可能性があった」と語った。

岡田氏は講演後の記者会見で、発言の意図について「そういう(最悪の)事態になれば、福島でももっと影響が出て、高濃度に汚染されていた。現状でもひどい状況だが、最悪の事態を考えれば幸運にも助けられたということだ」と説明した。

福島県では、今も多くの県民が避難を続けており、発言は、地元の反発を招くおそれもある。

頭はオス、胸から下はメスのクワガタ…突然変異!? 放射能による奇形の可能性はないのか?

昆虫は分野外なのでよく判らないが、福島の蝶々に奇形が発生している。

頭はオス、胸から下はメスのクワガタという奇妙なクワガタに発見に喜んでいるが、放射能の可能性に言及していないことが気になる。

放射能が生物に様々な影響を与えることは判っているが、無邪気に喜んでいる記事を見ていると心配になる。

漫画などではお馴染みの上半身が女で下半身が男という『男女』が誕生しても無邪気に喜べるといいのだが・・・昆虫なら喜べて、人間だと喜べないのは、これ如何に。

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頭はオス、胸から下はメスのクワガタ…突然変異
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/yomiuri-20121006-00245/1.htm

2012年10月6日(土)9時8分配信

 頭はオス、胸から下はメスという突然変異のノコギリクワガタが茨城県内で発見され、6日から千葉県立房総のむら(千葉県栄町)の企画展「むらの自然―里山の暮らしと生きもの」で展示される。

 専門家が「成虫で見つかるのは極めて珍しい」と話すクワガタ。成田西陵高校(同県成田市)の教諭と発見者の高校生が偶然出会い、展示されることになった。

 このクワガタは、オスの特徴である大顎を持つが、前脚は平たく、後脚も短い上、生殖器もメスであるなど、胸から下はほぼメスの特徴を持つ。茨城県立竜ヶ崎第一高校2年、平山夏樹さん(17)が6月23日、同県牛久市内の雑木林で昆虫採取中に発見した。ほかのクワガタと比べ、部位によって雌雄が異なる「雌雄モザイク型」と気付いた。

 平山さんがこの後、龍ヶ崎市内の昆虫専門店に相談に行った際、たまたま訪れた成田西陵高校の清水敏夫教諭が相談に乗った。

 大学時代からクワガタムシを研究し、論文を発表してきた清水教諭は、「左右で雌雄が分かれるのはあるが、上下は珍しい。発生確率は数万分の1ではないか」と思ったという。清水教諭は、東京都内の昆虫専門誌を紹介。「あまりにバランスがいいため、偽物と言われないように」と、第三者である編集者が生存を確認した上で、翌日標本にした。

 清水教諭が顧問を務める同校地域生物研究部は、校内の「昆虫館」で国内外のカブトムシなどの昆虫を飼育して標本を展示し、チョウの保護活動などもしている。部では「房総のむら」で活動結果を発表する企画展を準備していた時でもあり、展示が決まった。平山さんは「気付いた時には感動した。神秘的な魅力をじっくり見てもらえれば」と話している。

 企画展は11月25日まで。月曜定休(祝・休日の場合その翌日)。入場料のほかに企画展の入場料が必要。

 日本昆虫協会理事の池田清彦・早稲田大学国際教養学部教授の話「雌雄モザイク型で、頭と胸で分かれることは聞いたことがない。何度も繰り返し変わった細胞分割が起きた結果と考えられ、成虫で見つかるのは極めて珍しい」(渡辺加奈)

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チョウの羽や目に異常=被ばくで遺伝子に傷か-琉球大
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201208/2012081001219
東京電力福島第1原発事故の影響により、福島県などで最も一般的なチョウの一種「ヤマトシジミ」の羽や目に異常が生じているとの報告を、大瀧丈二琉球大准教授らの研究チームが10日までにまとめ、英科学誌に発表した。放射性物質の影響で遺伝子に傷ができたことが原因で、次世代にも引き継がれているとみられるという。
 大瀧准教授は「影響の受けやすさは種により異なるため、他の動物も調べる必要がある。人間はチョウとは全く別で、ずっと強いはずだ」と話した。
 研究チームは事故直後の昨年5月、福島県などの7市町でヤマトシジミの成虫121匹を採集。12%は、羽が小さかったり目が陥没していたりした。これらのチョウ同士を交配した2世代目の異常率は18%に上昇し、成虫になる前に死ぬ例も目立った。さらに異常があったチョウのみを選んで健康なチョウと交配し3世代目を誕生させたところ、34%に同様の異常がみられた。(2012/08/10-21:31)

日本によるホロコーストの被害者と言う概念

米国の撤退と反比例して、中国と韓国はいずれ同盟を結ぶことになるでしょう。

『共通の敵』というのは、何よりも大きな架け橋となるからです。

その『共通の敵』とは、日本の事です。

私は中国も韓国も好きですよ。

朝鮮は“イザナミ”のふるさとと思われる節がありますし、6世紀までの関係は、それは深いものです。

中国は孔子・荘子・墨子・孫子の国であり、「三国志」の国です。劉備元徳、関羽雲長、張飛益徳、曹操孟徳、孫堅文台と500名は軽く超える人物を列記しても語り尽くせない。

「勿以悪小而為之、勿以善小而不為。」
(悪は小なるを以てこれを為すなかれ、善は小なるを以て為さざるなかれ)
訳:どんなに小さな悪事でもしてはならず、どんなに小さな善事でもしようと心懸けよ。

これは常に心がけていることですが、劉備元徳の遺言であります。
最早、神道と一体となったこれらの教えは、日本人の血となり肉となっています。その教えを伝道してくれた中国を幾ら感謝しても足りません。

しかし、肝心の中国や韓国は、“孔子の国”という自覚もなく、韓国も“儒教の国”という誇りもありまぜん。体裁が本質を押しつぶしております。

仁徳を失い、鬼道をひた走る二国は、いずれ我が国と衝突することになるでしょう。

反日教育で「悪のホロコーストを恥じない日本人」というレッテルを刷り込まれた人材は、まだ要職に付いていません。これから重要な要職に付いてゆくのです。

どこかで衝突し、その結果として解決する意外はないでしょう。

<<反日教育の恐ろしさ>>

日本もかって“神の国”という教育がなされました。

天皇は『現人神』である。

そう教育を受けた子供達は、日本が“神の国”だと本気で信じていました。

もし、そんな馬鹿な教育をせずに客観的に物事を制する教育をしていたなら、「正義が勝つ」とか、「神の子が負けていいハズがない」とか、「卑しくも臣民たる御霊・・・ウンヌン」という非合理的な論理で戦争を語ることはなかったでしょう。

しかし、それを信じていた大人達が“戦争へ”と“戦争へ”と駆り立てたのです。

大東亜戦争はその副産物に過ぎません。

幼児からの教育は恐ろしいものです。どんな優秀な人間もこのロジックから逃れるのに苦労しなければなりません。

『三つ子の魂百まで』といいますが、正にそれです。

たとえば、沖縄に配備されて“オスプレイ”は『悪』でしょうか?

5才の子供が「オスプレイは悪い奴」と言っています。

子供に理屈はありません。大抵、親や兄弟がそう言っているからそうだと信じます。疑いません。

オスプレイの事故率は 1.93であり、その他の運用戦闘機などと比べても安全です。

さらに、 2006~11年の5年間に58件の事故の内、着陸時の事故が1割であり、プロペラの可変における操作ミスが原因です。総合すれば、基地周辺の可変を禁止することで、事故の確率はさらに減ります。

最も日本政府の対応が不親切な為に、相互不信に陥っているのは否めません。

当然、子供は親の背中を見ていますから、『 オスプレイ=悪 』が刷り込まれます。

こうなると、親の不信を払拭しないと、子供は中々意見を変えなくなります。

中国や韓国において、『 日本 = 悪 』ということを深く深く研究する人は、日本の資料も調べて、それを悉く一蹴しようと試みることでしょう。そこまで研究した方は疑問が生まれ、韓国や中国の嘘に気付くことでしょう。しかし、残念なことに研究する人は一部しかいません。

日本の2chもそうでが大抵の方が誰か引用であったり、思い込みで発言される方がほとんどです。(これは残念なことです。)

議論に対して、議論で応じる方が多ければ、時間を掛けても齟齬は解消されると思いますが、都合が悪くなるとすり替えや罵倒に変化して議論が霧消するのが大抵であります。

一度初めてしまった反日教育は、一世、二世と色濃くなることでしょう。

理論の根拠が『みんながそう言っている』となった瞬間、その歯車が止まらなくなってしまうのです。

国家の存亡を一時的に救う為に使った嘘が、その国の支柱となってゆくのであります。

共産主義という精神的支柱を失った中国も、自国の歴史に誇りを持てない韓国も、自らの国家の正当性を担保する為に、仮想敵国、「ホロコーストを認めない日本人」という敵が必要なのです。

中国人であるために、韓国人であるために、日本人を憎むというロジックは始まったばかりです。

<<ホロコースト・ドグマに埋もれさせられてゆく日本>>

中国系と思わしき人々によるコメント

「3500万人のアジア人を虐殺し、数百万人を性奴隷にするというナチスを遥かに凌駕する犯罪を犯しておきながら、その罪を認めようとしない日本人の所業について知れば、その被害者である中国人や韓国人の怒りは理解できる。人類共通の価値観を共有できない日本人は、世界で力を合わせて打倒すべきだ。」

典型的なホロコースト・シンドロームだそうです。

イスラエルの心理学者ベンジャミン・ベイト・ハラミ氏は「政治目的を正当化するためにホロコースト・ドグマが使用されると、すべての議論がストップしてしまう」と警鐘を鳴らしているそうです。

まったく同感であります。

ユーゴスラビアの分裂戦争は、指導者を失っただけで再燃しました。

理性が利かない世界では、憎悪のみが価値観を支配します。根拠は自分の親達がそう言ったいたからです。

「我こそはホロコーストの被害者。お前たちはナチスに協力した加害者である!」と主張して武器を手にしました。

スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの民族は、まったく違う民族のように思われますが、実は違います。とあるセルビア人の家族は、娘をクロアチア人に嫁がせて、嫁はマケドニア人だったということがザラにあったりましす。

指導者チトー(ヨシップ・ブロズ・チトー)によって齎された民族融和は、候補地“札幌”を押さえて決まった「サラエボオリンピック」(ユーゴスラビア)の象徴でありました。

民族融和の中で民族を超えた交流が進み、ユーゴスラビアは世界の理想とされた。

しかし、指導者の不在によって再燃した民族問題は、瞬く間に紛争へ突入し、国家分裂へと突き進んだのです。

民族間の憎悪とは、それほど恐ろしいのです。

一昔前まで、韓国と会話をする猶予がありました。

それは戦前の日本人を知っている方が残っていたからです。しかし、それも今は昔となりました。

昭和の中国は、どちらかというと親日国家でした。

日本製品が文化の象徴として育った世代が50代です。現代、反日を掲げている世代と違うことが判りますね。

中国の反日教育は、1989年の〝天安門事件〟以降、更にエスカレートしています。当時10代の子供たちが対象と考えれば、40代以下が潜在的反日となります。

すでに、韓国は会話のできない水域になっております。

中国もあと20年ほどでその水域になるでしょう。

反日が国家の支柱となっている状態の中国に新しい支柱を与え、反日を撤回させることができる猶予はそれほど残されていません。

私の思うところでは、

「世界の法の番人になるのは、中国をおいて他にない」

という煽て文句くらいしか思い付きません。果たして、それに中国国民が付いてくるかどうかは・・・。

いずれにしろ、ホロコースト・ドグマで「3500万人のアジア人を虐殺した日本人は許せない」と反日を掲げている限りは、衝突を回避する術はないのです。

ドンちゃんの近現代史 目次
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日中韓の対立をナショナリズムで語ることの愚
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敵兵を救った誇るべき日本軍人 工藤 俊作

この話を聞いたとき、かってないほど日本軍人を尊敬したことはない。『日本の武士道』とはこれほど美しく、壮大にして、誇るべきものだったのかと考えを改めたほどだ。エルトゥールル号遭難事件(1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が現在の和歌山沖に遭難した事件)で、困っている人にはわずかな食糧や衣服でも与える献身的な国民性は、日本人であることを誇りに思う事件であるが、この「巡洋艦「エクゼター」・駆逐艦「エンカウンター」の乗組員422名の漂流者救出事件」は、日本の武士道を誇りに思わずにはいられない。

もちろん、すべての日本軍人がそうであったとは言わないが、栗原忠道中将を始め、これほど優秀で人間味溢れる祖先たちが、連合国の言う「悪逆非道の侵略戦争」をおこなったというのが、如何に出鱈目であるか察しが付く。
ただ、それゆえに正しかったと言うつもりも毛頭ないが・・・。

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<<巡洋艦「エクゼター」・駆逐艦「エンカウンター」の乗組員422名の漂流者救出事件>>

工藤 俊作(くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 – 1979年(昭和54年)1月12日)

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工藤俊作が駆逐艦「雷」の艦長として着任したのは、昭和15(1940)年11月1日である。身長185センチ、体重95キロと大きな体に、丸眼鏡をかけた柔和で愛嬌のある細い目をしており、「工藤大仏」というあだ名を持つ温厚な艦長であった。
着任の訓示は、
「本日より、本官は私的制裁を禁止する。とくに鉄拳制裁は厳禁する」
であり、
また、士官には、
「兵の失敗はやる気があってのことであれば、決して叱るな」
と口癖のように言っていたらしい。
また、見張りは遠方の流木と潜望鏡を見間違ったことを叱りもせず、「その注意力は立派だ」と返って褒めたと言われる。船員の士気向上は高く、「オラが館長は・・・」とか、「この艦長の為なら死ねる」と言われるほど、信頼を得ていた。

工藤俊作は、山形県東置賜郡屋代村(現高畠町)で、農家の工藤七郎兵衛、きんの次男として生まれる。山形県立米沢中学校を経て、1920年、海軍兵学校(51期)に入学する。

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当時の校長は鈴木貫太郎中将であり、その影響を受けたと思われる。
鈴木貫太郎は、親孝行で、礼儀正しく、長幼の序をわきまえ、心のうちの規律がきっちりしていた。外へ出て菓子か何かを貰ってくると、「ただいま帰りました」と手をついて挨拶してから、その包みをそのまま母親に差し出した。母が「お前がお上がり」と言っても、母が手をつけないかぎり決して食べなかった。そして、海軍軍人になって「鬼貫太郎」と異名をつけられた。それほど激しい闘志を内に持った人物に成長した。そんな勇猛さと律義さを海軍学校で鬼貫太郎から教えられたと思われる。
海軍兵学校校長に着任した鈴木貫太郎氏は、大正8年12月、兵学校の従来の教育方針を大改新した。
・鉄拳制裁の禁止
・歴史および哲学教育強化
・試験成績公表禁止(出世競争意識の防止)
<五省>
 一ツ 至誠に悖るなかりしか(真心に反する点はなかったか)
 一ツ 言行に恥ずるなかりしか(言行不一致な点はなかったか)
 一ツ 気力に欠くるなかりしか(精神力は十分であったか)
 一ツ 努力に憾みなかりしか(十分に努力したか)
 一ツ 不精に恒るなかりしか(最後まで十分に取り組んだか)
この5省は旧大日本帝国海軍の士官学校である海軍兵学校において、生徒がその日の行いを反省するために自らへ発していた5つの問いかけであるが、曾子(孔子の弟子)の「三省」に通ずる。
第一に、真心をこめて接したかどうかと反省してみる。
第二に、 友達との交際で、うそ・偽りがなかったかどうかと反省してみる。
第三に、 先生から習ったことを、よく習熟しなくはなかったと反省してみる。
と言われるが、実は3回反省するという意味ではない。
真意は、「人として、恥ずべき行為がなかったのか、常に反省しなさい」という意味であり、日々「5省」に慈しむ生徒は、自然と「三省」を身に付けていったのではないだろうか。鬼貫太郎の几帳面さを考えれば、生徒に徹底していたことは疑う必要もないだろう。

1942年と言えば、6月4日にミッドウェー海戦で大敗北を喫した年である。
同じ年の2月27日から3月1日にかけて、ジャワ島北方のスラバヤ沖で日本艦隊と英米蘭の連合艦隊一五隻との間で戦闘が行われた。
スラバヤ沖海戦である。
1942年(昭和17年)2月になると、日本軍はジャワ島占領を目的とした作戦が行われた。東部ジャワ攻略部隊として第48師団と坂口支隊が輸送船40隻に分乗し、その護衛艦を含めると総数67隻に及ぶ大規模な船団であった。
それを阻止しようと、連合国は、アメリカ(American)・イギリス(British)・オランダ(Dutch)・オーストラリア(Australian)の各国で構成された連合艦隊を編成した。しかし、ABDA連合艦隊とは名ばかりの寄せ集め艦隊であった。
オランダはすでに本国を失い、アメリカはまだ本腰を上げていない。オーストラリアは軽巡洋艦1隻とお粗末な状態であり、イギリスも先のマレー沖海戦で戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦レパルスを失って精細を欠いていた。さらに連合艦隊は一度も合同訓練を行っていないというお粗末な状態で、無傷に等しい日本海軍と戦うのは自殺行為だったのかもしれない。
最もこの時点では、日本海軍の強さを連合国が自覚していなかったと考える方が正しい。

この戦闘の結果、
●日本軍
駆逐艦「朝雲」:大破
●連合国軍
重巡洋艦「エクセター」(英)
軽巡洋艦「デ・ロイテル」(蘭)、「ジャワ」(蘭)
駆逐艦「コルテノール」(蘭)、「エレクトラ」(英)、「ジュピター」(英)、「エンカウンター」(英)、「ポープ」(米):沈没
重巡洋艦「ヒューストン」(米):小破
と、日本軍の圧倒的勝利で終わっている。

掃討戦の中で、3月1日、13:35、エンカウンター沈没。15:20、ポープはスコールに逃げ込むも、日本軍航空隊の攻撃により航行不能となり、15:40、足柄、妙高の砲撃によりポープ沈没する。

翌3月2日午前10時、エンカウンター沈没より20時間以上過ぎた頃に、駆逐艦「雷」の見張りが400以上の漂流物を発見した。その漂流物は駆逐艦「エンカウンター」の乗務達であった。この救出劇を世間に発表したサー・サミュエル・フォール氏もその漂流者の一人である。

実際、救出は困難を極めた。戦闘区域で機関を停止し、救出するということは敵潜水艦に遭遇した際、丸腰で横たわるという自殺行為に等しい。戦闘は終了したと言えど、戦闘から1日経っただけで、敵潜水艦がいないという保証はない。前日も輸送艦が潜水艦からの攻撃を受けたという報告はあっても撃沈したという報告はない。

英国海軍の規定には、危険海域における溺者救助活動では、『たとえ友軍であっても義務ではない。』と書かれている。

しかも救助者は駆逐艦「雷」の乗務員220名を超える400名以上である。救助した敵兵に艦を乗っ取られるのではないかという懸念まで船員の中に起こった。

しかし、艦長の工藤俊作は、「潜望鏡は見えないか」と見張りと探信員に再確認を指示し、敵潜水艦が近くにいない事を確認した後、午前10時頃「救助!」と命じた。

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フォール氏は語っている。
「雷」が眼前で停止した時、「日本人は残虐」と言う潜入感があったため「機銃掃射を受けていよいよ最期を迎える」と頭上をかばうかのように両手を置いてうつむこうとした。
ところが「雷」は、メインマストに「救助活動中」の国際信号旗が掲揚し、ボートを下した。私はこの瞬間を、夢ではないかと思った。何度も自分の腕をつねった。

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救助が始まった。
しかし、漂流者はすでに限界を超えており、自力でボートに乗ることさえできないほど疲弊していた。そこで艦長工藤は、大英断を下す。
「一番砲だけ残し、総員敵溺者救助用意」
副長、先任将校浅野市郎に救出の指揮を任せ、谷川清澄航海長に後甲板、田上俊三砲術長に中甲板の指揮を任せます。大救出劇のはじまりでした。

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佐々木確治一等水兵(当時21歳)が回想しています。
筏が艦側に近づいてきたので『上がれ!』と怒鳴り、縄梯子を出しましたが、誰も上がろうとしません。
敵側から、ロープ送れの手信号があったのでそうしましたら、筏上のビヤ樽のような高級将校(中佐)にそれを巻き付け、この人を上げてくれの手信号を送ってきました。
五人がかりで苦労して上げましたら、この人は『エクゼター』副長で、怪我をしておりました。
それから、『エクゼター』艦長、『エンカウンター』艦長が上がってきました。
その後敵兵はわれ先に『雷』に殺到してきました。

一時パニック状態になったが、ライフジャケットをつけた英海軍の青年士官らしき者が、後方から号令をかけると、整然となりました。この人は、独力で上がれない者には、われわれが差し出したロープを手繰り寄せて、負傷者の身体に巻き、そして、引けの合図を送り、多くの者を救助しておりました。『さすが、イギリス海軍士官』と、思いました。
彼らはこういう状況にあっても秩序を守っておりました。
艦に上がってきた順序は、最初が『エクゼター』『エンカウンター』両艦長、続いて負傷兵、その次が高級将校、そして下士官兵、そして殿が青年士官という順でした。
当初『雷』は自分で上がれる者を先にあげ、重傷者はあとで救助しようとしたんですが、彼らは頑として応じなかったのです。
その後私は、ミッドウェー海戦で戦艦『榛名』の乗組員として、カッターで沈没寸前の空母乗組員の救助をしましたが、この光景と対象的な情景を目にしました。

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フォール卿が語ります。
われわれは油や汚物にまみれていましたが、水兵たちは我々を取り囲み、嫌がりもせず元気づけるように物珍しげに見守っていました。
それから木綿のウエスと、アルコールをもってきて我々の身体についた油を拭き取ってくれました。
しっかりと、しかも優しく、それは全く思いもよらなかったことだったのです。
友情あふれる歓迎でした。
私は緑色のシャツ、カーキ色の半ズボンと、運動靴が支給されました。
これが終わって、甲板中央の広い処に案内され、丁重に籐椅子を差し出され、熱いミルク、ビール、ビスケットの接待を受けました。
私は、まさに『奇跡』が起こったと思い、これは夢でないかと、自分の手を何度もつねったのです。

救助活動を終えて、誰も帰還命令が出ると思ったとき、工藤艦長は次の指示を出します。
「左前方に舵を取れ、漂流者は全員救助する」
工藤艦長は漂流者の最後の一人まで救出することを告げます。戦闘になった時、燃料が足りなく危険性を顧みず、漂流者422名を救出したのです。

救出された将校は甲板に呼ばれ、工藤艦長はこう言いました。
「You had fought breavely. (諸官は勇敢に戦われた)」、
「Now, you are the guest of the Imperial Japanese Navy (諸官は日本帝国海軍の名誉あるゲストである)」
「I respect the English Navy,but your government is foolish make war on Japan.(私は英国海軍を尊敬している。ところが、今回、貴国政府が日本に戦争をしかけたことは愚かなことである)」

敵を敬愛する心、それこそ武士道なのです。
英国には騎士道があり、英国軍人は駆逐艦「雷」の命に従います。

<<工藤 俊作が残した武士道>>

サー・サミュエル・フォール氏は、駆逐艦「エンカウンター」の乗務員であり、駆逐艦「雷」のその礼儀正しい捕虜の扱いに感動したそうです。
戦後、サー・サミュエル・フォール氏は外交官となり、その功績によってサーの称号を受けております。その彼が外交官を定年退職後、1996年に自伝「マイ・ラッキー・ライフ」を上梓した際、その巻頭に「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と記した書を発刊します。

大東亜戦争中に日本軍の捕虜となったイギリス軍将兵の一部が、その処遇を恨んで今でも反日運動を展開する中、1993年(平成5年)に細川護煕首相がイギリス人元捕虜に謝罪し、「在英の日本企業に賠償させる」と発言した為に、旧日本軍による捕虜の問題が再燃することになります。そもそも、この問題は、国際法上、講和条約成立をもって解決したものなのですが、これは細川護煕首相の失言と言わざる得ません。

サー・フォール氏は1996年の自伝に続いて、1998年4月29日号の「ザ・タイムズ」に論考を掲載し、工藤艦長の行為を紹介しながら、「友軍以上の厚遇を受けた」と記述し、日本との和解を主張しました。
サーの称号を持つフォール氏の論考はイギリスの読者に感銘を与えました。それ以降、元捕虜たちの活動は急速にトーンダウンしたそうです。
1998年(平成10年)5月の天皇皇后両陛下のご訪英を成功に導いた影の功労者の一人だったことは疑う必要もないでしょう。

また、1987年(昭和62年)5月、東芝ココム違反事件が発覚し、アメリカ国民は日本を「安保ただ乗り」と批判、対日貿易赤字の拡大と相まって反日運動が各地で起こり、日米関係は緊張していたのですが、米海軍とアーレー・バーク大将ら提督たちは帝国海軍の後継である海自を称賛し日本擁護に回ったのです。
なぜかこの年、米海軍はその機関紙「プロシーディングス」新年号で、サー・フォールが「chivalry(騎士道)」というタイトルで工藤艦長の救助劇を称賛した論文を特集していたのです。
サー・フォール氏の貢献は、こんなところにもあったのです。

工藤艦長の英断が、後の日英・日米に大きな功績となって現れます。しかし、そのことを工藤艦長が知ることはありません。
救出劇の約5カ月後、1942年(昭和17年)8月、工藤艦長は駆逐艦「響」艦長に就任します。1944年11月から体調を崩し、翌年3月15日に待命となり、そのまま終戦を迎えたそうです。

 駆逐艦「雷」は、1944年(昭和19年)4月13日、船団護衛中にグアム島の西で米潜水艦の雷撃を受け沈没、乗員全員が戦死。

戦後、工藤艦長は戦友と一切連絡を取らず、親戚の勤める病院を手伝いながらひっそりと暮らし、1979年(昭和54年)、工藤艦長は病気で亡くなります。子孫もなく、工藤家は絶えたそうです。

工藤艦長の死を知ったサー・フォールは、墓参を行い、遺族に感謝の意を表したいと願い、2003年10月に来日しました。来日に際して、海自はサー・フォール氏を観艦式に招待しました。当時84歳のサー・フォール氏は、関係者に422名の救出劇と工藤艦長の英断を語り深く感謝したそうです。

この『武士道』は、未来永劫の子々孫々に伝えていきたいものです。

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