壺中天
バケツに水を張って、そこに写る月を見て楽しむ。
壺中日月長(こちゅう じつげつ ながし)には及ばないが、見上げる月ではなく、眼下の月を楽しむ。
自分、私の、私だけの月である。
気が付くと月は傾き、眼下の月も消えている。
こういった遊びを「壺中天」と呼ぶ。
「壺中天」とは、自分だけの別世界という意味で、人間、1つはこういった世界を持っていれば、大抵の苦楽は乗り切れるものだ。引き込りの部屋もその1つかもしれない。しかし、いい意味でいえば、野球が好きな少年が持つ世界も「壺中天」である。玉遊びなんかと思う人には何の価値もない世界でも、野球が好きな人にとってはたまらなく楽しい世界である。少年野球に始まり、中学の軟式、高校の硬式と野球に染まった人生を送った人にとって、それはかけがいのない宝物である。況して、同じ世界にあこがれて同じ時を過ごす仲間と出会えたなら申し分もない。数十年が数日に思えることだろう。
そういう訳で、何か1つでも自分だけの世界を持つことをお勧めする。
《壺(つぼ)の中の別世界》
W杯を楽しんだ人もその1つだ。やることを楽しむも、見ることを楽しむも、人それぞれ、「壺中天」を持つことはそれだけで人生を少しは楽しくしてくれるものである。
そうそう、最近は私の壺中天を他の人にも楽しんでもらいたいなどとも思っている。
因みに、
出典は 【後漢書】から漢の時代、売薬商の老人壺翁【壺公(ここう)という薬売り】は、実は仙人で、夜になるとひょうたん形の壺の中に跳び込む。 夜になると店先の壺の中に入って寝るのをみて 漢の国の人が頼み込んで一緒に壺の中に入れて貰ったところ、そこは立派な御殿で酒や肴がふんだんで2人して飲んで楽しんだ。内部はめも眩むほどの壮麗な仙宮世界が広がり、無数の楼閣がそびえたつ。ちっぽけな壺の中に宇宙をまるごと封じ込めた仙境が開けているのである。仙境は時空を超えた桃源郷であり、究極の理想郷でもある。」とある。
原文は、後漢書-列伝第72、方術伝下・費長房
『後漢書』巻八十二下「方術列傳」費長房 「費長房者、汝南人也。曾為市掾。市中有老翁賣藥、懸一壺於肆頭、及市罷、輒跳入壺中。市人莫之見、唯長房於樓上見之、異焉、因往再拜奉酒脯。翁知長房之意其神也、謂之曰、子明日可更來。長房旦日復詣翁、翁乃與倶入壺中。唯見玉堂嚴麗、旨酒甘〓(食肴)盈衍其中、共飲畢而出。」
時代は後漢、汝南の町に費長房という男がいた。彼が市の役人であった時、その勤める市場で、一人の薬売りの老人と邂逅する。その老人は壺公という名で、夕方市場の仕事を終えると、店頭に掛かったひとつの薬壺の中にすうっと跳び入ってしまうのを、ある日彼は目撃するのである。この不可思議な光景を目にした彼は、この老人によく尽くし誠意を認められた。そしてその老人に頼み、自分も一緒に壺の中に躍り入ることを許される。壺に入ると、そこは俗界から離れた荘厳な御殿で、楼閣や門、長廊下などがある、まさに仙境で美酒佳肴に満ち溢れていた。彼は暫し俗世を忘れ美酒佳肴をたらふく楽しんだ揚句に、また壺の外に戻ったという。いわゆる「壺中天」、「一壺天」の由来であり、「壺中の天」とは、また酒を飲んで俗世を忘れるという意味がある。
(費長房は、汝南人なり。かつて市掾を為す。市中に売薬の老翁あり、肆頭に一壺を懸け、市を罷るに及び、すなわち壺中に跳び入る。市人これを見る莫かれど、ただ長房楼上に於いて之を見る、異ならんや、因りて往きて再拝して酒脯を奉ず。翁、長房の意その神なるを知り、之に謂いて曰く、子、明日更に来るべし。長房、旦日復た翁を詣る、翁すなわちともに壺中に入る。唯だ見る、玉堂厳麗にして、旨酒甘肴、その中に盈衍するを、共飲おわりて出ず。)に始まり、仙術などの指導を受けたりして、現実の世界に帰ってくると、本人は10日ばかりと思っていたのに、十数年も経っていたという仙話が出典。李白の詩「下途歸石門舊居」(下途、石門の旧居に帰る)に「餘嘗學道窮冥筌、夢中往往遊仙山。何當脱〓(尸徒)謝時去、壺中別有日月天。」(余嘗て道を学んで冥筌を窮め、夢中に往往仙山に遊ぶ。いつかまさに脱〓(尸徒)の時を謝し去るべき、壺中別に日月天あり。)とあり、「壺中」とは壺の中の別天地、仙境のことであり、悟りの妙境という。日月長は、悟りの世界には時間がなく悠々としているとのこと。)
壺中日月長(こちゅう じつげつ ながし)
『虚堂録』に「壽崇節上堂。至人垂化。示有形儀。開滿月之奇姿。蘊山天之瑞相。會麼卓主丈。只知池上蟠桃熟。不覺壺中日月長。」
(寿崇節上堂。至人、化を垂れ、形儀ありと示す。満月の奇姿を開き、山天の瑞相を蘊む。会すや卓主丈。ただ池上に蟠桃の熟すを知り、壺中日月長きを覚えず。)
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