敬のこころ
『敬』とは高い理想をそれを追求する欲であり、自らの向上心である。尊敬とは敬うべき対象の人(尊)という意味である。この向上心がなければ、人間として駄目になってゆき、自らを朽ち果てさせてしまう。
と言っても過ぎた向上心は害にしかならない。
これを指摘した言葉に“顕微鏡の欲”という言葉がある。
プロのテニスプレイヤーやゴルファがよく口にする言葉であるが、一球一球、一試合一試合にこそ集中する。目の前にある最も小さな希望や理想にこそ、プロの向上心があると口ぐちに言っている。これこそ“顕微鏡の欲”である。過ぎたるものを求めるのではなく。与えられた目の前の小さな課題を1つ1つ積み重ねてゆくことが本当の向上に繋がる。
“プロ野球の選手になる”と高い理想を持った者が、日々の練習を怠るようでは到底なれない。
今日1つ、明日の1つ、目の前の課題をクリアでしたことに満足した者だけが、そして、明日の課題に立ち向かう勇気を持つことが大切なのである。
それが『敬のこころ』である。
« 9万人??? 大嘘つきの沖縄県民大会 | トップページ | 恥知らず »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 歴史の中に常に答えはある。(2016.10.26)
- 今日のタマねい〔一燈照隅(いっとうしょうぐう)〕(2015.01.21)
- 今日のタマねい〔飽後思味(ほうごしみ)〕(2015.01.20)
- 今日のタマねい〔和光同塵(わこうどうじん)〕(2015.01.19)
- 今日のタマねい〔格物至知(かくぶつちち)〕(2015.01.18)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント