老人が日本を食いつぶす(1)
大志を忘れてきたのか、初めから持ち合わせいなかったのか、老人の暴虐が日々増している。
目上の者に『尊敬の念』を忘れないようにしているが、『尊敬の念』は物質でもなく、金銭でもなく、特権でもない。しかし、傍若無人の老人男女が町を徘徊している。
信号を守らない老人から年金暮らしの老人まで様々である。
もちろん、老人は国の宝であり、知識と教養に溢れ、知恵と礼節の宝庫でなければならない。
しかし、実際の多くは、傲慢と強欲に満ち溢れている。
悲しいことだがこれが現実なのだ。
といっても、現代だけの話ではない。今昔物語にも「息子を食う老婆」の話が載せてられており、年を取ると人間はよほどできた人でないと、強情になり、我がままになってゆく。そして、遂には自分が築いてきたものを食い尽くしてしまうようだ。
この現代の日本もしかりである。
『年金』という褒美は、右肩上がりの経済を想定して設計されたもので、人口減少、況してデフレなど想定されていない。
年寄りは死ぬまで働かないといけない時代に戻ってきているのだが、ホンの20年ほど老人が働かなくていい時代があったので、自分達の代になって、「どうして俺達だけが働かなくてはいけないんだ。」という思いがあるのだろう。口にしなくてもその傲慢になる態度を見れば、心情はようく透けて見える。
残念ながら死ぬまで働く老人は30年以上遡れば、それが普通なのである。
ちなみに私は父母に「老後は自分で考えるように」ときつく言っている。
父母から受けた恩は親に返すものではない。親は子へ、子は孫へと繋げるものだからである。駅伝で言うなら、受けたタスキを受けた相手に返していてはレースにならない。タスキは繋げるものである。私の受けた恩は次世代に返すつもりである。決して父母に返ることはない。
大和物語に出てくる『姨捨山』の老女は、そんな尊敬に値する人なのだろう。
一方、今昔物語に出てくる『鬼と化す老女』は、傲慢で強欲で傍若無人な鬼と化しているのであろう。
現代の老人がどちらに老人になるかのだろうか???
尊敬に値する人か、鬼か?
日本の老人達も尊敬に値する人であってほしい。
いろいろなモノが欠落した日本ではあるが、少なくとも文化国となった。文化国を作った老人達の手で、自分達の手で食い潰さないでほしい。
“自分達のことはいいから、孫達のことを考えてやって下さい。”
そういう風に声の掛けられる老人になりたいものである。
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