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2010年10月

TPPの功罪

環太平洋戦略的経済パートナーシップ協定(TPP)は関税障壁の撤廃し、自由貿易を促進する協定である。
参加のタイミングは実にすばらしいと評価したいが、参加表明する為の準備が出来ていないので最悪の決断である。

これを1つの料亭で考えるのならば、

準備中の料亭が客が来たからといって、店に客を入れた状態だ。
料理も酒も準備できていない。料理長は「女将が勝手にいれたんだ。女将がなんとかしな‼」とそっぽを向いている状態が今の日本だ。
さて、簡単なアテとお酒で客をなだめて、料理長の出し物を待たなくてはならない。そんなきめ細やかことが菅女将にできるだろうか?

料理長を怒らせて、料理はでなくなり。
客の相手もしない女将に怒って、客も逃げてゆく。
そんな未来が私に見てくる。

環太平洋戦略的経済パートナーシップ協定(TPP)の参加するかしないかは、将来の日本の財政の在り方に大きく関わってくる。
関税による農業・工業の保護を、支援による保護に変換が必要になる。
安い外国製品に対する国内生産の価格をどうするか?
1つは、異常な円レートを解消する。
1つは、国内の食品の安全基準の強化、工業製品の特殊機能の添付を義務づける。
1つは、消費税を30~50%に引き上げて、国内生産の保護に当てる。
いずれかの政策をとらなければ、国内産業の空洞化は防げなくなる。国内の空洞化はそのまま失業者の増加に繋がる。締結するならまごまごしている時間はないが、現政権のそんな緊張感はない。

否、日本の弱体化こそ、民主党政権の真の狙いとか言わないでほしい。

付則でいっておくならば、TPPに加盟する絶対的な必要性はない。円高を容認に、国内産業を特殊化、製品の海外生産主義を徹底し、日本は技術を提供する国家に特化すれば、TPPへの加盟は無意味である。実際、この円高状態で得をするのは海外組であり、日本の産業のダメージは計りしれない。日本企業がタイで生産して、日本に逆輸入するこのが当たり前になる。企業は儲かるが、国内の労働者は疲弊する。そう言ったことを考慮しているとは考えられない。

いずれにしても、TPPへの参加には一定の評価はしている。
しかし、国内の整備が追いつかないと、トンでもない事態になりかねないので要注意である。

上海万博が残すもの

上海万博、それは中国の理想であり、自信であり、夢の力である。
世界の工場などと言われていても、入ってくる商品は夢のような商品。自分達の暮らしとは格段に見上げるような外国の商品が並んでいた時代、欧州、日本は憧れの存在であった。
彼らにような暮らしたい、それが中国民の願いであり、希望だったであろう。
しかし、現実が近づいてくると奇妙な感覚に襲われる。
それが『中華思想』である。

彼は世界に先駆けた素晴らしい国だったはずである。世界の王たる国であった。
どうしてこの国はこうなってしまったのか?
天安門事件が先進国への過渡期に起こった衝動なら万博を行っている中国民の感情は未来への溢れる力とその他への劣等感・憎悪に燃え、混沌とした世界を生きている。
日本人は憧れる力を推進力し、劣っている自分達を認めることができる民族である。
一方、中国は…と一括りにしてはいけないが、“臥薪嘗胆”と現実を見る国家である。いつかこの屈辱を他国に思い知らせることを夢にして力を蓄えることができる。
怒りは猛毒であり、人ならば、重い重病になってしまう。
ならば、国家はどうだろうか?
そう精神的に病んでしまうのだ。

特に日本はアジア人であり、近親憎悪に成りやすい立場にいる。
上海万博
それは中国の過渡期
取り戻されつつある自信が進歩と躍進に使われるか?破壊と復讐に使われるか?
その選択に迫られている。

中国の動向に注意が必要だ。第2のチベットになりたくなければ‼

おひさしぶりです

田中角栄・金丸・三木に誘われ車に待たせて、私はどうすれば物が売れるかのアンケートをとっている。なんと豪快で妙にリアルな夢だろう。久しぶりにおもしろい夢を見た。国宝とはモノではなく人を差す。一人一人が一燈を照せば万燈となし、国も栄える。「一燈照隅、萬燈照国」<いっとうしょうぐう ばんとうしょうこく>最澄の言葉であり、私も常々一燈でありたいとは思っているのだが、中々難しい。

日本の内閣はもう駄目です。やることを明確にできない。何が必要かを他人に投げてしまい自分で考えていない。自分で考えて自分の責務で行っているなら少しの希望もあるのだろうが、責任を放棄している人間に何ができるのだろう。
総理大臣が責任を放棄し、官房長官は他人に責任をなすりつける。挙句に、誰でも知っていることだと開き直る。
これではとてもじゃないが国が持たない。

国のトップがこれだから庶民も恥を忘れて乞食に勤しむ。生活保護、保険、年金、どれも胸を張って「受け取ってます。」と言うものではない。もし、それが生活の基礎ならば、つつひそやかに暮らしてゆくべきだろう。どれも働けなくなったときのものである。大きな声でそれを宣言するものではない。『恥』という言葉を忘れたときに、人はどこまでも落ちてゆく。日本も落ちてゆく。さてさて、どうしたものだろうか?

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