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閑話休題 古代史と私

古代史に出会ったの大学の時代である。
『宇宙皇子』という藤川桂介が書いた小説がきっかけである。西暦672年の壬申の乱から始まる物語で役小角と明日香の情景から描かれている。明日香地方は私にとってのこころの故郷である。その情景と歴史の人物が結ばれた時、わたしの中の興味は尽きなくなっていった。今ではこの手の本は百冊に近づいているかすでに超えてしまっている。古事記、日本書記は当然のことながら、天皇家の本も多数所有している。読めば読むほど歴史のパズルは絡まって逝く。そんな想いが募ってゆくのである。
ただ、不思議とそれで嫌な気分にならないのが古代史である。
いくつもの回答を同時に持ったままで未来に進んでゆく。いつか1つの答えが見つかるといいなと思っている。

ただ、嫌なことは歴史を紐解いて議論をするときに、1つの固定された観念から持論を展開する人間はひどく醜く見える。
最近の一番は“よしりん”こと小林よしのりである。

アマテラス大神が男性神か、女性神かは歴史的にも数百年以上も議論になっている。
アマテラス大神が天の岩戸にこもったときに、外で踊った女を天宇受賣命(アメノウズメ)といい、“ホト”をさらして踊ったという。
“ホト”とは、女性の陰部のことであり、ストリップをして楽しんだとある。
“アマテラス”が女性であれば、わざわざ“ホト”と書く必要はない。つまり、古事記のアマテラスは男性である可能性が高い。しかし、同時に女性のように美しい姿をしていると取られる。
一方、日本書記では、その部分が削られている。そこから考えるとアマテラス大神と卑弥呼を同一視する赴きが取られ、日本書記のアマテラス大神は女性と思われる。
古代学の世界でも、未だに答えがでないこの問題を、『よしりん』は「アマテラス大神を女性だ」と言いきっている。まったくもって強引な話だ。

また、“よしりん”は「男子直系はシナからの輸入であり、日本の伝統ではない。日本は卑弥呼の時代から女性を中心としたシャーマンを崇める民族だ。」と言っているが、中国で男子直系になったのは周(紀元前1046年ごろ-紀元前256年に存在した中国王朝)以後であり、殷(いん、紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)の時代、または、夏〔夏后〕(紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃、)の時代、または、それ以前、日本と同じシャーマンの時代であった。つまり、中国も女性と中心とした社会なのであった。
その証拠として、『姓』という漢字は、“女の生まれ”と書かれている。

三国志などで
「姓は関、名を羽、字を雲長」などとよく書かれているが、その『姓』は女性の生まれと書かれている。大昔から男子直系であれば、男性に生まれると書かれていたに違いない。漢字というものは素直であり、昔の名残りがそのまま現代に受け継がれているのだ。

つまり、「女性を中心としたシャーマンを崇める民族」は中国も同じであり、日本と中国の民族は同族か、または、同じ流れを汲む源流が同じか、律令制のように輸入したもののいずれかであろう。卑弥呼などの女性を中心とした独自の文化圏とは言えないのである。
しかし、そもそもそう言ったことにこだわる方がおかしいと私は考えている。

たとえば、
祖父が外国人、具体的にいえば、ブロンドの髪と青い目をした帰化したロシア人とする。
その孫が祖父の遺伝子を受け継いでブロンドの髪と青い目をした子供であった場合、その子供はロシア人なのだろうか?
その子供はクウォーターであって、りっぱな日本人である。
しかし、「おまえはブロンドの髪と青い目をしているからロシア人だ。」というつもりなのだろうか???
それはありえない。
つまり、“よしりん”は言っていることは、
律令制を輸入して1000年以上経つ日本で、律令制は中国から輸入したものだから日本の伝統ではないと言っているようなものである。
1000年以上の歴史を無視して、天皇制を守る保守とはいったい何だろうか???
彼らはすでに保守ではなく、【歴史の破壊者、または、伝統の否定者】ではないだろうか。
【歴史の破壊者、または、伝統の否定者】は言い過ぎにしても、他者の意見も聞いてほしいものだ。

そんなつまらない話をしたい訳ではない。

古代史にはロマンがあり、夢がたくさん残っている。

たとえば、前方後円墳である。
後円の方は3段になっており、中国の影響ではないかと私は考えている。しかし、中国には前方後円墳はない。それは何を示しているのだろうかと考えてみる。
円は宇宙を現しており、女性の陰部でもある。女性崇拝が残っている時代なら十分に考えられる。
前部が方形が何を象徴しているかは想像に任せたい。女性の性器にささるモノは一体何であろうか?
古代の人々は生命に大きな神秘を感じており、女性に尊敬と敬意を払い。陰部を隠すことがない。
それこそ、古代の生命力を現していると私も思っている。

たとえば、“アシカビ”と“ムスビ”
「アシ」は葦、「カビ」は黴は同源であり、醗酵するもの、芽吹くものを意味する。日本神話に登場する神。天地開闢において現れた別天津神の一柱であるウマシアシカビヒコヂである。【ウマシ“アシカビ”ヒコヂ】
(『古事記』では宇摩志阿斯訶備比古遅神、『日本書紀』では可美葦牙彦舅尊と表記)
葦が芽吹く力強さから、中国から伝わった陰陽思想の影響により「陽の神」と言われ、女性とまぎわって結びとなる。
“結び”=“むすび”は、“むすひ”と呼ばれ、「ムス」は「ウムス(産むす)」の「ウ」が取れたものとされる。
「ムスヒ(ムスビ)」を神名に含む神は多数おり、タカミムスビとカミムスビなどなど、いずれも「むすひ」の働きをする男女の「むすび」セックス神である。
内包する陰を隠さずにいる世界。
それが古代国家であり、生命力が溢れる世界なのである。
そういった神々と接するだけで、力がみなぎってくるような気がする。

そうそう、現代の『アシカビ』と『ムスビ』(セキレイ)を見ていると、古代を思わせるような生命力を漲らせている。
古代もこんな感じに、男女のまぐわいを演じていたのだろうかと少し感じてしまう所もあるくらいだ。
最近、そう言った風潮を抑止する赴きもあるが、古代文化の復権と思うえば可愛い話と思えるので、抑止する動きは考え直して貰いたい。

さてさて、現代の人間は古代文化の血が復帰してきているのだろうか?
作者達が古代の血がそうさせているとすれば、少し嬉しく思うのは私だけだろうか?

そういう訳で自分の話は閑話休題にしておこう。

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