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2012年8月

愛国無罪と無知無責任

『愛国無罪』

最近、またまた『愛国無罪』が流行っている。

『愛国無罪』は実際に有効な言語である。しかし、対象は自国国家のみに限られる。

『愛国無罪』とは、フランスのいうところの「抵抗権」であり、憲法の枠を飛び出して暴力を酷使できる唯一の権利である。

アメリカの独立戦争、フランス革命、明治維新、そして、アフリカの「アラブの春」などのように悪政に苦しむ民衆が、政府を倒す時だけに許される行為なのである。

これを他国に行えば、『愛国無罪』ではなく、外交問題になってしまう。

そんなことも判らない民衆では、本当に話にならないのである。

もう、人間ではなく獣である。

言葉ではなく、躾が必要になってくる。

況して、これを放置する国家は、国家の体をなしていない。

もし、韓国や中国の方々が『愛国無罪』と思っているなら現政権を倒して、国際舞台に出てきなさい。

それを国際舞台が許すかどうかは別の問題として、それが人間のルールなのです。

『無知無責任』

他国のことを言っていても仕方ないのだが、実は国内も問題ありだ。

それが『無知無責任』である。

「知らないことは責任を取らなくていい。」

私も初めて知る新しいルールである。

私は現場監督をしていたことがあるが、人身事故を起こすと、知っているとか、知らないとか関係なく、管理責任が圧し掛かってくる。管理者は事故を未然に防ぐ手立てをすべて行ってきたかどうかが問題になる。

管理者が知っていたかどうかは別問題であり、「知っていて、当然」が捜査の基準になる。

手落ちがあれば、常務過失で前科1犯が科せられる。

入社したての新人の話など、ベテランの作業員が聞いてくれる訳がない。

「安全ベルトをして下さい」

「あれがあると動きにくいんだよ」

そんな感じで聞き入れてくれない。ベテランの社員になれば、威厳とか、社長を通じて強制的にさせることもできるが、新人の意見など聞いてくれない。

お茶をサービスしたり、お弁当にアテを差し入れしたり、色々と気に入られるようにやって、

「お願いします。会社から私は叱られるんです。助けて下さい」

そんな感じで泣き脅して、やっとルールを守ってもらう。

そうしないと、人身事故が起きた時に前科1犯が重く圧し掛かる訳だ。

責任者というのは、書類だけで仕事らしい仕事はしない。責任者の仕事は責任を取ることである。

課長、部長、社長と『長』が付くものは責任を取る為に存在する。

当然、国の責任は、天皇陛下であり、その責務をすべて預かっている内閣総理大臣、そして、大臣、政務官、事務次官が責任者である。

震災や原発のことを知らなかったから責任を取らないなって、何の為に責任者になっているか?

『無知無責任』とは、これは国家的詐欺であり、犯罪である。

その時、責任者であった運の悪さは認めよう。

しかし、だからと言って責任者が責任を取らないのでは、法制国家の体を成していない。

お隣の『愛国無罪』を責められない国家であることが恥ずかしい限りである。

「福島の人とは結婚しない方がいい」、嫌々、かわいい子なら結婚するよ!

池谷奉文会長の「福島の人とは結婚しない方がいい」という意見は、科学者、研究者とするならもっともな意見である。

しかし、人間的にはどうだろうか?

遺伝子の奇形が発生する確率が上がった。

これは間違いのない事実であり、嘘でも捏造でもない。

福島やその周辺に住む女性の方と結婚し、生まれる子供は奇形児である可能性が非常に高くなっている。

これは日本政府が隠している公然秘密で、受け入れるしかない事実なのです。

しかし、問題はどれくらい危険か判らない。

沖縄のウリミバエに放射線くらい危険な状態になっているとでも言うなら、これは人類史上の問題になり、もう人権という個人レベルの話ではありません。

一般に動物の放射線防御能力が高いことから、そこまでの危険性はないと私は信じております。

数世代経ってからもう一度検証することとして、問題は奇形児です。

はっきり言いましょう。

奇形は悪ではない。

軽いダウン症や指が6本、しっぽが生えているなんてことは、養育の苦労であって生死の問題にしてはいけない。

もちろん、生死の境目をどこで判断するかは難しい問題で、その親族と両親の判断を尊重します。育てる覚悟が両親になくては育児はできません。

しかし、池谷会長様、命の重みを簡単に決めないでもらいたい。

「福島の人とは結婚しない方がいい」

トンでもない。

私ならかわいい女の子ならじゃんじゃん結婚するし、子供だってバンバン作る。

大昔は近親相姦が当たり前で奇形児が生まれ易かった。

馬の世界では、『奇跡の配合』といってインブリットを多用している。

奇形児の中に『天才児』が生まれ易いからだ。

身体能力が人様の倍で、記憶力はIQ300を超える子供が生まれるかもしれい。

奇形は悪ではない。未来への進化系である。

危険が伴うというだけで、「福島の人とは結婚しない方がいい」なんて言わないほしい。

責めて、「奇形児が生まれる可能性が高いので、覚悟して下さい。」という言葉にして貰いたい。

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【WLP】ライフサイエンス・テクノロジー - 不妊虫放飼法
http://www.youtube.com/watch?v=OxaNPVy1o1g

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日本生態系協池谷会長 発言認める  「差別と思ってない」
http://www.minpo.jp/news/detail/201208303361

 日本生態系協会の池谷奉文会長(70)が東京で開かれた講演会で、東京電力福島第一原発事故を受け「福島の人とは結婚しない方がいい」などと不適切な発言をしたとされる問題で、池谷会長は29日、報道機関に対して講演記録の一部を公表した。記録には不適切とされた発言内容が含まれていた。ただ、池谷会長は「福島の人を差別するようなことは思っていない」と反論した。一方、講演会に参加した福島市議は同日、記者会見を開き、講演時の発言の撤回を求めることを明らかにした。
 池谷奉文会長が公表したのは東京で7月9日に開いた日本生態系協会主催の「日本をリードする議員のための政策塾」で、池谷会長が講話した冒頭と中盤の一部。
 文書には「福島ばかりじゃございませんで栃木だとか、埼玉、東京、神奈川あたり、あそこにいた方々はこれから極力、結婚をしない方がいいだろう」「結婚をして子どもを産むとですね、奇形発生率がどーんと上がることになる」とある。
 協会によると、録音を書き起こした内容で、県内の各報道機関に送った。
 福島民報社の取材に対し、池谷会長は発言内容を認めた上で「福島の人を差別するようなことは思っていない」と反論。これまでの取材に一貫して「発言していない」としていたことについては「差別発言ではないという意味だ」と答えた。
 池谷会長は現職の獣医師。「政策塾」は平成15年から年一回ほどのペースで開き、今回が12回目。毎回80人から100人程度の地方議員や議員を目指す市民らが参加しているという。昨年は東日本大震災の影響で中止となり、今回が震災後初の講演だった。
 池谷会長は、ヨーロッパなどに毎年足を運び、チェルノブイリ原発事故が及ぼした影響なども調べているという。池谷会長は「原発事故が及ぼす影響がいかに危険かを伝えたかった」とし、「言葉の揚げ足取りではなく、今後もたらす重大な事態にどう対処すべきか、政治課題として為政者も措置を講じる必要がある」と説明した。
 一方、福島市役所で開かれた記者会見には研修会に出席した佐藤一好福島市議ら4人と粕谷悦功市議会議長、渡辺敏彦副議長らが出席。これまでの経緯を話した上で、池谷会長に対し、不適切な発言について撤回し、出席者全員に訂正文を送るよう求めることを明らかにした。30日に池谷会長宛で内容証明で文書を送付する。
 佐藤市議は「復興に向けて活動する県民に対して容認できない発言。公的な立場で話す方なら、誠意ある対応をしてもらえるはず」と述べた。
 池谷会長は発言の撤回要求に「文書を見て対応したい」と話している。
<池谷会長が公表した講演発言内容>(冒頭部分)
 それでは引き続きお疲れとは思いますが、しばらくご容赦ください。
 さきほどのチェルノブイリの話でございますけれども、放射能ってのは、怖いのは、人間は放射線には強いのでございまして、レントゲン写真を撮るじゃないですか、そんなことでそれほど放射線には、限度超えたのは具合が悪いのですが、かなり強いんです。本当の問題は後でございまして、日本は福島がそうですが、これからですね内部被ばく、これがどうしようもないんでございまして、これからの放射能雲が通った、だから福島ばかりじゃございませんで栃木だとか、埼玉、東京、神奈川あたり、だいたい2、3回通りましたよね、あそこにいた方々はこれから極力、結婚をしない方がいいだろうと。結婚をして子どもを産むとですね、奇形発生率がどーんと上がることになっておりましてですね、たいへんなことになる訳でございまして。(以下略)
※日本生態系協会 平成4年に設立された公益財団法人。生態系を守り、持続可能なまちづくりを目指す専門家集団で、国内外の先進的な事例の研究成果を基に、提案活動、調査・研究、普及啓発などを主な活動としている。本部は東京都にあり、さいたま市やドイツ、アメリカに研究施設を持つ。職員は約100人、会員は一般市民や地方議員ら3万人がいるという。

■県内女性怒りの声
 池谷会長の発言に県内の主婦らは驚きと怒りの声を上げている。
 本宮市の妊娠中の主婦(33)は「信じられない。県民を侮辱している。福島で出産し、子育てをしようと思っているのに無用に不安をあおるような言葉は慎んでほしい」と憤る。
 福島市の女性(24)は「ショックだ。県外の人から間違った印象を持たれるのが一番怖い。差別する気がなかったとしても、福島の女性に対する悪いイメージを植え付けてしまうことにつながる」と不安そうに話した。
 結婚して子どもを産むと奇形発生率が上がるとした発言について、県放射線健康リスク管理アドバイザーを務める長崎大大学院の高村昇教授(放射線医療科学)は「科学的根拠がない。県民が心配する必要は全くない」と断言した。
 チェルノブイリ原発事故後の健康影響について国連科学委員会が昨年出した報告書でも、胎児への遺伝的な影響は科学的に認められないとしているという。
 原爆被爆者のデータも同様で、「事故当時に県内にいたという理由で出産や結婚を避けることはあり得ない」と述べた。
 今回の会長発言について、前後関係が分からず意図ははっきりしないとした上で「一般論では専門家が一般の人を対象に説明する場合、国際的、科学的にコンセンサスを得られた事項を基に話をするべきだ」とした。また、「長崎、広島の被爆者も根拠のないことで差別された。21世紀の現代に繰り返してはならない」と主張した。
 首都大学東京大学院の放射線科学域長を務める福士政広教授(放射線安全管理学)は「現在の放射線量は遺伝的な影響を及ぼすようなものではない。社会的な混乱を招くような発言で、非常に違和感を覚える」と話している。

( 2012/08/30 )

竹島、従軍慰安婦、解決できるの?

韓国大統領、李明博氏が竹島への上陸を強行してから日韓の状況は非常に不味い。

そもそも反日教育を続けていることが間違いの根幹なのだが、韓国はいったい日本からいくら援助を貰っていると考えているのだろう。

そして、韓国の異常な振る舞いを何故かマスコミが擁護する。

奇妙でしかない。

東海新報の記事が支持されるのは、日本のマスコミが異常なまでも並行感覚を失っているからだ。

「日本の一部メディアは『冷静に冷静に』と常套文句を繰り返すが、冷静になってほしいのは韓国の方なのであることを」
(引用)
東海新報 2012年08月25日付
http://www.tohkaishimpo.com/scripts/column.cgi

私が私淑する安岡正篤先生はこう語っておられる。

「本当の日本人なら本当のアメリカ人が理解できる。本当の英国人ならやはり理解できる。何人か判らぬ者には理解できない。」

それは、中国人も韓国人も同じことである。

ソウル大学の李栄薫教授はりっぱな韓国人であり、話せば通じ合うことができるだろう。

しかし、韓国にいる韓国人はいったい何人なのだろうか?

自国の歴史を歪曲して、プライドも自尊心も金繰り棄てて、自分達が『正義』だと主張する。

ほとんどオカルト集団と同じである。

オーム真理教徒と話そうと試みるようなもので、おそらく言葉では通じないだろう。

相手にしないで済むならそうしたものだ。

孔子曰く、

「唯女子與小人 爲難養也」

とは、このことである。

-----------○-----------
<李教授の「従軍慰安婦」の朝鮮日報の記事>

韓国挺身隊(従軍慰安婦の韓国内での通称)問題対策協議会(常任代表: 申�柤秀(シン・ヘス)は2日に放送された「MBC100分討論」でパネリストとして出演した李栄薫(イ・ヨンフン)ソウル大学経済学科教授の挺身隊関連の発言に対し3日、声明書を出し、李教授の教授職辞任を要求した。

韓国挺身隊問題対策協議会は「李教授の発言は日本の右翼の中でも極右からやっと出てくる主張で、私たちを驚愕と怒りに震えさせる」とし、「これは日本人の妄言で傷付けられた被害者たちの息の根を止めるもの」と主張している。

韓国挺身隊問題対策協議会はまた「こうした植民史観を持った者が国立大教授としての資格があるのか疑問」とし、「李教授は被害者と国民の前に公開謝罪後、自主的に辞任し、ソウル大も李教授を罷免せよ」と主張している。

李教授は「過去史真相究明論争」をテーマに開かれたこの日の討論で、過去史に対する民間人レベルの反省を強調する過程で挺身隊を商業的目的を持った売春業になぞらえたかのような発言をしたことで騒動を巻き起こしている。

李教授は2日の夜、「韓国戦争当時、韓国人による慰安所や米軍部隊近くのテキサス村に対する韓国人の反省と省察がない」と日本軍従軍慰安婦を米軍部隊の売春業になぞらえた。

また「朝鮮総督府が強制的に慰安婦を動員したと、どの学者が主張しているのか」とし、「日本は挺身隊を管理した責任があるが、韓国民間人の問題も取り上げるべきだ」と主張した。

こうした李教授の発言が電波を通じ放送されると、MBC「100分討論」のHP掲示板と
ソウル大経済学部ホームページ、インターネットポータルサイトなどにはネチズンの
抗議が殺到し、韓国挺身隊問題対策協議会は李教授の教授職辞任を要求している。

某ネチズンはあるポータルサイトに「『100分討論』を見てあまりにも腹が立ち、投稿した」とし、「本当にこういった考え方を持った人間が教授なのか」と批判した。

さらに別のネチズンは「韓国トップの大学の教授という人が慰安婦が商業的な売春婦だったと言ったことに、本当に呆れる」としながら、「自身の名をかけ教授職を辞任すべき」と要求している。

李栄薫ソウル大教授「従軍慰安婦は売春業」 (2004/09/03 朝鮮日報)

<李教授の意見記事>

「1910年に日本は大韓帝国を強制的に併合した」
「日本は韓国が植民地だった35年間に、韓国の土地の40%以上を収奪し、膨大な米を略奪していった」

これらが韓国が独立後、40年以上にわたり中学・高校の国史教科書に記載されている内容だ。

しかしソウル大学経済学科の李栄薫(イ・ヨンフン)教授はこうした収奪論が歪曲された神話だと主張した。

収奪という表現は太平洋戦争末期を除き、被害意識から出てきた言葉だと李教授は
話している。

以下はYTNによるインタビュー。

李教授「日帝(日本帝国主義)が韓国の米を供出、強制徴収したとされているが、実際には両国の米市場が統合されたことにより、経済的『輸出』の結果だった」

客観的数値で見ても、奪われた土地は10%に過ぎなかったと説明している。李教授は韓国の歪曲された教科書で学んだせいか、反日感情の根がかなり深くなっていると
話した。

李教授「私たちが植民地時代について知っている韓国人の集団的記憶は多くの場合、作られたもので、教育されたものだ」

ソウル大教授「日本による収奪論は作られた神話」 (2004/11/20 朝鮮日報)

コラム 『廃墟の夢、日本の将来』

廃墟の夢をみました。

歴史好きの為でしょうか?

それとも猜疑心が強すぎるのでしょうか?

歴史には、表の顔と裏の顔があります。

裏の顔とは、その国にとって都合のよい歴史教育を施すことです。中国や韓国などが反日教育と反日歴史を学んでおり、大半の人はそれを信じているので『日本って、悪い奴らだ!』という認識を持っております。

しかし、ビジネスなどで日本人と接する彼は、昔のことは昔の事として、現在の利益を優先します。

ホンの少し前まで、日本の方が経済的に優位な立場でしたので遭えてその歴史観を表に出すこともなく、日本との関係は友好的に思っていた方が多いでしょう。

日本と友好、それは本当に表の顔なのです。

一度、火を噴けば、その憎悪は忽ち良心を焼き尽くして荒れ狂います。

一方、日本に都合の良い教育は自虐感を植え付けることであり、自尊心と勤勉さを損なわせることです。

アメリカのダグラス・マッカーサー元帥の日本支配は未だに続いております。

支配し続けていることを気づかせない当たりが実に巧妙であります。

本人も信じられないほど長期間に渡って効力をはっきしているのです。

しかし、そこで幸いなことが1つありました。

自国の歴史を学ぶに当たり、客観的な事象を解き集めるという習慣が生まれたことです。

自虐思想を植え付けられた学校教育ではありますが、歴史を客観的に見るという教育がなされました。客観的に見るという資質は、嘘や思い込みを刷り込んだ思想誘導(マインドコントロール)の支配を受けていません。自分で歴史を学ぼうとすれば、簡単に自虐思想を解くことができます。

地学的配置と建前だけですが自由な環境が戦後に日本の幸いしました。

軍事的な支配は事実上続いておりますが、精神的には自立できる環境でありました。

そんな心地よい長い夢も終わりに近づいているのでしょう。

廃墟の夢というのは、夢診断でいうと「ピークを過ぎること。虚しさ。 壊滅状態。大切なものが死に絶えていること」だそうです。

感傷的な気分ということです。

民主党の岡田副総理が「民主主義のツケ」と政権交代に伴い国民の借金を言っておりますが、こういうのを『泥棒に追い銭』、『盗人、猛々しい』というのでしょう。

・国内政治の失敗

・原発事故

・外交の失敗

法律に書かれているルールを完全に無視して、治外法権国家を作っております。

「決めれない政治」から「決める政治」と言っておりますが、「決める政治」ではなく、国民の声を聞かない政治、「無知の独裁」ではないでしょうか。

候補者A,B,C,Dのいずれに投票しても、政治に影響しない。

あるいは思惑と異なる政治をする。

民主党は反原発になるとか言っていますが、当選すると変わるのでしょうね。

自・公は原発推進ですか?

公明党は脱原発だったのに、原発0(ゼロ)はわずか4人しかいません。

橋下は口だけの男ですから、いつ趣旨返しが起こる変わりません。

橋下を支持する候補者は意志が薄弱な方が多く、橋下の主張をオウム返しにいう方が多いのです。大阪市議会議員の橋下党は、ザルです。

共産党は怖くて入れれません。

という訳で、候補者A,B,C,Dの誰も選択しても、自分の望みとは違う方向に進むようです。

廃墟の夢は、近い将来の日本の象徴です。

そうそう、もう1つ。

一番最近の心配ごとの1つは、福島の子供たちです。

甲状腺の肥大化した子供たちの追加調査はどうなったのでしょうか?

少なくとも組織的な追加調査はなされていません。

甲状腺の肥大化=癌の発症

ではありませんが、要注意事項であることに変わりはありません。

必要な器官ですから、安易に削除する訳にもいきません。

子供のいない世界に未来などないと思うのですが・・・。

また、対韓、対中の感情が異常に悪くなっているのも外交の失敗であり、このまま突き進むのではないかと危惧してしまいそうで怖い気がします。

歴史的に、内政に失敗した政権は、外部に敵を作りたがるのですよ。

例外なく。

※甲状腺ホルモン:主に代謝や自律神経をコントロールしています。

◆血中の甲状腺ホルモンが過剰
 ●脈が速くなる、動悸、息切、これに伴う心臓疾患や脳の疾患

 ●神経質になる、いらいらする、感情的になる、集中力低下

 ●精神的高揚、落ち込み

 ●手のふるえ

 ●暑い、汗を異常にかく

 ●下痢やトイレの回数増

 ●食べても食べても痩せる、食欲が異常にある(細胞がエネルギーを大量に必要とするため)

 ●筋力の低下

 ●疲れやすい

 ●肝臓の異常

 ●薄毛(毛髪成長サイクルが短くなるため)

◆血中の甲状腺ホルモンが不足
 ●脈が遅くなる

 ●精神的な落ち込み、抑鬱

 ●汗をかきにくい、寒い

 ●肝臓の異常

 ●便秘

 ●体重増加、むくみ

 ●皮膚のカサつき
 
 ●脱毛

甲状腺ホルモンは生きてゆく上では欠かせません。このホルモンがなくなると1~2カ月ぐらいしか生きられないといわれています。
ここを失うと、一生外部から甲状腺ホルモンを摂取しなければなりません。

足りないものは政府のやる気と覚悟だけ

【20120822】 福島の山林救えるか 独自技術で除染 民間企業の挑戦
http://www.youtube.com/watch?v=2jeBYIJ-7mY&feature=player_embedded

福島を再び住める土地にするには、放射能を除去するしかありません。
そこでどうやって放射能を回収するかという技術が、民間企業で技術が急激に進化しています。
焼却灰をさらに凝縮しようなんて考え方は、私も持っていませんでした。

セシウムは水と相性がいいことを利用した回収方法ですね。

私は事故当時から人工の山(ピラミッド)を福島第1原発の周辺に作り、『鎮守の森』として100年程度は封鎖するのを提唱しております。
コンクリートブロックに焼却灰とモルタルをミックスした状態で固めておけば、水と相性のいいセシウムは外に漏れることがありません。
セメントという物質は、石のように見せますが石灰と水と土石の集合体です。セシウムをモルタルとして固めておけば、中の水分子を結合して外に逃げ出しません。

これは逆に建物などの外壁に付着したセシウムが水で拭いたくらいでは剥がせないのと同じことです。
外壁を削った粉塵や表土などを一緒に、コンクリートブロックで固めてしまうのが手っ取り早かったのですが、セシウムは雨などに溶け出して地中へと浸透しております。
これからは植物を使った除染に移行してゆく訳です。

民間企業の独自技術が生まれてきていますから、最終処分地を決定して除染の本格化を進める時期にきています。

しかし、政府のやる気のなさは致命的ですね。

福島県の方々には残念ですが、福島第1原発を1つの最終処分地にするしかありません。
政府が嘘を言っています。
福島第1原発の放射能を除去することは不可能です。
(新技術が開発されるまでは)

問題は、すでに放出された放射能物質と原発から出るゴミです。

ゴミの焼却所で凝縮された放射能物質は、その県が責任を持って隔離する。これが1つの原則ですね。

そして、もう1つは原子力発電を誘致した県が、その県にある放射能ゴミの処分に責任を持つ。

それこそ政治生命を賭けて土下座してでも理解してもらわないと、どこが引き取ってくれるのでしょうか?
原発がなくなると経済的云々と言っている地元住民と廃炉ビジネス、処分ビジネスを合わせて、金銭的補償をしないと地元経済も困るでしょう。

もちろん、経済的問題を除外するなら東京・大阪・名古屋・福岡などの都市部で引き受けるというのもありです。
この場合は、設置の安全確保に非常に高価な費用が掛かるということと、廃炉ビジネスが終わる50年後以降の誘致県産業が1つ無くなるという欠点があるだけですので不可能ではありませんが高く付きます。

電気の使用地帯か、電気の供給地のどちらかが引き受けるのが筋でしょう。

決めなければ、この問題が終わりません。

これは本当に政治生命を賭ける議論であり、しかも時間を掛けられない問題なのですが・・・・。

困ったものです。

しかし、各企業の技術の進歩はすごいですね。

通州事件とプロパガンダ

通州事件は上海事変に先駆けて起こった事件で広安門事件に連動して起こりました。
味方であった冀東防共自治政府所属の保安隊が国民政府側に寝返って反乱を起こし、通州城内に居住していた日本人・朝鮮人の民間人を殺害した事件です。
犠牲者は日本の外務省(当時)も公式声明で「日本人居留民約260人が大虐殺された。」と報じられています。
通州人口は数万人で通州城内に居住していた日本人・朝鮮人は、400人程度だったと言われており、日本人狩りと思われる狂気事件であります。
味方であったハズの冀東保安隊が何故、反乱に至ったのかは判りません。
その残虐なまでの行為を日本の新聞社が一斉に報じております。

しかし、中国における残虐な事件は数多くあり、何故この事件が特筆されて報道されたか?
戦線拡大に消極的な軍部と積極的な政権という奇妙な構図が起こっております。
結局、近衛政権と新聞社(論説委員、記者)が結託した結果、戦意高揚を誘い戦争推進に邁進したとしか思えないのです。

この政権とマスメディアが一斉に民意を誘導する行為は、2011年3月11日の福島第一原子力報道と重なってしまいます。
それまでの姿勢を覆して、有力論説員とキャスターが『放射能は安全です』と全社が一斉に報道を繰り返します。
福島原発問題は平成の『通州事件』と同じ趣きを感じずにいられません。

中国人の悲惨な行為を伝える事件として、『通州事件』は特筆すべき事件ではなく。数多にある怪奇事件の1つに過ぎません。
歴史的な価値としてあるのは、日本のマスコミが『通州事件』をプロパガンダとして報じたことが重要であります。

『通州事件』を日本のマスコミが“プロパガンダ”として報じた最初の事件として記憶しましょう。

【年代の一連の流れ】

・1927年(昭和2年)3月 南京事件
・1927年(昭和2年)4月3日 漢口事件
・1931年(昭和6年、民国20年)9月18日 満州事変
・1932年(昭和7年、民国21年) 満州国建国
・1932年(昭和7年)1月~3月 第一次上海事変

・1936年(昭和11年)9月23日 日本人水兵射殺事件 
・1937年(昭和12年)7月7日 盧溝橋事件
・1937年(昭和12年)7月25日から26日 廊坊事件(ろうぼうじけん)

・1937年(昭和12年)7月26日 広安門事件
・1937年(昭和12年)7月26日 平津作戦
・1937年(昭和12年)7月29日 通州事件

・1937年(昭和12年)8月13日 第二次上海事変
・1937年(昭和12年)南京事件(なんきんじけん) 「南京大虐殺」
 

<通州事件の全容>

通州事件は、盧溝橋事件から始まる支那事変(特に広安門事件)の一環として見るべきだろう。

1937年7月7日に日本軍が盧溝橋北側の永定河左岸蕉地で演習を終了した日本軍支那駐屯歩兵第一聯隊第三大隊第八中隊への何者かによる数発の発砲が起こる。

盧溝橋は北京市の南西約15kmの、豊台区を流れる盧溝河(現在は永定河)に架かる石造りのアーチ橋である。

関東軍は北清事変最終議定書(北京議定書)に基づき、1936年5月には従来の二千名から五千名に増強されていたが、日本人居留者の保護には兵力の不足が嘆かれていた。

盧溝橋事件の戦力は、支那駐屯軍 総兵力約5,600名に対して、中国国民党国民革命軍 第29軍 総兵力約153,000名です。

参謀本部は、急遽戦力の増強を図ります。

軍部が戦闘に消極的であるのに対して、日本政府は積極的な抗戦姿勢を崩しません。

広安門事件(北平総攻撃)が起こる頃には、支那駐屯軍 約20,000人(1個師団、1個旅団ほか)まで増強しますが、中国国民党国民革命軍は約46,000人以上(3個師団)が健在でした。

7月26日、支那駐屯軍司令官(香月清司)は27日正午ないし28日正午を期限とした最後通牒を発します。

7月27日、通州西方すぐに中国軍第29軍の一部隊が駐屯しており、この部隊、独立第39旅の傳鴻恩部隊に対し、日本軍は確たる理由もなく攻撃を行い撃滅します。

日本軍の攻撃は、その期限以前のもので不法行為と呼べる戦闘でした。

その理由は7月28日からの北京総攻撃に際して、重要な兵站拠点である通州付近に第29軍の部隊を残しておきたくなかったからと考えられます。

同じ27日、日本軍は北平南方10kmほどの団河、馬駒橋、北平北方の湯山を占領しています。理由は同じでしょう。

7月28日、日本軍による北平総攻撃(平津作戦)が明け方に開始されます。

主戦場は北平南方の南苑です。北平とは、旧北京市の名称です。南苑は北京市の市街地南西部に位置し、豊台区を意味しますから、主戦場は盧溝橋付近ということです。

通州事件の起こった通州市は北京の西50キロでありますから、主戦場からそれほど離れたところではありません。

28日午後2時ごろ、日本軍の猛攻で南苑が陥落します。

南苑で損害を受けた第114旅や第38師特務団は南西にある固安に向け撤退し、この28日の戦闘の結果を受けて、第29軍軍長の宋哲元は保定にまで下がります。

固安は南苑の南西に位置し、保定は北京市から南西100キロ近く離れております。

日本軍は元々天津(北京市の東南120キロ)に軍を駐留させていましたから、国民軍を追う形で東から西へと軍を動かしていったことになります。

7月29日午前2時、通州事件は通州市で殷 汝耕(いん じょこう)の冀東保安隊から反乱が起こります。

殷 汝耕は、蒋介石により国民革命軍総司令部通訊処処長兼参議に任ぜられ、蒋が日本と交渉する際には通訳を担当している人物です。しかし、1928年(民国17年)11月25日、日本陸軍天津特務機関長の土肥原賢二に誘われる形で、殷汝耕は「冀東防共自治委員会」の成立と自治を宣言し、国民政府から逮捕令が出されていた。

冀東保安隊は冀東政府関係建物の制圧をほとんど抵抗を受けず成功しています。殷 汝耕の身柄も拘束されます。

一部の説として、
この事件の発端は、当時承徳に在つた日本軍の軽爆撃隊の誤爆からであると報じられています。
元来冀東保安隊二ケ大隊と宋哲元氏の二十九軍麾下の一ケ大隊と日本軍の歩兵一ケ大隊が駐屯して居おり、この日本軍の歩兵一ケ大隊は二十九日夜南苑の攻撃に参加するため北平方面に出発した。三十日朝からこの冀東の保安隊の二ケ大隊は南苑を攻撃する日本に軍策応して、通州の西南端兵営に蟠居して居た二十九軍の一ケ大隊に対して攻撃を開始した。この攻撃を援助するため承徳から中富少将の指揮する軽爆隊が出動したのであります。
この軽爆隊は軽率にも、二十九軍の一大隊を友軍と誤まり、友軍である冀東保安隊を敵と見て痛烈なる爆撃を浴びせた。この攻撃に冀東保安隊は激怒し、二十九軍と合流し叛乱を起したと言われています。

また一説として、
中国国民軍がデマを流し、天津および南苑に於て大敗を喫したとの宣伝したという情報操作により叛乱を起こしたというものです。

反乱を起こした冀東保安隊は、冀東保安第一総隊(2,000名)、第二総隊(2,000名)、教導総隊(1,300名)及び警衛大隊(500名)からなる5,800名です。警衛大隊の隊長は反乱に反対したため、第一総隊隊長張慶余に射殺されたがその後蘇生したそうです。
保安隊は先ず冀東防共自治政府を襲撃して日本人顧問を殺害、殷汝耕長官を拉致します。他の一隊は通州城内の日本守備隊、特務機関、領事館、警察署を襲撃し、特務機関は細木機関長以下殆ど殉職、領警署員全滅、城内の日本人居留民は135名が守備隊に避難収容されましたが。250名余り(公式見解260名)の老若男女が残虐に殺害されました。
暴徒は日本関連施設のみならず冀東政府、冀東銀行などから掠奪を行ったと言われています。

この通州事件による日本官民の被害に関しては、冀東防共自治政府が損害賠償をすることになり、同年12月24日池宗墨長官自ら北京日本大使館に森島参事官を訪問の上、賠償金120万円を手交し、事件の解決となっています。

<2つの不義>

通州事件は、広安門事件あるいは平津作戦の中で起こった1つの怪奇集団殺人事件であります。日本守備隊は100名余りしか駐留しておらず、また、城内の日本人居留民は400名程度しかおりません。
平津作戦において、30キロ程度の位置する通州で、冀東保安隊5,800名が護衛するハズでした。
その冀東保安隊が反乱を起こしたのでは、堪ったものではありません。

1つ目の不義は、当然のことながら裏切り行為であります。盧溝橋事件の時点で武器と士気の高さを憂慮しても兵力に差があり過ぎます。本格的な派兵を決定していない時点で日本軍の不利は明らかであります。しかし、日本軍が有利に戦火を広げることができるのには、中国国民党軍内部の腐敗が大きな要因であります。命を賭けても戦い抜くという気概がありません。買収された軍隊などもあり、日本軍が有利に戦局を展開できたのはそこにあります。保安隊の裏切りを考慮しなかった日本軍にも落ち度があり、兵力の分配に問題がなかったかなどの検証が欠けております。裏切りの検証をせずに、中国人の惨殺性を伝えたのは明らかに間違いです。

2つ目の不義は、大正中期以降の新聞社と軍の関係が親密になり過ぎていたことです。
1930年代後半、朝日新聞社の有力な論説委員、記者たちが近衛政権のシンクタンクである昭和研究会の中心メンバーとなった。緒方竹虎主筆の承認の下、笠信太郎、佐々弘雄、尾崎秀実といった朝日新聞社の面々が戦時政府(近衛新体制運動)を積極的に支持した。戦争に対して積極的に煽り立てているのです。
大日本帝国陸軍が満州事変を起こし、満州国を建国した後、国際連盟に拒否されて脱退した際には「連盟よさらば」という歌を作成して松岡洋右代表を賞賛していることからも明らかです。最終的には、大本営発表と揶揄されるような革新官僚・軍部の御用新聞として君臨し、毎日新聞や読売新聞といった他紙と同様に戦争翼賛報道を行なっていたのはご存じのとおりですが、戦後、戦争協力あるいは後押ししていた新聞社がそのことに口を塞いだことです。

通州事件はそんな新聞社の偏重を来たしたきっかけであり、反省する教材ではないのでしょうか?

以下の通州事件で新聞記事は、すべて残虐性をうたっている。
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実際、冷静なコラムも存在したかもしれませんが、残念ながら私はそれを確認できません。

いずれにしろ、戦後間もない頃に、アメリカ側から『日本=悪』というレッテルを張られ、自虐思想の中で戦争の検証を怠ってきたツケは大きいと思います。

<通州事件のデマ疑い>

さて、通州事件の証言が数多くあるが、その資料に整合性の合わない記述が多く点在しています。
それは日本の文化との違いを理解できずに激怒して、その表現が過激になっているのかもしれません。または、後に報道やうわさ話が脳内で偏重をきたしたのかもしれません。

いずれにしろ、
400人程度の日本人・朝鮮人が居住区を作っていたとは考えられず、また、日本刀を持って国民党軍と戦ったなどの明記は常軌を逸しています。

証言において大切なことは証拠性であり、

・日記や記録に明記されている。
・その場の風景や人物関係が明らかである。
・いくつもの異なる証言が重なっている。

いくつの証言が残っておりますが、残念ながら現在のその証言の信憑性を確認できておりません。
ただ、中国人の文化として、女・子供も容赦なく殺すなどの証拠はその他の事件でも起こっておりますから中国人の残忍さに疑う余地はありません。
しかし、『通州事件』を特筆するほど怒りを覚えているということは、その他の事件と異なる残忍さがあったのでしょうか?

『通州事件』がその他の事件と異なっているとは思えませんので、“プロパガンダ”としてそう表現されているのか。あるいは、それ以前のことを知らない記者だったのかという疑問を覚えてしまいます。
残念ながら記者への疑惑は私の興味の対象ではありませんので調べるつもりはありません。

ここでいう“デマ”とは、事実関係以上に新聞社が戦意高揚の為に過激な表現をしたいという疑いです。

話に尾びれが付いていないかを疑う必要があるようです。

何度言いますが、日本と中国では民度が違います。一宿一飯の恩義などと言われる日本ですが、中国には「温情」・「恩義」・「義理」という言葉は一族の類するものに付くものであり、『敵』に掛けるものではありません。つまり、一般に中国で“一宿一飯の恩義”はないのです。

日本人からすると残忍な行為も、中国人にとって当たり前なのかもしれません。

<100人切りと新聞部数の伸び>

日本軍人が中国人の100人切りをした。
これはてっきり中国国民党軍か、共産党軍のデマと思っていたがそうでないらしい。

日本でこれが有名になったのは、朝日新聞に「中国の旅」というシリーズで本多勝一記者が、日本軍の残した爪跡を訪ねて被害者の声を掘り起こしたものだ。
本多勝一氏は、朝日新聞を退社した後に『週刊金曜日』という週刊誌を発行している。
一度だけ会ったことがあるが、記事に書かれているようなイメージと異なり、非常に気難しい感じを受けた。
この本多勝一記者が、「南京事件」の項では姜根福という男性を取材した。
「向井敏明」と「野田毅」の二人の少尉に対して、ある日上官が殺人ゲームをけしかけた。南京郊外の句容から湯山までの約一〇キロの間に、一〇〇人の中国人を先に殺した方に賞を出そう……。二人はゲームを開始した。結果は「向井」が八九人、「野田」が七八人にとどまった。湯山に着いた上官は、再び命令した。湯山から紫金山までの約一五キロの間に、もう一度一〇〇人を殺せ、と。結果は「向井」が一〇六人、「野田」は一〇五人だった。こんどは二人とも目標に達したが、上官は言った――「どちらが先に一〇〇人に達したかわからんじゃないか。またやり直しだ。紫金山から南京城までの八キロで、こんどは一五〇人が目標だ」
当時はあまり気にしなかったが、ここで具体的に「向井敏明」と「野田毅」という実名が述べられている。
姜根福は伝聞と言っているのにだ。

当初は、中国お得意の捏造だと思っていた。

しかし、考えてみれば、「向井敏明」と「野田毅」という実名が書かれて時点で違和感を感じるべきであった。
その結論に終止符を打ってくれたのが、【戦時下の報道】であった。

『百人斬り競争!』は、筆者浅海一男による新聞連載であった。上海から進撃した日本軍が南京城に攻め込んだ1937(昭和12)年12月13日の前日まで、計四本掲載されていたらしい。
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結局、この記事は「戦意高揚」を図る目的で書かれた「武勇伝」であり、嘘や捏造が混じった小説だったのだ。
しかし、それが事実のように中国では現在も語られている。

支那事変が起こる少し前に新聞の部数が急激に激減している。
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ゲスの勘ぐりと言ってしまえば、それで終わりなのであるが、いくつかの符号を合わせると誰が戦争を望んでいたのかという結論に達してしまう。

・軍司令部はソビエトへの警戒からこれ以上の戦線拡大を望んでいなかった。
・関東軍は守備兵力の少なさから増援を要求していたので、少ない兵力での開戦を望むはずもない。
・国民は軍を支援していたが、新聞の部数が減っていることから満州熱が冷めてきていた。
・近衛政権は内地での戦線拡大に積極的だった。

近衛政権のブレインは、朝日新聞社の有力な論説委員、記者たちで構成するシンクタンク(昭和研究会の中心メンバー)である。
盧溝橋事件から始まる事変に合わせて、部数が再び伸びを戻している。
『通州事件』、『百人斬り競争!』という記事は、戦意高揚を図るのに持ってこいの話題である。
新聞各社が競うように戦争を盛り立てていった時代だと思えるのは私だけだろうか?

<残忍さを通州事件で語るのは愚かな行為だ>

虐殺事件として考えるなら平頂山事件、南京事件、陽高事件、廠窖虐殺事件、通化事件も一緒に考える必要があり、また、台湾の「228事件」、色合いが違いますが、旅順虐殺事件の検証も必要です。

中国人の残忍さを訴えるには、『通州事件』を語るのが簡単です。しかし、通州事件は日本のプロパガンダであったという疑惑を外すことはできません。

『通州事件』を語るということは、当時の新聞社の“プロパガンダ”の尻馬に乗るようなもので75年前の怨霊を呼び起こすようなものです。余り民度の高い者がなすべき行為ではありません。良くも悪くも“プロパガンダ”に品位はありません。事実が重要なのではなく、人の心をかき混ぜることを目的とした行為を恥ずべき行為だと思います。

戦争の悲惨さを訴えるのに、“プロパガンダ”は入りません。

正論と事実の検証を持って、正面から訴えてゆくことが大切だと思います。

『通州事件』を語るときは、単独で語るのは良しましょう。

歴史的背景を説明して、その一環として語るか?

虐殺事件として訴えるのなら、その他の事件を併記することをお勧めします。

<通州事件の時系列>

通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年(昭和12年)7月29日に発生した事件で、「冀東防共自治政府」保安隊(中国人部隊)による日本軍部隊・特務機関と日本人居留民に対する襲撃で日本人260人が虐殺された事件を指

当時通州城内にいた関係者
冀東政府(殷汝耕ら)
冀東保安隊(張慶余ら)
日本軍守備隊(辻村憲吉中佐、山田正大尉、藤尾心一中尉ら)
領事館警察(浜田末喜ら)
特務機関(細木繁中佐、甲斐厚少佐ら)

<事件前>
7月27日頃
北京特務機関がキャッチした南京放送ニュース
日本軍は盧溝橋の戦場に於いて、我が優勢な29軍と交戦の結果、支離滅裂の敗戦に陥り、豊台と郎坊とは完全に我が手に奪還してしまった。
(略)
なお、最近北京における軍事会議の結果、蒋委員長は近く29軍を提げて、大挙冀東を攻撃し、偽都通州を屠り、逆賊殷汝耕を血祭りにして、満州失地恢復の第一声を挙げる事を決議した。

<事件>
7月29日午前2時半
冀東保安隊が反乱を起こして、まず襲撃したのは首席殷汝耕のいた冀東政府です。この冀東政府関係建物の制圧はほとんど抵抗を受けず成功しています。ここで殷汝耕の身柄の拘束にも成功します。この際に犠牲になったのは日本人顧問など数名です。

7月29日午前3時
冀東政府襲撃とほとんど同時と思われますが、証言では少し遅れた午前3時ごろに冀東保安隊が日本領事館警察を襲撃しています。ここでは日本人警官らが抵抗したため銃撃戦となっています。どのくらいの時間が経過したかは不明ですが、最終的には冀東保安隊に制圧されます。制圧後、冀東保安隊らは隠れている者がいないか捜索し、その際に警官の家族が巻き添えになったりしています。警官の中には家族と共に居住している者もおり、家族らは銃撃戦の間隠れていましたが、物音などで誰か隠れていることに気づいた冀東保安隊員は手榴弾を投げ込み、そのために女性や子どもが死傷したという証言があります。

犠牲になった女性や子どもがいたのは確かですが、そうと知って殺傷したという記録ではなく、その場で見つかり捕らえられた女性や子どもなどの民間人は、その場では特に陵辱されることも殺されることもなく、別の場所に連行され、他の捕らえられた民間人と一緒に監禁されました。証言では通州城北門近くの政府関係庁舎です。連行された時刻は不明ですが、4時~6時くらいではないかと思われます。

7月29日午前4時
これも領事館警察襲撃とそれほど変わらない時刻と思われますが、記録では4時ごろ、冀東保安隊が日本軍守備隊のいる兵営に対して攻撃を開始しています。日本軍は100名ほど、武器はともかく弾薬は、北平攻撃中の日本軍に補給するため、山ほど積んでありました。最高位である兵站司令官辻村中佐が応戦を指揮しています。

ほぼ同時に*2、別働の冀東保安隊1個中隊が日本軍特務機関を襲撃しています。特務機関は領事館警察よりも激しく応戦し冀東保安隊側にもかなりの死傷者を出したようです。このとき特務機関に宿泊していた緒方氏の証言によると特務機関での銃撃戦は12時ごろまで続いています。

また、おそらくこの頃から、冀東保安隊の別働隊が、城内の日本人・朝鮮人居留民らを拘束し、連行し始めます。

この居留民拘束は当初からの計画だったとすれば、あまりにも手際が悪く*3、疑問が残ります。領事館警察や特務機関襲撃の際に何名かに逃げられ、その捜索が当初の目的だったのではないかと思われます。

そして同盟通信記者安藤利男が滞在していた近水楼(冀東政府からは程近い)に反乱第一報がこの頃届きます。近水楼は日本軍政府関係者の常宿ですから、冀東保安隊が民間人連行を当初から予定していたなら、この時点で近水楼が手付かずだったのは不可解です。

7月29日午前5時
この頃、冀東政府前で特務機関長が射殺されたと記録がありますが、詳細不明の証言で仔細についての信憑性は高くありません。時間的にはもう少し早い時間(3~4時ごろ)ではないかと思います。

7月29日午前7時
この時点でもまだ近水楼は無事です。安藤らは近水楼から通州城内に火災が発生しているのを視認しています。特務機関の戦闘に伴う火災ではないかと思われますが、緒方氏証言では特務機関でガソリンが燃えたのは午前9時ごろとされています。時間認識の誤差と見るか、いずれかの記憶違いか、あるいは別の火災かも知れません。

7月29日午前9時
冀東保安隊による日本軍守備隊攻撃開始から5時間経過していますが、未だ制圧できず、保安隊側は兵営の北東にある満州電電に野砲4門を配置し砲撃を開始します。

7月29日午前11時
冀東保安隊の砲撃により、守備隊内に貯蔵してあったガソリン2500缶が爆発し、黒煙が高く上がります。この黒煙については、支那駐屯歩兵第2連隊(萱島高)の部隊が視認して、通州で何事か起こっていると判断した人もいました。

また、この黒煙偵察のため、日本軍偵察機*4が通州上空に飛来し、通州城外の日本軍が、通州事件の発生を知ることになります。

この飛行機を見て、日本軍が助けに来ると判断した居留民も多かったようです。一方で、逆の立場である冀東保安隊側は危機感を募らせたでしょう。冀東保安隊は3000人程度に過ぎず、城内の100名程度の日本軍守備隊にもてこずるほど、大した装備も持っていませんでしたから、通州城外の日本軍が反撃してきたらひとたまりもありません。

この時点での冀東保安隊側の選択肢としては、城外の日本軍が殺到する前に撤退するか、通州城に立て篭もって抗戦するか、しかありません。城外の日本軍が来襲してくるのは時間の問題です。張慶余らはおそらく対応を議論したでしょうが、白昼撤退しても捕捉撃滅される可能性が高いためか日暮れまでは日本軍守備隊攻撃に専念することにしたようです。また、隠れていると思われる日本人朝鮮人居留民の捜索も強化します。

7月29日午前12時ごろ
こうして偵察機飛来のため一時停止していた冀東保安隊の砲撃が再開し、これが弾薬を満載した日本軍トラックに命中、次々と誘爆を起こします。誘爆は午後4時まで続き17台のトラック全てが爆発しました。

また、この頃、緒方氏ら4人はまだ立て篭もっていましたが特務機関での銃撃戦は終結しています。緒方氏証言の記事からは包囲していた冀東保安隊側に何らかの混乱が生じた様子が推察できます。

7月29日午前12時半ごろ
一方、当初は見逃されていた感のある近水楼が再び冀東保安隊や学生隊の捜索を受け、隠れていた安藤らが拘束されます。安藤らは北門近くの冀東政府関係の建物に一時連行されます。捜索や連行の際に、冀東保安隊や学生隊による暴行、殺害が生じてはいましたが、この時点では居留民を全て殺害しようと言う明確な意図は冀東保安隊側にはなかったようです。安藤らは連行された場所には既に50人以上の居留民が監禁されていましたが、腕時計などを盗られた以外に特に暴行陵辱された様子は安藤記者の手記からは見受けられません。

冀東保安隊は北門付近で約6時間に渡って、居留民を拘束し続けましたが、最初から殺害するつもりであったなら6時間は長すぎます。また、拘束している間、後の日本側報道に見られるような猟奇的な殺傷陵辱を行っている様子もありません。安藤記者が拘束されていた北門付近は主たる虐殺現場の一つですから、あるいは他の虐殺場所(東門付近など)では猟奇的な殺傷陵辱があったのかも知れませんが、北門と東門でそれほど距離があるわけでもありませんので、まず後日の日本側の猟奇報道を鵜呑みにできないと考えるべきでしょう*5。

7月29日午後2時半~3時ごろ
日本軍守備隊の篭る兵営ではトラックの誘爆が続いていたものの、冀東保安隊と日本軍守備隊との戦闘はこう着状態でした。城内の日本軍守備隊を制圧できなければ、通州城内に立て篭もって城外の日本軍を迎え撃つことは不可能です。となれば、冀東保安隊は日没後なるべく早いうちに通州から撤退しなければなりません。撤退する場合、城内の日本軍守備隊に察知されないようにする必要があります。では、拘束している居留民はどうすればよいか?

これが冀東保安隊が拘束した居留民を殺害しようと考えた動機ではないでしょうか。

居留民の中には日本軍と通じている者が数多くいることは自明です。いたずらに解放すれば、日本軍に通報するのみならず、武器をとって追撃してくる可能性もあります。

冀東保安隊、学生隊のいずれが積極的に居留民殺害を主張したかはわかりませんが、少なくとも12時半から午後2時半の間に、居留民に対する冀東保安隊の対応に変化があったことは、安藤記者の手記からも伺えます。

こうして、午後2時半ごろ、居留民は北門近くの沼地に連行され、そこで射殺されました。この付近での犠牲者は70人程度と見られます。安藤記者はスキをついて逃亡し九死に一生を得ていますが、他にここから助かった人がいたかどうかはわかりません。

また、通州城東門付近でも合計90人ほどが殺害されていますが、殺害時刻がわかる証言は見当たりません。しかし、おそらくは北門と同じ頃で、少なくとも午前12時から午後4時ころの間ではないかと思われます*6。

7月29日午後5時ごろ
この頃、日本軍航空隊による日本軍守備隊兵営包囲中の冀東保安隊に対する爆撃が行われ、包囲していた冀東保安隊は撤退しています。既に通州城外に逃れ逃走中の安藤記者が見たのがこの飛行機だと思われます。また、同じ頃緒方氏ら4人(白河氏(28)、中末氏(18)、田島氏(16))が城壁を越えて城外に逃れています。

結局、城内の日本軍守備隊を制圧できなかった冀東保安隊は通州から撤退しました。この時刻については判然としませんが、午後5時ごろまでは冀東保安隊員らがいたのは確かでしょうが、緒方氏が特務機関から城外まで比較的容易に逃走できていること、また爆撃後に5人の朝鮮人女性が救援を求めに日本軍守備隊兵営に駆け込んできたことなどから、徐々に冀東保安隊は通州からの撤退を開始していたと思われます。

29日夜以降については、通州城内における冀東保安隊の姿について記述が見られません*7。

通州事件の終結
200人以上の日本人朝鮮人居留民が殺害された、いわゆる通州事件はここまでです。7月29日夜明け前に始まった冀東保安隊の反乱は同日日暮れに終結したのです。時間にして15~6時間程度、特務機関や冀東政府と関係の薄い民間人に犠牲が出た時間だとせいぜい8時間程度でしょう。量的には6週間以上に及んだという南京事件には比べるべくもありません。

また、拘束の目的も日本軍守備隊との戦闘中であることを踏まえた後顧の憂い、いわゆる第五列を取り除くための感があり、殺害の目的も撤退の意図を秘匿するためと見えます。いずれも民間人殺害を正当化できるものではありませんが、”軍事的合理性”をあがめるある種の方々には受け入れやすい理由ではないでしょうか。

通州事件も他の多くの戦争犯罪と同様に、軍事的合理性を人権に優先した結果の悲劇と言えると思います。

<事件後>

・外務省情報部
支那兵残虐の跡(通州邦人屍体検分)
七月二十九日早朝冀東保安隊反乱の犠牲となった通州在留邦人に対する支那兵残虐行為の実状に関し八月二日及三日通州に於ける警察官の直接検分し、又は生存者より聴取せる所左の如し。
一、惨殺行為
発見された婦女子は、多くは腕又は足を縛り、甚だしきは旅館錦水楼女中の如く、鼻に穴を明け、数珠繋ぎとして之を拉致し併列せしめ、機関銃を以て惨殺したものもある。
(1937年8月10日にまとめた週刊時報141「事変と日本側 支那兵残虐の跡(通州邦人屍体検分)」)

・連隊主力と共に救援に赴いた桜井文雄証人(支那駐屯歩兵第2連隊小隊長)
7月30日
「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。
某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。
旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射殺され、陰部にほうきを押しこんであるある者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに耐えなかった。
東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合せて、それに八番線を通し、一家6人数珠つなぎにして引き廻した形跡歴然たる死体が浮かんで居り、池の水は真っ赤になっていた。
夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛の如く針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこの塵箱の中やら塀の蔭から出て来た」
(消された「通州事件」より)

・萱島高証人証言(支那駐屯歩兵第2連隊長)
7月28日の南苑戦闘に参加した後、30日午後通州に急行して邦人救援
 「旭軒(飲食店)では40から17~8歳までの女7、8名が皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されており、その中4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。商館や役所に残された日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したものだった。」

 まさになぶり殺しではないか。

 中でも悲惨を極めた旅館・近水楼での惨劇について通州救援の第2連隊歩兵隊長代理を務めた桂鎮雄証人の供述は次の通り。

 「近水楼入口で女将らしき人の死体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあった。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥(は)がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、4つ5つ銃剣で突き刺した跡があったと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく、血痕が散乱していた。
帳場や配膳室は足の踏み場もない程散乱し、略奪の跡をまざまざと示していた。
女中部屋に女中らしき日本婦人の4つの死体があり、全部もがいて死んだようだった。折り重なって死んでいたが、1名だけは局部を露出し上向きになっていた。
帳場配膳室では男1人、女2人が横倒れ、或(ある)いはうつ伏し或いは上向いて死んでおり、闘った跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようだった。女2人はいずれも背部から銃剣を突き刺されていた。
階下座敷に女の死体2つ、素っ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。
1年前に行ったことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素っ裸の死体があった。
その裏の日本人の家では親子 2人が惨殺されていた。子供は手の指を揃(そろ)えて切断されていた。
南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の死体が路上に放置してあったが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた」
(中村粲著『大東亜戦争への道』惨!通州事件より)

・ 桂鎮雄の証言(1947年4月)
「近水楼入口で女将らしき人の屍体を見た。足を入口に向け、顔だけに新聞紙がかけてあつた。本人は相当に抵抗したらしく、着物は寝た上で剥がされたらしく、上半身も下半身も暴露し、四つ五つ銃剣で突き刺した跡があつたと記憶する。陰部は刃物でえぐられたらしく血痕が散乱してゐた。女中部屋に女中らしき日本婦人の四つの屍体があり、全部もがいて死んだやうだつた。折り重なつて死んでゐたが、一名だけは局部を露出し上向きになつてゐた。帳場配膳室では男は一人、女二人が横倒れ、或はうつ伏し或は上向いて死んで居り、闘つた跡は明瞭で、男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のやうだつた。女二人は何れも背部から銃剣を突き刺されてゐた。階下座敷に女の屍体二つ、素つ裸で殺され、局部はじめ各部分に刺突の跡を見た。一年前に行つたことのあるカフェーでは、縄で絞殺された素つ裸の女の屍体があつた。その裏の日本人の家では親子二人が惨殺されてゐた。子供は手の指を揃えて切断されてゐた。南城門近くの日本人商店では、主人らしき人の屍体が路上に放置されてあつたが、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱してゐた。」

・通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)
日本人居留区が近付くと何か一種異様な匂いがして来ました。それは先程銃撃戦があった日本軍兵舎が焼かれているのでその匂いかと思いましたが、それだけではありません。何か生臭い匂いがするのです。血の匂いです。人間の血の匂いがして来るのです。しかしここまで来るともうその血の匂いが当たり前だと思われるようになっておりました。沢山の支那人が道路の傍らに立っております。そしてその中にはあの黒い服を着た異様な姿の学生達も交じっています。いやその学生達は保安隊の兵隊と一緒になっているのです。
(徳島の保守)

冀東保安隊が撤退後の通州はどうだったのでしょうか。

少なくとも29日夜半には冀東保安隊のほとんどが通州城内から撤収していたと思われますが、兵営に立て篭もった日本軍守備隊は兵営から外に出ようとしませんでした。逃げ込んできた朝鮮人女性から居留民に被害が出ていたこと自体は知っていたはずですが、夜間に斥候などを出した形跡は見出せません。

7月30日午前1時半
日付が変わって7月30日、通州救援のために支那歩兵第2連隊(萱嶋部隊)を派遣する連絡を受けます。また、この頃日本軍兵営にトラックが1台到着します。独立混成第1旅団(酒井部隊)のトラックです。このトラックから順義でも保安隊が反乱を起こしたこと、通州城北の街道上に冀東保安隊がいることが知れます。しかし、この後日本軍守備隊は兵営に篭ったまま、夜明けを待つことになります。

7月30日朝
通州事件から一夜明けた7月30日朝、日本軍守備隊兵営に生き残った居留民が避難してきました。この頃になってようやく守備隊は斥候を出し、通州城内の様子を知ることになります。一方でこの頃、生き残った一部居留民が通州を脱出して北平に向かっています。

午前8時に香月支那駐屯軍司令官が支那歩兵第2連隊(萱嶋部隊)や航空兵団に対し、通州救援を命令しています*8が、この時点では冀東保安隊は通州から退去した後でした。ただし、反乱に加わらなかった保安隊員や学生隊、反乱に協力した住民などが残っていた可能性はあります。とは言え、既に日本軍守備隊兵営の包囲すら解いている状況ですから、反乱部隊が通州を闊歩しているとは言えないでしょう。

7月30日午前9時半。
通州から退去した冀東保安隊はこの頃、北平の東側の城門である朝陽門に到着しています。日本側の記録では、張慶余らは南京政府によるデマ放送に騙されて、南苑で中国側が破れ、宋哲元が北平から退去したことを知らず北平に着いて初めてそれを知って慌てた、とされていますが、記録者が日本軍特務機関の将校らであることを考慮すると、実際にそこまで情勢に無頓着だったというのは考えにくいと思います。

実際、冀東保安隊は南苑から通州に急進中だった支那歩兵第2連隊と遭遇することなく北平に到着しています。中国軍大勝利という謀略放送を信じていたなら、通州北門からではなく南門や西門から出てまっすぐ北平に向かうルートを取った可能性が高く、その場合支那歩兵第2連隊らの日本軍救援隊と鉢合わせしていたでしょう。

また、冀東保安隊は北平で城門の兵士から、北平は日本軍が支配していると聞いているというのが日本側の記録ですが、30日の時点では北平城内を日本軍が支配しているとは言えないでしょう。宋哲元から後を任された張自忠が市長を代行していましたし、保安隊に改編した部隊や北苑や黄寺の部隊もありました。

北平にある各国の政府機関や日本軍との交渉上、北平で戦闘を行うつもりがなかったため、冀東保安隊を入城させなかったというのが妥当ではないかと思います。

7月30日午前10時50分。
いずれにせよ北平に入城できなかった冀東保安隊は、日本軍が占領している南苑を避け北平城北側を抜けて撤退しようとしましたが、万寿山*9街道で、独立混成第11旅団第12連隊(奈良部隊)と接触・交戦することになります。

7月30日午後0時30分。
当初それなりに健闘していた冀東保安隊ですが火砲を通州で廃棄しており、独立混成第11旅団第12連隊(奈良部隊)は火力に勝る上、増援が続々と到着し、結局午後0時30分には冀東保安隊が150名ほどの戦死者を出して敗走していきます。この際に連行されていた冀東政府首席の殷汝耕が解放されました。

冀東保安隊は、29日夜に通州を脱してから、この戦闘までに40キロ程度を踏破しています。約半日で40キロというのは軽装の徒歩部隊としては標準的ですが、前29日早朝の反乱開始から考えればほぼ40時間近く戦闘や行軍を続けたことになりますから、かなり疲労困憊していたことでしょう。

7月30日午後4時
一方、通州救援を命じられた支那歩兵第2連隊(萱嶋部隊)は、30日午後4時になってもまだ斥候の1個分隊が通州に到着した程度です。南苑から通州までは30キロ程度ですから30日朝8時から移動したとしても午後4時の段階で一個分隊しか通州に到着していないというのは、少し遅すぎるように思います。支那駐屯歩兵旅団の河辺旅団長から通州に救援に向かう旨の通信が発せられたのは30日午前1時半ですから、その時点からだと14時間以上経過しています。

この支那歩兵第2連隊(萱嶋部隊)の足の遅さは、通州救援に対する消極性を感じさせます。

ともあれ、7月30日午後4時になってようやく通州に外部からの日本軍救援部隊が到着し通州事件は終結することになります。

◆虐殺事件の証拠(資料)一覧◆

●済南事件
1.日本人犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書 ×なし
3.当時の政府の認識 ○あり
(田中外相宛西田領事報告など○)

●通州事件
1.日本人犠牲者の名簿 ○あり
2.命令書 ×なし
3.当時の政府の認識 ○あり
(外務省の公式声明など○)

●南京大虐殺事件
1.犠牲者の名簿 ×なし
(日本も×、蒋介石政府も×、汪兆銘政府も×、南京安全区国際委員会も×、南京市民も×、誰も作成せず)
2.命令書その他公式文書 ×なし
3.当時の政府の認識 ×なし

(参照)
◆消された「通州事件」

◆中村粲著『大東亜戦争への道』惨!通州事件

◆通州事件/通州(通県)起義の経過
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20110720/1311169796
[誰かの妄想・はてな版は、実に細かく書かれているので、一度ゆっくりとご覧頂きたい。]

◆通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)
http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100901/p1
(徳島の保守)

◆通州事件・南京事件・尼港(ニコウ)事件その他
宮崎正弘 評論家 正論11月号 平成16年

http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/tusyu_jiken_1.html

◆戦時下の報道
http://ikemidoujou.com/bun/media/kougi13.htm

尖閣上陸、きょうにも強制送還 野田おまえもかきゃ!?

沖縄県警などが入管難民法違反容疑で逮捕した14人について、政府は16日、那覇地検に送検せず、強制送還する方針を発表した。

これは入管難民法違反(不法上陸・入国)であり、出入国管理及び難民認定法違反により退去強制手続を粛々と進めればいいのだが、那覇地検に送検せずに強制送還ということだから、超法規的処置に類する。

前回の船舶衝突という公務執行妨害を破棄したのと違って、過程を飛ばしただけだが送検しないところに問題がある。

送検しないといえば、李明博大統領も竹島に上陸したので、無法入国で形式的に書類送検するべきであろう。

次回、日本に入国した際は、警察の方までご足労して頂こう。

ともかく、福島も含めて、超法規的処置が民主党政権の十八番となっている。

法制国家でありながら、法律を政府自ら破っている。

韓国さん、「通貨スワップ」もいらないそうだから、さっさと辞めてしまいましょう。

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尖閣上陸の活動家ら14人、きょうにも強制送還
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120817-OYT1T00029.htm?from=top
 沖縄県石垣市の尖閣諸島・魚釣島に香港の民間反日団体の活動家らが不法上陸した事件で、海上保安庁は16日、入管難民法違反(不法入国)容疑で現行犯逮捕した中国籍の男ら9人について、他に法令違反はなかったとして身柄を入管当局に移送した。

 沖縄県警が同法違反(不法上陸)容疑で逮捕した5人についても、近く引き渡す。政府は17日に野田首相が出席して関係閣僚会議を開き、今後の対応を検討する。男らを同日にも強制送還する方針で、日中関係への影響に配慮し、早期の幕引きを図る。

 団体側は上陸目的の一つに、日本が設置した灯台の破壊も掲げていた。しかし、男らの所持品は旗や団体の主張を書いたのぼりなどで、長時間の上陸を目的とした装備がないため、県警などでは示威行為だったと結論付けた。海保幹部は「騒ぎを起こすことが目的だった」とし、刑事処分は必要ないと判断したとみられる。

(2012年8月17日03時06分  読売新聞)
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尖閣上陸:地元に余波 日中に自制求める声
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-08-16_37816
尖閣諸島の領有を主張する香港の団体メンバーが15日、石垣市の尖閣諸島に上陸、逮捕されたことを受け、地元関係者からは、国内法にのっとった対応を求める声が上がった。2004年の中国人上陸事件、10年の漁船衝突事件では、日中関係が緊張し、沖縄観光に影響が出た過去があり、日中双方に自制的な対処を求める声も聞かれた。

 石垣市の中山義隆市長は「領海侵犯は許されないし、不法上陸も当然認められない。国は毅然(きぜん)とした対応を示してほしい」と強調。「中国漁船衝突事件の船長を不起訴で帰したような甘い対応じゃなく、国内法に従って裁いてほしい」と求めた。

 その上で「外交摩擦を起こさせないためには、わが国が実効支配を強めるべきだと思う」とした。

 八重山漁協の上原亀一組合長は「(都や国の尖閣購入計画に対する)反発だろう、という感じはする。中国も日本も、互いに挑発するような行為はやめてほしい」と訴え、「上陸してしまった以上、国内法にのっとって粛々と対応してほしい」と求めた。

 「尖閣列島戦時遭難者遺族会」の慶田城用武会長は「日本であれ中国、台湾であれ、上陸は根本的な解決にならず、方法をはき違えている。強行な上陸がエスカレートし、やがて武力衝突に発展しないか」と懸念する。「やられたらやり返すのでは悪い方向に行くばかり。外交によって平和裏に解決してほしい」と要望した。

 沖縄・中国友好協会の西田健次郎顧問は中国からの観光客を呼び込もうと約13年前から沖縄と中国の懸け橋として奔走。逮捕による中国からの観光誘客への影響について「今のところ、深刻に落ち込むことはない」とみるが、「中国側は、今のような挑発的な態度をやめるべきだ」と語気を強めた。

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韓国政府「状況悪化、野田首相に期待できない」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120816-OYT1T01152.htm
【ソウル=中川孝之】17日付のソウル新聞(早版)は、韓国大統領府の高官が16日、竹島の領有権や歴史問題での日本の対応を批判した上で、韓国政府が「野田首相にはこれ以上、期待することはできないとの結論に至った」と述べたと報じた。

 この高官は同紙に対し、野田政権の発足当初、李明博イミョンバク政権は「発言を自制して未来志向で行くことを望んだが、むしろ状況が悪化した」と語ったという。歴史問題とは、いわゆる従軍慰安婦問題を指すとみられる。

 さらに、日本が韓国への対抗措置として、日韓の通貨交換(スワップ)協定の見直しも検討しているとされる点に関し、同高官は「日本との通貨スワップがなくても、韓国ウォンの価値が不安定になる状況ではない」と強調。「(同協定は)両国の相互利益のためのもので、(昨年10月に)スワップ枠を拡充した際も日本側が先に提案した」などと説明した。
(2012年8月16日20時44分  読売新聞)

原発推進派は気違いしかいないように間違われるだろ!?

原発推進派の理論は破綻している。 
「反原発派が『何より命が大事』というのは嘘なのだ。」と言っているが、「タカが電気の為に命を掛けるのか」と言っているのであって、勝手に編纂しないでほしい。

・凍死者を出していい
・人工呼吸器を止めていい
などと言っている方はいない。
「池田信夫blog」の中傷誹謗は因縁をつけているだけである。

しかもコメント欄の記事を載せても、原発推進派以外は削除される。(どれだけ傲慢なんだ!?)

改めて言っておこう。

電気は原子力でなくても発電できる。
水力でダムの砂をサルベージすると3割の供給力アップが可能だ。
臨時の火力発電所を設置するなら3ケ月もあれば可能だ。
太陽光発電のパネル生産率から言えば、ピーク電圧を2割程度下げることが可能だ。
蛍光灯をLSDに変えることで、節電も可能だ。
要はやる気があるかないかだ。

さらに、中長期的に見れば、
2年ほどで天然ガス発電所の建設が可能だ。
地熱発電の建設もできる。
メタンハイドレートの実現もそう遠くない。土木工事でサルベージすれば、2年以内の実現も可能だ。
メタンハイドレートでできる天然ガスは火力発電所で使える。
小規模水力ダムの建設

その他にも研究中のエネルギーが実用化の目途が付いている。

電力発電において、原子力に頼る必要などないのだ。
頼る必要がないから、原発はいらないと言っている。

誰かを犠牲にしていいなど言っていない。

「池田信夫blog」は無知の塊だ。
己の無能さを披露するのは見ていて恥ずかしい。
経済政策では、まともな理論展開ができるのに、原子力に関係すると、どうしてこうも無知になるのだろうか?

あなたも原子力推進派なら、論理的にどうするべきかを述べるべきだ。
原子力推進派がすべて気違いと思われては堪らない。

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反原発か生命か
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51803613.html
(前略)
要するに、反原発派が「何より命が大事」というのは嘘なのだ。彼らにとって何より大事なのは「原発は巨悪だ」とか「原発がなくても生活に支障はない」という信仰であり、それを守るためには北海道で何人凍死しようが知ったことではない。「運動」の論理とはそういうものだ。日本人は、反原発運動と人命のどちらをとるか、選択を迫られている。

{コメント}
・Koga Yukiya
反対派は3.11で影響を受けない原発を、いろんなイチャモンを付けて
停止させ、生活への支障は凍死は勿論、それより日本を複合的な混乱に
陥れたいからで、最早治安の問題です。
・池田 信夫
ついでながら、頭のおかしい某弁護士は「泊原発で事故が起きても、放射能をまき散らしながら稼働を続けろという」と、例によって藁人形で遊んでいる。人権にうるさい彼も、北海道で凍死する人の人権には興味がないんだね。
・竹本 淳一
地獄のような北海道の冬!反原発派の皆さんは、今さら全世帯に練炭・火鉢・石油ストーブのみで過ごせと押し付けているのね。一酸化炭素中毒による死亡、火災発生による死亡が激増しても、反原発派の輩は絶対に責任を取らないから、ずるい。、
・竹花 利明
人間、何をするにもリスクがつきものです。全体を見て、現実を見て冷静に判断することが必要。
・五百蔵勉
反原発派の主張など、目先の事と綺麗事だけで論理的に破綻している。

野生キノコから最高値3万1千ベクレルの放射性セシウム

栃木県は8月6日、日光市で採取した野生チチタケから最高値3万1千ベクレルの放射性セシウムが検出された。

栃木県は「どうして、こんな高い数値が・・・?」と疑問の声を上げているが、何も不思議がることもはない。

植物や動物の体では、自然に凝縮が進むようになっている。

今はまだ大丈夫だが、海の魚からストロンチウム90がカルシウムに混じって吸収される。気が付けば、数万ベクレルの凝縮も不思議でない時代が来るかもしれない。

今のような検査が不十分な状態では、何が起こっても不思議ではない。

むしろ、「どうして、こんな高い数値が・・・?」と驚いている方がいることに驚いてしまう。

本日は長崎の日である。

広島、長崎で起こったことは、福島でも起きる。

その覚悟をいい加減に持ってもらいたいものだ。

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野生キノコから最高値のセシウム :日本経済新聞
http://ceron.jp/url/www.nikkei.com/article/DGXNASDG06050_W2A800C1CR8000/

野生キノコから最高値のセシウム

Highest level of cesium detected in wild mushroom

栃木県は6日、日光市で採取した野生チチタケから国の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を大幅に超える3万1千ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。同市の野生キノコは既に出荷制限されており、県は採取して食べないよう呼び掛ける。

Tochigi Prefecture announced on August 6 that 31,000 Bq/kg of radioactive cesium was detected in wild "Lactarius volemus" (tawny milkcap mushroom) harvested in Nikko City, far exceeding the national safety standard (100 Bq/kg). Shipment of wild mushrooms from the city have been already restricted, and the prefectural government is advising citizens not to harvest and eat the wild mushrooms.

厚生労働省によると、野生キノコでは昨年9月に福島県棚倉町のチチタケで検出した2万8千ベクレルを上回り最高値となる。栃木県は「土壌からの吸収が大きいと思うが、周囲の樹木に残る放射性物質の影響も考えられる」としている。

According to the Ministry of Health and Welfare, it is the highest level exceeding the amount detected in "Lactarius volemus" harvested in Tanakura-machi in Fukushima Prefecture in September last year, which measured 28,000 Bq/kg. The Tochigi prefectural government says, "We believe the cesium absorption was largely from the soil, but radioactive materials from the surrounding trees may also have affected it."

原爆の日、野田佳彦総理が鵺に見えた。

2012年08年06日午前8時15分、67年前に広島に原爆が投下された。

去年、今年のは特別なものとなった。

去年の『原爆の日』は、原発に依存しない社会への構造転換を誓う日本の分岐点の表明であり、

今年の『原爆の日』は、「去年の話はなしよ」宣言ともいうべき表明である。

野田佳彦の前に国民はなく、野田佳彦の後に国民はいない。

裸の王様、裸の政府、それでも権力者が立っていた。

この野田佳彦は、国民の声など意に介せず、広島の眼下に広がる祈りになんら感銘も受けない。人間として感情らしい感情も感じない堂々とした態度に恐怖を覚える。素晴らしき鈍感。私は得体のしれない怪物ではないか。

当に伝説の鵺(ぬえ)である。

サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビなどとその姿は奇怪で、この鳥の寂しげな鳴き声は平安時代頃の人々には不吉なものに聞こえたことから凶鳥とされている。

天下に災いを齎すと言われる鵺(ぬえ)。

怪奇物語ではないが、悪鬼が人の体内に入って内から子供を食い。子供の皮をかぶって人間になり替わる魑魅魍魎。

魑魅魍魎は、人身が苦しむ様を見て楽しんでいる。

広島の市民の前に立つ。その堂々とした姿に唖然とするしかない。

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広島で67回目の「原爆の日」 野田首相も出席し平和記念式典へ(12/08/06)
http://www.youtube.com/watch?v=jJW6Fk8YEWs
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「脱原発依存」総理個人の考えから政府の考えに・・・(11/08/06)
http://www.youtube.com/watch?v=1bTKajNcKrQ&feature=relmfu
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【広島、被爆から67年】「震災被災者と共に」 平和宣言、原発是非触れず  核兵器廃絶へ誓い
http://www.47news.jp/47topics/e/233138.php

野田佳彦首相も参列し、あいさつで原発事故について「除染などの生活基盤の再建に全力を尽くす」と誓う一方、「脱原発依存の基本方針の下、中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指す」と従来の方針を述べるにとどめた。

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野田首相「安心エネ確立めざす」 広島市長「福島と広島重なる」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120806/plc12080611230009-n1.htm

原爆症認定、改善に意欲

 野田首相は、原爆症の認定をめぐって司法判断と行政の認定が乖離(かいり)していると批判が出ている認定制度について「より良い制度への改善を進め、総合的な援護策を進める」と述べ、改善に意欲をみせた。
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67回目「原爆の日」 英仏が初出席、中国は欠席
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120806/plc12080610190007-n1.htm
2012.8.6 10:18
広島は6日、67回目の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園で「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が行われ、原爆投下時刻の午前8時15分、遺族ら約5万人が犠牲者の冥福を祈った。

 松井一実市長は「平和宣言」で、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策の確立や、核兵器廃絶へのリーダーシップの発揮などを国に求めた。また、東日本大震災と原発事故の被災者の姿が67年前の広島に重なるとして「心は共にある」と呼び掛けた。

 式典では野田佳彦首相があいさつし、福島第1原発事故により全町避難している福島県浪江町の馬場有(たもつ)町長も初めて出席。世界71カ国と欧州連合(EU)の代表が参列した。

 主な核保有国では、米国のルース駐日大使が平成22年に続き2回目の出席のほか、イギリスとフランスは初めて大使が出席。ロシアは大使を派遣せず1等書記官が出席、中国は欠席した。

 被爆者健康手帳の所持者は3月末現在、21万830人で昨年より8580人減少。平均年齢は78・10歳で0・66歳上がった.

指が6本の子供、悩まない、悩まない、 とっても縁起がいいよ!?

最近はエコーなどで生まれる前の子供状態が判る。、外から分かる外表奇形の数は、1年間に生まれる子どもの約1割に当たる10万人強と言われる。
技術の進歩のおかげで発見できる訳で、数の増減は議論できない。
無脳や奇形児の場合は悩む必要があるが、ダウン症や“指が6本”程度ならそれほど気にすることはない。

もし、私が先生から『指が6本の子供です』と告げられたら、飛んで喜んでしまうかもしれない。
『指が6本』と言えば、これほど吉兆なことはない。

『指が6本』といえば、農民から天下を取った豊臣秀吉のことである。

ルイス・フロイス『日本史』豊臣秀吉編 I 第16章
「優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた。身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。片手には六本の指があった。眼がとび出ており、支那人のように鬚が少なかった。極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた。抜け目なき策略家であった。」

前田利家『国祖遺言』
「大閤様は右之手おやゆひ一ツ多六御座候然時蒲生飛 生飛弾殿肥前様金森法印御三人しゆらく(聚楽)にて大納言様へ御出入ませす御居間のそは四畳半敷御かこいにて夜半迄御 咄候其時上様ほとの御人成か御若キ時六ツゆひを御きりすて候ハん事にて候ヲ左なく事ニ候信長公大こう様ヲ異名に六ツめかな とゝ御意候由御物語共候色々御物語然之事」
 
これを見て判るように、豊臣秀吉は生まれつき手の指が多い「多指症」だった。

豊臣秀吉は、自分の生まれた子供に『棄丸(ひろいまる)』とか、『拾丸(ひろいまる)』と命名している。
おそらく、秀吉自身が奇形として生まれたので、橋の下に棄てられ、再び、拾われたエピソードがあり、秀吉自身の幼名と考えられる。

「子供を一度棄ててから拾うと元気な子に育つ」

そんな逸話があり、神社や寺、または家の軒先に一度棄ててから拾って育てるという風習も残っています。

または、

厄年に子供を産むのは良くないとか。それで、一度子供を捨てて、他人に拾ってもらい、改めてその人から譲り受けて育てるという風習も残っております。

子棄て(子捨て)、子流しの風習は、間引きという風習の中で普通だったとかんがえられます。
宣教師ルイス・フロイスは、大阪・堺のお濠端を歩いていると、そうやって投げ捨てられた子どもを頻繁に見かけると書いております。

因みに、これは親からすると殺人ではありません。
子供は神様からの授かりモノ。神様に「オカエシする」、「おモドス」と考えられていました。

何故、川かと言いますと、
「桃太郎伝説」に出て来るように、川をどんぶらこ、どんぶらこと流れてやってきます。川の上流には異界。桃源郷があり、神々が住んでいると考えられていたからです。または、流れ付いた海の底には、竜宮城があり、龍人が住んでいると考えれていました。
川は遡っても、下っても神の領域なのです。

漢字で流れると書きますね。

『流』は、子供を逆さまにして流すという漢字なのです。

川の水(さんずい)、川を表しています。
.Sanzui

逆さまにした「子」(な、なんと子を逆さまにすると、下の字に)
.Kogyaku

頭の髪の毛が伸びたところ(逆さにされた子供の髪が川に流されている様です)
.Sanbonke

この3つの文字からできています。(流すとは、子供を捨てるという意味)

「お前はうちの子ではない。橋の下から拾って来た子だ」
という、この拾い親の風習は、太閤『秀吉』から受け継げられてきたのではないのでしょうか。

『指が6本』

マサに天下人となる大器です。

奇形だからと言って、無闇に悲しみだけはやめましょう。

<福島の妊婦、7人中5人がダウン症や奇形児のニュースには疑問を?>

この話を聞いたとき、このニュースの裏を探しましたが見つかりません。

同じニュースを繰り返すだけです。

ニュース元が特定できないので保留中です。

今のところ、あまり騒ぎたくありません。

心配はしておりますが、統計やその病院がある程度特定できない以上、愉快犯の可能性も考慮すべきです。

気休めですが、ダウン症や“指が6本”は普通に起こる事故ですから、放射能と絡めて心配し過ぎないようにして下さい。

安心と言っている政府や自治体こそ、

データーを公開して、住民の安心を与えるべきだ。

公開されない。

これが公開できないのではないかという懸念を生んでいる。風評被害は常に政府と自治体が生み出している。安全というならば、仕事をしてもらいたいものである。

日本では、「魚を食べても安全です。」と言っているが、海を隔てたカリフォルニアでは大問題!?

日本では最近ニュースが小さくなるばかりの汚染魚類です。

「福島産タコ築地で初取引」と安全神話を拡大中の日本ですが、海を隔てたカリフォルニアに大問題があがっております。

「アメリカ西海岸で漁禁止!」、「カリフォルニアのツナに基準上限値の十倍のセシウム!」とアメリカ政府も遂に隠せきれなくなり認めました。

今後、この漁業問題で東京電力が訴訟されるのは間違いないでしょう。

セシウム、セシウムと騒いでおりますが、私はセシウムよりストロンチウムの方が気掛かりです。

ウナギはアウトで、タコはOK。

ちょっと意外なニュースです。

タコ踊りに騙されて喜んでいる方々がいるので、それ以上は突っ込みませんが、2年経つと放射能が消えるなんて信じていないことを祈るのみです。

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放射能 マグロで食物連鎖の濃縮が米国でも(字幕)
http://www.youtube.com/watch?v=ssF4tHTG1yM

放射能汚染マグロが太平洋を渡る Charlie the tuna glows in the dark
TheBigPictureRT さんが 2012/05/30 に公開<日本語訳↓:Jo2Rayden >
悲劇的な物語は、まだ何処にも消えません。福島原発危機。
放射能汚染された魚は現在、米国海域で泳いでいます。
科学者が、 初めて、昨年の日本の福島原発事故により汚染されたクロマグロが、カリフォルニアの海岸で泳いでいるのを見つけました。通常レベルの10倍以上の放射性セシウムに汚染され­た魚が、見つかったのです。しかし、保健当局は、放射性レベルが健康への脅威と見なすには余りにも低いと言います。何度も言いますが、 放射能がないほうが良いのにです。
一方、破壊された福島原発では、4号機建屋が膨張しているのが確認されました。高レベル放射性の使用済み核燃料棒の数万体を保管する建造物が、健全ではないことに懸念が増­加しているのです。4号機の建屋が崩壊したら、チェルノブイリよりも更に酷い原子力災害を引き起こす可能性があるのです。

 放射性廃棄物の監視団体・Beyond NuclearのKevin Camps氏においで頂きました。ようこそ。 最初に黒マグロですが、あなたは、この番組で1年前に汚染を予想され、一般的にマグロとシーフードについてどうお考えですか?私はガイガーカウンターを持ってますが、それ­で魚屋で計測して、魚を選ぶことはしてません。東でなく、西海岸で起こっているからです。

Kevin Kamps:まず第一に、クロマグロの内部汚染をチェックする為の特別な計測機が必要ですね。放射性物質はマグロの筋肉のより深くにあり、人間の体に摂り込まれるのと同じ­仕組みです。ウッズホール海洋研究所からスタンフォード大学の研究で裏付けられた、全米科学アカデミー紀要の新しい研究が、明らかに示しています。マグロの筋肉組織は、放­射性セシウム137、放射性セシウム134で汚染されています。間違いなく、紛れもなく福島第一の放射能の海への大規模な放出があり、これは前例のない規模で、2011年­3月と4月に起こった。実際に、マグロの測定値は、2011年8月に計測されました。信じられないですが、真実が出るのにこのくらい時間が掛かる。

司会:待って下さい! 昨年の8月は8ヶ月前、9ヶ月前で、つまり、人々は去年から半年間、セシウム汚染マグロを食べていると!?

Kevin Kamps:我々は、アメリカ連邦政府が、適切な方法で食糧供給、特に魚介類の供給で、放射能汚染を追跡していないことを、原発の大惨事が始まって以来、非常に心配してき­ました。日本の東岸に放出された放射能に汚染されたマグロが、5000マイル以上の海を泳いで越えて、2011年8月に南カリフォルニアに到着したのです。サケやマグロな­ど大きいサイズの捕食魚は、'プランクトンを食べる小魚'を食べた小魚を食べている。これらすべてが、食物連鎖で放射性物質を蓄積していきます。下流だから風下だからだけ­ではありません。長期間にわたって広大な距離で、食物連鎖していくのです。

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アメリカ西海岸で漁禁止!太平洋側の魚はほぼ全滅。”被爆した福島のクロマグロが、西海岸まで回遊”
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/08e21f19299c780747c10c2ac94caee4

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カリフォルニアのツナに基準上限値の十倍のセシウム!弥勒菩薩ラエルは、全ての原発廃炉主張!
http://whoomoi.seesaa.net/article/274209133.html
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恐怖の被爆クロマグロがアメリカ西海岸で猛威を奮っているとの報道
Fishy Catch: Fukushima fins spotted on US shores

http://www.yukawanet.com/archives/4249632.html
http://www.thetruthbehindthescenes.org/2012/07/21/fishy-catch-fukushima-fins-spotted-on-us-shores/

アメリカ西海岸の被ばく線量が上昇しているとの報道が海外で沸き起こっている。理由は被爆した福島のクロマグロが、西海岸にやってきた影響で、放射能の数値が上がっているとのことだ。現地では漁が禁止され、この先の不安が払しょくできない事態に陥っている。国内のみならず海外に問題が表面化してきた福島原発問題の収束は見えるのか。

放射濃度が上昇しているのはアメリカ西海岸のカリフォルニア州。恐怖の被爆クロマグロが西海岸を泳いでおり、深刻な事態だと言う。しかもこれは氷山の一角に過ぎず、被爆した魚はまだまだ沢山いるだろうと言う事だ。

実際去年の5月に放射性セシウム濃度が上昇したクロマグロがチラホラと漂着したというニュースもあったことから、そのような魚が、次々と西海岸に漂着し、放射濃度を高めている可能性が高い。

このクロマグロは、黒潮によって日本からアメリカの西海岸に到達するケースもあり、そのようなマグロたちが次々と漂着し放射濃度をあげている可能性があると言う。

この問題を受け現地では漁が禁止され、状況を見守っているという。
核兵器を持たない国が逆に海外に問題を起こすと言う皮肉な事態に陥ることだけは避けたい。

動画
http://youtu.be/-uGnmIa3eAk

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最低週2回揚がる奇形魚、海の放射能汚染の実態とは?
http://uskeizai.com/article/273848627.html

イッコウさんの発言

■ 1週間に最低、(奇形魚が)2回ぐらいは入るね。

■ (奇形魚は)やっぱり海底にいるやつかな。ヒラメと、あと、スズキ。あと、ブリ。生態系の上にいるやつ。

■ 個人的にも測定やってんだけども、やっぱり奇形が出る魚の種類はセシウム濃度も高いし…。

■ 俺が測っているのはスズキ。あのー、(東京湾から)下ってきたやつ。漁協で測って700(ベクレル)以上。

■ 俺も自分でやってて胸が痛いんだよね。だから、本当に親しい人には、言って伝えて「食べないように」と注意を促すくらいしかできてないんだけどね。

■ アナゴやばい、アナゴやばい。あと、ハゼ。ハゼも出てるって言ってたね。

■東京の利根川のハゼを測ったら、それも700ベクレルっていう。

■ 今日は、確か、聞きに行ったら、ウナギだって、利根川の。ウナギも基準値以上だという。

■ なんか黒潮で、福島のほうは最初のうちは大丈夫だったんだけど、今回は、下りカツオ(下り鰹)とか、ブリとか、特に福島のところを通ってくる、ほらっ、北海道のほうから下ってくるのが下りカツオといって。そういうのと、ブリもそうなんだけど、その福島沖を通って(房総に)来るのもいるから。
そういうのが、俺はヤバイなと。

■ あとサンマか。俺、むちゃくちゃサンマ好きなんだけどさ、食ってないよ今年は。
漁協の朝飯にも、結構な頻度で出るけど、棄ててるわ、俺は。

閑話休題 -主役はどこにいった-

福島第1の問題は完全に国会に移ったようだ。

幼稚園の放射能濃度が一時的に上がったようなことがあったが、それに関連するニュースが見つけられない。

断片的ニュースから風評被害を出したくないのでコメントしていないが、何が起こっているのだろう?

官邸前デモは、国会前へ移動した。

警察のバリケードが高いからだ。警察も市民の味方ではなくなってきている。

鳩山、管、野田と変わるたびに劣化し続ける民主党の代表は、さらに劣化するのだろう。

このままだと、国会が機能停止も目前だろう。

今は大正末期、昭和へ移行した頃と似ている。

主役不在、何が起こっているか判らない私は、上げないで没になるコメントが増えてゆくだけだ。

日本女子サッカー、勝利おめでとう!

平和ならオリンピック一色もやってみたかったな!

石原莞爾の中国論

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<この歴史館へGO! 歴史のブログ>

石原莞爾は、中国人をどう思っていたのだろうか?

石原莞爾は漢口に駐在していた時代に、無気力に生活する中国人を見て、ひどく失望しているが、一面孫文の革命の報を聞いたとき「バンザイ!」と叫んだほど、中国人にアジア人を意識していた。

しかし、毛沢東に言わせれば「貧しくて無学無知」の人々だそうだ。貧しくて無学無知の人々の中には、他人が早く死ぬことを望む性格や、人の弱みを見ればとことんつけこむ民族性などが形成されていったと言っている。

元や清帝国が漢人ではなく蛮勇の異民族であっても中国人は受け入れている。

それは、毛沢東いう石原莞爾が見た無気力に生活する中国人ではないだろうか。しかし、同時に革命の報を喜ぶ国民性を残している。

その二面性を確信したとき、石原莞爾の脳裏に理想国家「満州合衆国」が生まれたのではないだろうか。

<「東亜連盟」構想 >

石原は仏典と日蓮の教えを研究して、「世界は永久平和に向かって流れている」「永久平和は世界最終戦争も後にやってくる」そして「その時期は21世紀初頭」と推論した。

石原は大正13年にドイツ留学より帰国し、陸大の教官として、こうした独自の戦争史観を発表し、にわかに注目を集める。

世界最終戦争は西洋の盟主たるアメリカと東亜連盟との間で戦われる。東洋諸民族は平等の関係で信義を守り、協同して西洋やロシアに対峙しなければならない。東洋諸民族の大同団結のためには、満州の大地に、五民族が完全平等に参加協力する理想国家「満州合衆国」を創設する。

石原の考えは、「日本が満州を占領して、五族協和の理想郷をつくる」というものである。排日運動を根本的に無くすには、五民族の完全平等の国をつくらなければならない。その実現のための満州占領である。

しかし、ここで軍部との認識にズレが生じ始めていた。

石原は完全な平等を考えていた。

石原莞爾が満州事変を起こす前、満州在留の日本人団体の有力者であった小沢開作に「関東軍の腰の軍刀は竹刀か!!」となじられ時、石原「腰の軍刀は竹刀で結構。東北陸軍(張学良軍)などは竹刀でも一撃で倒せる。」と豪語した有名な話がある。

これは逆に言えば張学良軍の様な軍閥の軍隊になら勝てるという意味であるが、同時に満州在留の日本人の為に軍を動かす意思のない現れである。

しかし、侵略そのものに否定的でもない。

同じく満州事変を起こす前であるが、「戦争史」などを述べると、世界的な歴史家の貫禄を感じさせられた。

日本の侵略という列強の非難を拒絶した。
「世界の戦争はまだ帝国主義的な侵略の段階にある。てめえたちだって、そうじやないか」
と石原はあざ笑った。
「今の日本も、近代国家として発展しなければならぬ運命をもつ日本帝国ではないか」
と言っておいて、いわゆる「石原構想」を繰り返すのだった。
「人口が膨れ上がり、食糧問題でも行き詰まりをみせている日本は、せっかく獲った権益を守り、これを足がかりに、満蒙で活路を開こうとするのは当然のことではないか。中国はいつも内乱を起していて、主権確立が難かしい。
日本の力で治安維持を行ない、各民族共存共栄でやってゆけば、発展は目に見えている。
何も日本だけの利益を考えているわけではない。日本が満蒙を領有し、統治方法は総督制にする。
日本人は軍事と大規模な企業、中国人は商業と農業、朝鮮人は水田、蒙古人は牧畜、といった具合におのおのの特性を活かすことにあるのだ。
従って満蒙領有の構想は、在満3千万民衆の共同の敵、東北軍閥を倒すことで、各民族の幸福と発展を促すことが目的とならなければならん。
満州の現住民は漢民族より大和民族に近い。」
と言っている。

満州には、中国人3600万人、満州人270万人、朝鮮人170万人、蒙古人100万人、日本人70万人が住んでいた。五族が互いの民族的個性を尊重しつつ、民族的差別を廃し、友情と同志的結合で理想の東亜多民族国家を建設しようとしたのである。

石原の行ったことは「大革命」であった。

それゆえに躊躇なく東京政府の意向を無視した。だから、多くの中国人、朝鮮人が石原の理想に共鳴し希望を託したと思われる。

「日本人を離脱して、満州人になりたい」と言っていたらしい。

石原は建国の年(昭和7年)の8月に帰国する。

昭和10年8月、参謀本部第二課長(作戦担当)となり、東京に着任。ソ連の急増強化された軍事力に対抗するため、満州の産業開発をなして、日満一体の国防体制づくりの推進に着手した。

石原莞爾の特筆すべきは、「東亜連盟」構想である。
1.日本は中国に有する権益は全部返還する。
2.日本の権益擁護の駐兵は全部撤退する。
3.中国の独立を保全し、相互に内政干渉しない。
4.両国は民族協和の運動を展開する。
5.中国は満州国の独立を承認する。

蒋介石の南京政府は「日本の有力軍人から、このような話を聞かされるとは思わなかった」とびっくりし、石原に全面賛成の意向を表明した。

しかし、昭和12年7月7日、北京郊外の盧溝橋で軍事衝突(北支事変)が生じた。

陸軍統制派の意思は、石原莞爾とまったく別のところへ向かっていた。

<五族協和の独立国>

五族協和(五族とは,日本人,中国人,ロシア人,朝鮮人,蒙古人)
「満州は日本のための領土ではなく,日中共同の独立国家であり,諸民族協和の理想郷だ。」 
(「日本の戦争」:田原総一朗より 石原莞爾の言葉)

ユダヤ人もアラブ人も、ソ連人もアメリカ人も、それぞれ民族としての自己同一性は鮮明です。フランス人もイギリス人も中国人も、その自己同一性は日本人ほど不透明ではありません。ところが、ひとり日本人のみが、外見こそメガネとカメラで戯画化されるほど個性的であるにもかかわらず、その内面となると、「曰く不可解」ないしはエコノミック・アニマルという評言が出るありさまです。
(中略)
石原莞爾が民族協和の総本山として建学した満州建国大学の教授中山優氏は、戦後、その回想記のなかで次のように述べています。
「天才の真の意味は、その存在によって何時でも人々に希望を抱かせることであるかも知れぬ。(略)第一次世界大戦当時、北京の辜鴻銘翁がよく西洋人の記者を捉えては、『あなた方は文明の意味を知っているかね。文明とは自動車や飛行機の数ではないよ。一国文明の高さは、その国の文明が生んだ最高の人物によってきまるものだ』といったものだが、それが今日の我々には痛切に思い出される。何の幸いか、我々は身近く将軍を知り得た。将軍は、日本アルプスの雪線の様に、我々の民族能力の水準の高さを示している。それは又地下の水脈の如く、我々の努力によって無限の文化価値を生み出す可能性を示している。」
(石原莞爾選集(全10巻)合本版)

石原莞爾が打ち出した国家建設の理念は「五族協和」で、満州国旗である赤・青・白・黒・黄の五色組み合わせが象徴している通り、赤は日本人・青は朝鮮人・白は満州人・黒は蒙古人・黄色は漢人を表し、この五色の協和を目指す理念であった。毛沢東は、石原莞爾が作った満州国をお手本にして、中国を建国したと言われている毛沢東に「日本の皇軍こそ、中国人民を教育した。日本の侵略がなかったら、中国人民は覚醒しなかった。日本の皇軍は我々に良い事をしたから、私は日本皇軍に感謝する」と語った。中国の歴史の中で、日本人に感謝の念を表したのは、毛沢東だけである。
(石原莞爾選集(全10巻)合本版)

京都16師団長時代 、京大の公開講演会に招かれて、こう語った
「敵は中国人ではない、日本人である。 自己の野心と功名心に駆り立てられて、武器を取った東条、梅津の輩こそ、日本の敵である。彼等こそ銃殺されるべき人物である」
(京都16師団長時代 、京大の公開講演会)

昭和16年、東条陸相の名で『戦陣訓』が配布される。「死するとも虜囚の辱めを受けるなかれ」という有名なやつである。

石原の信念とは、神たる兵は死んではならぬ、神たる兵は死んではいけない、「死んでたまるか」なのである。

石原は『戦陣訓』を「東条は、己を何と心得ているのか。成り上がりの中将ではないか。全軍に精神訓話などもっての外であり、師団将兵は戦陣訓を読むべからず」と痛烈に罵倒した。

石原莞爾の敵は、中国ではなく同胞の東条率いる統制派となっていた。

もし、東洋の奇跡、「満州国」を完成させることができたなら、まったく違う未来が開けていたことは言うまでもない。

しかし、時代の風雲児、石原莞爾は理解することもなく、軍より排斥されていった。

統制派は含め、多くの日本人は勝利の美酒に酔いしれており、

関東軍1万4000人に対して、張学良の軍閥兵16万人。10倍以上の兵力差を無視して成功させた石原莞爾の軍事的才能しか見えていなかった。

日本人は凄いという大きな勘違いと、独断専行であっても成功すれば良いという悪しき教訓を残した。

石原莞爾にしてみれば、

自分はそんなことをしていないと全否定するだろう。

満州事変は、多くの外的要因と満州のある内的要因の間隙を付いたクーデターであって、関東軍が強い訳でも、自分が優れていた訳でもないと言うだろう。

しかも、日本国から関東軍を含めた独立戦争の体を成していた。

残念ながら、その意図は統制派によって瓦解させられた。統制派の好き勝手ができる軍を生み出しただけである。

最後に、石原莞爾が太平洋戦争をどう捉えていたかというと、

山形県知事が石原宅を訪ね、
「アメリカとの戦争の見通しはどうでしょうか。」
と尋ねると,石原は、
「ご心配におよびません。必ず負けます。」
と言った。そしてさらに言葉を続け,
「負けても日本民族は亡びません。負けて目が覚めてから,はじめて立ち上がり,日本は本当の姿を現しますよ。」
と述べたという。
 (「秘録 石原莞爾」:横山臣平より)

石原莞爾を理解するには、60年の時が必要だったようだ。

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