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礼は未然の前に禁じ

礼は未然の前に禁じ、法は已然(いぜん)の後に施す。 法の用を為す所の者は見易くして、礼の禁を為す所の者は知り難し。 (「史記」 太子公自序)

これは大変な戒めの言葉です。
『法』を万能のように考えたり、『科学』という信仰に染まって、物事を一面からしか見ない方が多くなっております。
「河は両岸から見よ。」ということわざがあるように、或る者を見るときは、考えの違う者の意見を相方から聞きなさいという戒めです。考えの違う意見を聞いて判断しないと正しい判断ができないからです。
私は、「人は対岸、物は四方、星は六方」と名付けています。
物とは“集団”のことで、集団になると集団の中でも対立があってさらに物事が見えにくくなるという意味です。
星とは“大きな集団”のことで、組織や国といったものです。ここまでくると経済や政治や武力など様々な角度から物事を見ないと見誤るという意味です。

いずれにしろ、“礼”とは深い意味が隠されている人間の常道であると私は考えます。
よって、礼節をわきまえて生きることは人間として大切なことです。
礼を忘れると人は傲慢になり、粗暴になります。そういう人間にはなりたくないものです。

“礼”の1つを取って考えてみましょう。

「家に帰ったら手を洗う」
“手が汚れていてはきたない。”というのは普通の考えです。ばい菌を防ぐ上でもとても重要です。よってこれは衛生の為の行為かもしれません。しかし、本当にしょうでしょうか?

たとえば、神社に行くと手と口を清めます。これは邪気を払う行事です。神社に邪気を入れない為に行為です。本来は、体中を清めるのが習わしできたが、簡素化されて手と口のみでいいとされました。もし、この行為が「家に帰ったら手を洗う」の元だとすれば、病魔退散の行為のみではなく、邪気退散も兼ねているのかもしれません。
つまり、常に清潔にするという精神を養うことが、人間として大切な心情であることを兼ねているかもしれないということです。
果たして、「家に帰ったら手を洗う」という行為はそれだけなのでしょうか?
私にも判りません。そこには多くの人の知恵が集まってできたものであり、安易に変えることは避けるべきである。逆を言えば、不都合なら変えてゆけばよい。また、1から作り直して逝けばいいのです。
つまり、礼儀を重んじるとはそういうことのです。

全知全能でない我々が過去から貰った遺産。それが『礼儀』なのです。

人が人足らん欲するなら、まずは『礼』を守ることが大切なのです。それが人間らしく生きるということのです。

ところで、SAPIOの小林よしのりさんが、またまた我々を馬鹿にすることを掲載しております。
『礼儀』知らずとはこのことです。

今回は、“『男系優先主義』の方々は、昔からやってきた以外に頑として理論がない。思考停止だ!”と非難されています。
変わりに“『女系容認主義』の理論に、日本人は家系を重んじて養子などを迎えいれてきた。よって、日本は元々女性容認だ。男系優先はシナの名残りだ。”と言っております。
しかし、桓武天皇(天智天皇)から続いてきた系統である事実は変わりありません。
周りがそうだから一緒にでないといけないという意見は少し変な話です。
私達は『女系』が駄目だと言っているのではなく、可能な限り『男系』を残す方向で議論しましょうと言っているだけです。
しかし、彼は『男系』を無知・無能と貶めることで攻撃を繰り返します。
このようなことは、共産系の改革者がよくやる手段であります。
自らの正義の為に他者を貶めるのは実に卑しい行為であります。礼に失する行為です。

また、正義のということで1つの例を上げましょう。

文化革命を終えた毛沢東は現地を視察した時に、雀が米を食うと言って害鳥として駆除しました。しかし、翌年、虫(イナゴ)が大量に発生して、大飢饉に見まわれました。
民の為に行った行為が逆に民を苦しめる結果になった例です。
物事は一方から見ていると見誤るということです。

礼の禁を為す所の者は知り難し
(なぜ、その行為を礼は禁止するのかは中々理解できないものである。)

物事をすべて理解しようなどと思うのは傲慢なことです。『礼節』や『伝統』というものを論理的に説明する必要などないのです。守れるものは守ってゆく。その精神が尊いものであって、理解することが必要なことなのではないのです。ゆえに、私は『女系容認』を否定しておりません。しかし、可能な限り『男系優先』であるべきだと申しているのです。
しかし、『女系容認主義』である彼らは愛子様を天皇にすることが目的です。そうとしか思えません。
極端な話、愛子様の旦那様がクリントンの息子やオバマの息子、ウッズの息子という可能性もあります。
すると次代は

青い目の天皇陛下、
黒い肌の天皇陛下

が誕生するかもしれません。
それが悪いとは申しません。
国民が受け入れるかどうかであり、そこに正義も悪も介在しません。
ただ、願わくば、不必要な変化は無用の障害を生み出すということを理解してもらいたいのです。

『礼節』や『伝統』とはそういった時代の波を超えてきたものであり、安直に理解するものではないのです。

太史公自序を自分で書いてもいいのですが、すでに書かれているのでしたの転記しておきます。
----------○----------
(参考)

史記-列傳[太史公自序][16]
http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic_oriental/classic_oriental_122.html

上大夫壺遂(こすい)曰く、
昔孔子は何が為に春秋を作(な)すや、と。
太史公曰く、
余これを董生(とうせい)に聞く。
曰く、周道は衰廃し、孔子は魯の司寇(しこう)と為るに、諸侯これを害し、大夫これを壅(ふさ)ぐ。
孔子、言の用いられず、道の行はれざるを知るや、二百四十二年の中を是非し、以て天下の儀表(ぎひょう)と為し、天子を貶(とが)め、諸侯を退け、大夫を討ち、以て王事を達するのみと。
子曰く、我れ之れを空言(くうげん)に載(はじ)めんと欲するも、之れを行事に見(しめ)すことの深切(しんせつ)著名(ちょめい)なるに如(し)かざるなりと。
夫れ春秋は、上に三王(さんのう)の道を明にし、下に人事の紀(のり)を弁じ、嫌疑を別ち、是非を明にし、猶豫(ゆうよ)を定め、善を善とし悪を悪とし、賢を賢とし不肖を賤しみ、亡国を存し、絶世を継ぎ、敝(へい)を補ひ廃を起し、王道の大なる者なり。
易は天地陰陽四時五行を著(あらは)す、故に変に長ず。
禮は人倫を経紀(けいき)す、故に行に長ず。
書は先王の事を記す、故に政に長ず。
詩は山川谿谷(けいこく)、禽獣草木、牝牡雌雄(ひんぼしゆう)を記す、故に風に長ず。
楽は立つ所以を楽しむ、故に和に長ず。
春秋は是非を弁ず、故に人を治むるに長ず。
是の故に禮は以て人を節し、楽は以て和を発し、書は以て事を道(い)ひ、詩は以て意を達し、易は以て化を道(い)ひ、春秋は以て義を道(い)ふ。
乱世を撥(おさ)め、之を正に反(かへ)す、春秋より近きは莫し。
春秋は文に数万を成す、其の指すや数千、万物の散聚(さんしゅう)は皆な春秋に在り。
春秋の中、君を弑(しい)する三十六、国を亡す五十二、諸侯の奔走し其の社稷(しゃしょく)を保つを得ざる者、数ふるに勝(た)ふべからず。
其の所以を察するに、皆な其の本を失うのみ。
故に易に曰く、之を豪釐(ごうり)に失する、差(たが)ふに千里を以てすと。
故に曰く、臣の君を弑し、子の父を弑する、一旦一夕の故に非ざるなり、其の漸(すすむ)や久しと。
故に国を有(たも)つ者、以て春秋を知らざるべからず、前に讒(ざん)有るも見ず、後に賊有るも知らず。
人臣と為る者、以て春秋を知らざるべからず、経事(けいじ)を守りて其の宜(ぎ)を知らず、変事に遭ふも其の権を知らず。
人の君父と為るも春秋の義に通ぜざる者、必ず首悪(しゅあく)の名を蒙(こうむ)らん。
人の臣子と為るも春秋の義に通ぜざる者、必ず簒弑(さんし)の誅、死罪の名を陥らん。
其の実、皆な以て善と為して之を為し、其の義を知らず、之が空言を被(こうむ)りて敢て辞さず。
夫れ禮義の旨に通ぜざる、君は君たらず、臣は臣たらず、父は父たらず、子は子たらず。
夫れ君が君たらずば則ち犯され、臣が臣たらずば則ち誅せられ、父が父たらずば則ち道無く、子が子たらずば則ち孝ならず。
此の四行は、天下の大過なり。
天下の大過を以て、之に予(あた)ふれば、則ち受けて敢て辞さず。
故に春秋なる者、禮儀の大宗(たいそう)なり。
夫れ禮は未然の前に禁じ、法は已然(いぜん)の後に施す。
法の用を為す所の者は見ふるに易く、而して禮の禁を為す所の者は知り難し、と。

訳・抄訳
上大夫の壺遂が云った。
昔、孔子は春秋を編纂しましたが何を目指したのでしょうか、と。
太史公が答えて云った。
私は董仲舒にこのように聞いたことがあります。
周の王道が衰廃した頃、孔子は魯の司寇となったけれども、諸侯は孔子を除かんと欲し、魯の大夫は君と孔子の間を塞ぎました。
孔子は言の用いられないこと、自らの理想とする政治が行われないことを知ると、魯の隠公元年より哀公十四年までの二百四十二年を記述してその間における諸侯の得失を是非し、これを天下の儀表として天子・諸侯・大夫その身分に関係なく正すべきを正し、王道に達することを願ったのですと。
また孔子はこのように言っております。
我はこれを空しく言論によって訓を垂れんとしたが、実際の行事に即して褒貶を加える方がより将来への戒めとなるであろうと。
春秋というものは、上には三王の道を明らかにし、下には人のあり方を弁じ、嫌疑を別し、是非を明らかにし、猶予(決せざる)を定め、善悪賢不肖を正し、失われし道を継ぐものであり、つまりは王道の大なるものなのです。
易は天地陰陽四時五行を著して世の順行を明らかにし、禮は人倫を経紀してその行を節し、書は先古の王道を記して政を治め、詩は森羅万象を記してそのありのままの姿を示し、楽は立つ所以を楽みて和し、春秋は是非を弁じて人を治めるものでありますから、禮は人を節し、楽は和を発し、書は事をいい、詩は意を達し、易は化をいい、春秋は義をいうのです。
したがって春秋ほど撥乱反正に近きものはないといえるでしょう。
春秋は数万字の文より成り、指すべきところは数千、万物の散聚は全て春秋に在るといっても過言ではありません。
春秋の中に君を弑する者は三十六、国を亡す者は五十二、妄りに奔走して社稷を失った諸侯に至っては数えきれぬ程おります。
その失いし所以は人の本たる仁義を亡失したことにあるのです。
易には「之を豪釐に失する、差ふに千里を以てす」と記されています。
また「臣の君を弑し、子の父を弑する、一旦一夕の故に非ざるなり、其の漸(すすむ)や久し」ともいいます。
だから国を有つ者は春秋を知るべきであり、知らなければ目前に阿諛迎合の臣がいても気がつかず、後方に己を害する賊がいてもわかりません。
また、人臣となる者も春秋を知るべきであり、知らなければ常時に守るべき義がわからず、変事に遭ってその身の処し方に惑うことになるのです。
人の君父にして春秋の義に通じて居らねば、必ずや首悪の名を蒙り、人の臣子にして春秋の義に通じて居らねば、必ずや簒弑の誅に遭い、死罪の名に陥ることでしょう。
古来より皆、己は善と思って事を行うものですが、これは義を知らぬからであり、空言を被っても敢て辞さぬのもこの故なのです。
礼義の旨に通ぜざれば、君臣父子、各々その分を尽すことができません。
君が君たらなければ下より犯され、臣が臣たらなければ君に誅せられ、父が父たらなければ道は在せず、子が子たらなければ道を継ぐことができません。
これらを天下の大過というのです。
天下の大過に空言を呈したとて、礼儀のなんたるかを知りませんから敢て辞すことなく受けます。
故に春秋を礼儀の大宗というのです。
礼というものは未然の前に禁じ、法は已然の後に施すものです。
法を知る者はいくらでも居りますが、礼の禁を知る者はなかなか見出すことはできません.

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コメント

結構面白い話でしたよね。

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