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はいからさんが通ると従軍慰安婦

01_10
<この歴史館へGO! 歴史のブログ>

“はいからさんが通る”は私のとって懐かしい話である。

マルコポーロ、人情劇『三国志』、ベルサイユーのバラ、パラリロなど一緒に懐かしい思い出が蘇ってくる。
“はいからさんが通る”を見ていたのは、小学生から中学に掛けての事だっただろうか。

大正娘のじゃじゃ馬、花村紅緒はハンサムの青年将校、伊集院忍と聞かされて猛反発。しかし、反発している間に本当に好きになり、シベリアまで追いかけようとする少女だった。
細かい話はほとんど覚えていないが、娼婦が慰安婦でシベリアに行くと聞いて着いて行こうとするのだ。
「あんたみたいなお嬢様はおよびじゃない」
そんな感じでお払い箱、それでも食い下がるという話もあった。

それから随分経って、中学3年から高校3年の夏休みの大阪市中央中之島図書館の一角で古い新聞を見つけて、探していると慰安婦のことを見つけた。
「応募した人数より多数が集まった」という記事だった。
まぁ、昔の新聞は読み憎く、半分くらいしか読めなかったりするのだが、「あった。あった。はいからさんの慰安婦だ」と見つけて喜んでものだ。
無邪気な時代であった。

従軍慰安婦問題は、1983年に吉田清治が済州島で「慰安婦狩り」を自ら行ったとする「私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行」を出版したことが始まりとされている。
残念ながら私はこの本を読んだことがない。

また、この出版された1983年当時は、従軍慰安婦の問題で世間が騒いでいたという記憶はまったくない。

改めて時系列を確かめてみるとなるほど納得させられる。

1991年に朝日記事スクープから、この従軍慰安婦問題が社会問題へと発展する。

1993年(平成5年)8月4日、宮沢訪朝 訪朝直前に反日感情盛り上がり、慰安婦に謝罪する宮沢改造内閣の河野洋平内閣官房長官が発表した。<河野内閣官房長官談話>

そして、この談話は問題となり、様々な経過を経て、
2011年9月15日
「韓国外交通商省の趙世暎(チョ・セヨン)東北アジア局長は15日、在韓日本大使館の兼原信克公使を呼び、旧日本軍の元従軍慰安婦の賠償問題に関する政府間協議の開催を求めた。」
と 今に至っている訳です。

これが問題になるとは夢にも思わなかった。

私にとって、慰安婦とは日本人のことであり、募集した人数より多くの方が協力的であったという事実とのギャップが埋まらない。

慰安婦にも色々あり、踊りや歌などを披露する慰安婦もいれば、手紙などと一緒に差し入れのようなものを持ってゆく慰安婦、看護師まではいかないまでも包帯やお粥を食べさせる看護の慰安婦、そして、話題になっている花摘みの慰安婦である。
具体的どんな運営がされていたのは知るよしない。
ただ、慰安婦だった方々の多く語られている。
「兵隊さんの御陰で家族元気に暮らしております」などと言われて、感極まって感涙を流したという美談は多く語られていた。
戦地にいる兵士にとって、家族からの手紙や慰安の彼女達の言葉は、何よりも勇気付けるものだ。一般的には慰問と言われる類いのものだ。
しかし、そう言った美談だけでなく、花摘みの娼婦も慰安婦である。

町で売春婦をするより儲かるから慰安婦に行くというのは、まさに“はいからさんが通る”の話である。
しかし、実際は金だけで行かされた者達だけではない、軍から募集が出されると町々や村々が競い合って娘を戦地に出したという話もある。
「あっちの村は、募集1人に対して、2人も出したぞ。んだば、おらのとこも2人はださんと」などと言って、若い娘を無理矢理参加させたなどと言う話は本当の事ではないだろうか。

戦争とは、「世の為、人の為、日本国の為」である。
“ほしがりません。勝つまでは”
“日日火水木金金”
日本が戦争するのは、欧米諸外国の脅威から日本を守る為と本気信じていたのだから、戦争に協力するのは国民の義務であった。
現代人から考えると信じられないような話だが、それが現実の時代であった。

村の為に行った慰安婦でも、やはり性への差別は存在し、陰口や後ろ指を指されることはよくあることだ。
実際、慰安婦の給与は非常に高く、家に仕送りをしている娘がいる農家などは、べこ(牛)を買って優雅に暮らしていれば、
「あ~ぁ、ウチの娘をだしゃよかった」
などと思っていない愚痴を漏らす者もいるだろう。
村の為に出ていった彼女達を帰ってきてから悪く言う者はいないが、影で何を言われているか判ったものではなかった。そんな居づらさに、遠くに村に嫁に行ったり、町に奉公に出たりする者もいたかもいれない。
私が読んで知っているのは、帰って来ても辛かったという思い出話くらいなのだ。
さて、さて、今となって、どの棚で読んだ本なのかも判らない。いや、いや、田舎に帰ってときだったろうか? それとも祖母に聞いた話だったろうか?
いずれにしろ、“はいからさんが通る”は、私にとって慰安婦を知る格好の機会となった。

その価値観が一変したのが、河野談話である。

その河野談話にも書かれているが、、
「戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていた」
と、“日本を別にすれば”とわざわざ断っています。

その河野談話が後々、これほどややこしい問題になるとは夢にも思っていませんでした。

慰安婦 = 日本人

朝鮮も日本併合されていましたから、親日派の村などは非常に協力的に娘を出していたのではないのでしょうか?

軍の強制は無かったとしても、半ば反強制、または、空気的に出さざるえない。

泣く泣く娘を差し出し家族も多くいるでしょう。

圧倒的に日本人が多く参加していた慰安婦ですが、河野談話の日本を別にすれば、朝鮮半島の比重は高かったでしょう。

しかし、私は韓国に慰安婦達を責めたくありません。

娼婦として、お金儲けで行った方々もいますが、戦争協力という大義名分で行かされた方々も多くいます。これは日本人も、朝鮮人も関係なく、降り掛かった天災のようなものです。

戦後、日本が戦争に勝っていたならば、朝鮮の方々も日本の方々と同様に、後指を差されることはあっても実害は無かったでしょう。

しかし、日本は戦争に負けてしまいました。

朝鮮において、親日派と反日派の均衡が崩れ、圧倒的に反日が強い国家に変貌しました。

親日派の家族は裏切り者として処断され、慰安婦として日本の戦争に協力した彼女達は、嫌が追うにも責め立てられました。

「あれは日本人に強制的に連れて行かれて、私は嫌だったんです」

そんな感じに言わなければ、殺されたかもしれません。

戦中は報酬を得ていたとは言え、自慢できる仕事とは申せません。

戦後は非国民として、責め立てられ真実を告げることなどできない。

そんな悲惨な人生を送ってきた彼女達を責めたくありません。

何故、そんなことになっているのでしょうか?

それは韓国が戦争を理解していないからです。

朝鮮半島の韓国は日本に侵略され、併合されてしまいました。

これに対して、日本に非があることは間違いありません。

自己防衛・正当防衛であったとしても、他国を侵害したことを正当化することはできませんが、その精算は『日韓基本条約』で終決しております。

しかし、韓国では、もう1つの心の問題を精算できずにいます。

併合されていた間、韓国の人々は、戦争当事者として戦争に参加した事実を受け入れられないいるのです。

朝鮮の人々は、支那事変(日中戦争)から太平洋戦争に加害者として参加していたのです。

被害者ではありません。

戦勝国などではありません。

日本と同じ敗戦国なのです。それを認められないのです。

「あれは日本国がやった。私たちは被害者だ。日本に協力した非国民が悪い」

歴史を斜めに見れば、事実が歪んでしまいます。

しかし、朝鮮ばかりを責める気になりません。

GHQの支配下にあった日本の多くの方々が、戦争責任を軍部になすり付け、自分たちも被害者のような顔をして、「解放してくれて、ありがとう」とGHQに協力した日本人も多くいました。

戦後、自虐史観をそそる時代がありました。

日本人が日本人を責めることがもてはやされた時代がありました。今もその自虐史観に染まっている方々もいます。

沖縄問題などはその典型です。

いずれにしろ、日本人は現代史をもっとよく勉強する時期がやってきています。

同じ過ちを犯さない為に。

PS.『はいからさんが通る』の花村紅緒のように、どんな事実でも正面から受け止められる勇気を持ちたいものです。
また、ろいさんには感謝です。
『はいからさんが通る』を思い出すほど、懐かしく思い出を想うことができました。

私は、従軍慰安婦と慰安婦の表現の違いにはあまりこだわらないのです。
慰安婦に、あまり負のイメージがないからだと思います。

----------○----------
はいからさんが通る

『週刊少女フレンド』(講談社)に1975年7号から1977年10号まで連載された。
日本アニメーションの制作で1978年6月3日から1979年3月31日まで朝日放送された。

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従軍慰安婦問題は問題ではない ~ありえない強制連行説、日本軍に罪はなし~
http://www.geocities.jp/vivelejapon1945/jugun.html
<前略>
吉田清治という人が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』という本の中で済州島での証言があるが、秦郁彦氏の調査によって吉田本人が嘘であると認めている。残念ながらこの嘘本は朝鮮語に訳され、今でもこの吉田証言は韓国で重宝とされていて、それが韓国政府の公式見解となっている。実は済州新聞の許栄善記者は署名入りで吉田が本を韓国語に訳し出版された1989年に8月14日の紙面に以下のことを書いている。

解放四十四周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として二〇五名徴用していたとの記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。(省略)しかし、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で十五~十六人を強制徴用したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信ぴょう性に対して強い疑問を投げかけている。
 城山里の住民のチョン・タンさん(八五歳の女性)は「そんなことはなかった。二五〇余の家しかないこの村で、十五人も徴用したとすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」と語った。
 郷士史学者の金奉玉氏は「(略)八三年に原本(『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』)が出た時何年かの間追跡調査した結果、事実無根の部分もあった。むしろ日本人の悪徳ぶりを示す道徳性の欠けた本で、軽薄な商魂が加味されていると思われる」と憤慨した。
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慰安婦問題年表
http://www.geocities.jp/tamacamat/ianfu.html
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慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html
1993年(平成5年)8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい

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コメント

はいからさん からそこへつながるとは・・・(^_^;)
思わず読んで、一か所だけ気になるところがあるのです。

日韓併合は侵略ではないし、植民地扱いでもなかったんですよ。
そこだけ、朝鮮人の言い分通りに語っておられますので、気になりました。
わたしが言っても説得力がないでしょうから、よかったら、こちらをご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=fRwTI-FSRwc&feature=player_embedded#!
この7分過ぎくらいから韓国人の歴史観と日本人との本当の関係が解ります。
m(__)m

うさんぼさんへ

こんにちは、うさんぼさん。

うさんぼさんの指摘の通りです。侵略とは中国、朝鮮側の視点からの表現です。ただ、私は奪われた側から「それは侵略ではないか?」と聞かれれば、「侵略です」と認める派です。

ただし、併合した国民に市民権を与え、学校教育、ダムの建設とたしか日本のDGPの3/1を投入して開発して上げるというサービス付きです。
もちろん、タダではありません。
ロシアからの脅威を取り除くという最前線として役目を持たされています。

欧米の植民とは異なる性格の併合(侵略)です。

朝鮮王朝が併合されるには、半分は朝鮮の責任でありますし、朝鮮に対して友好的な伊藤博文を暗殺し、世界から併合に異論を挟ませない社会環境を作ったなど、併合の責任は半分は朝鮮王朝にあります。

ですから、背徳観や自虐観を持っていません。

しかし、どんなに正しいことでも、正当な行為であっても、泥棒は泥棒です。
ただし、19~20世紀初頭において、その行為を泥棒といいません。
あくまで現代の価値観から見た呼称です。

ですから、侵略という呼称を認めたからと言って、なんら問題は発生しません。

これは私の歴史観です。

19~20世紀初頭は、世界が侵略と蹂躙を繰り返した弱肉強食の時代であった。侵略と蹂躙は強国である証であった。
それができない弱国は蹂躙される運命であり、日本は強国として振る舞い、そして、結果として、欧米の脅威をアジアから取り除き、独立運動への足掛かりを築いた。

現代の感覚では、人を殺すこと、戦争はやってはいけない行為とされているが、当時の感覚としては、戦争とは最後の外交交渉である。
勝者がすべてを決め、敗者はそれを受け入れる。

日本は正当な行為に乗っ取り、正当な報酬を得て、敗戦の後、正当な賠償金を支払った。

そんな感じで歴史観を持っております。

当時の感覚と現代の感覚を同一視しなければ、侵略ウンヌンの表記に大きな意味を持たないと考えております。

最後に、この記事には前段があります。

「慰安婦問題、日本は受けるのか!? 受けるなら帝国の地位回復と反日教育の間違いを指摘しなければならない。」
http://donnat.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-e448.html

破廉恥な韓国政府が慰安婦問題を蒸し返しているので、韓国の歴史教育を変えなければ、慰安婦は浮かばれないという記事を書きました。

すると、“ろい”という反論があり、その流れでこの記事を書いております。

普段でしたら、侵略と書かずに、併合と書いていたような気もします。

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