66年目の「原爆の日」
今年ほど考えさせられる「原爆の日」はない。
無能な軍部と残忍なアメリカの大統領トルーマンの意思によって、戦略的戦術的な意味で無差別攻撃を行った。
その代表が原爆実験、広島・長崎である。
アメリカの広報では広島・長崎が終戦を決定したと言っているが、実際は無意味な虐殺である。
アメリカの力を世界に誇示するという意味において成功したが、日米に関しては沖縄で終わっている。
その大虐殺である愚行の町は今や完全に復活している。
福島も復活する日がくるのだろうか?
テレビの前で黙とうなどしたことないが、今年はやっておきたい気分だ。
被爆国
66年間、核廃絶を訴えていたのは、偽りのポーズであることが暴露された。そんな虚しい、尊い命の方々に謝罪しなければならない年だ。
日本国は、核を放射能を正しく理解していなかった。
過去の教訓を忘却の遙か彼方に残してきた結果が『福島第一原子力事故』である。
被爆者を少しでも少なくする。
虚偽と偽り、虚勢と見栄が入り混じり、戦火を大きくし多くの人々を死に追いやった。
反省したハズなのに、二度と起こさないと誓ったのに、
そんな願いは忘れ去られ、大戦の時のように命を弄んだ。歴史は繰り返すと言うが宰相と官僚の罪は大きい。
「原爆の日」
それは私が生まれる以前の遠い昔の話だった。しかし、今年から『福島第一原子力事故』を反省する重く苦しい日になってゆくだろう。
こんなことが起こらないことを祈っていたのに・・・・・・
来年の阪神・淡路大震災(平成7年1月17日)の日も暗い気持ちになるのだろう。
さて、この国をどうしてゆけばいいのか?
本当の悩みどころはそこなのだろうが・・・・・・
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「核の平和利用」問う
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/kyodo-2011080601000032/1.htm
2011年8月6日(土)5時15分配信 共同通信
広島は6日、被爆から66年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の爆心地に近い平和記念公園では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれた。福島第1原発の事故を受け、放射線による被害への不安が高まる中、松井一実市長は平和宣言で「エネルギー政策の早急な見直し」を政府に要求。「脱原発」を表明している菅直人首相も参列。核兵器の廃絶を訴え続けてきた式典は、「核の平和利用」とも向き合う場となった。
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