2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

« 禁書 わが闘争 1.責任を放棄する代表者 | トップページ | マスコミの腹立たしい現実 »

禁書 わが闘争 2.熱望によって生まれる独裁者

 アドルフ・ヒトラーはどうやって独裁者になりえたのだろうか?
 おおよそ人類が考えられる謀略と暴力と薬物を用いて、民衆をひれ伏して独裁者になりえたのであるならば、歓喜と称賛に値する人物である。しかし、現実はまったくことなるもである。
 彼は民衆の熱望によって生まれ、社会改革を断行し、あらゆる障害を排除しただけであり、それはかのナポレオンと同様である。彼がナポレオンのように崇拝されない理由はユダヤ虐殺という民族粛清を行ったゆえである。
 民衆はヒトラーに未来を託し、ヒトラーはその期待に応える為に邁進した。それがどんなに邪悪で偏見に満ちたものであっても若き英雄に民衆は未来を託したのである。
 作家、田中芳樹は小説の中で言っている。「民主主義は独裁者を作る土壌でしか過ぎない。<中略>民衆は楽をしたいから英雄にしがみつくのさ。」私もこの意見に大いに賛同する。ヒトラーに扮したチャップリンだったか、「民衆はブタである。」と言っていたような気がする。こちらの方は記憶が定かではないのだが、希望という餌を与えられれば、誰にも靡くという比喩である。
 民主主義、社会主義、独裁(王国・帝国)主義の3つの体制はどれが優秀でどれが劣悪な制度であるかというのは決められない。
独裁主義は社会改革や制度改革を迅速に行うには最適な制度である。しかし、一人、または少数の才覚によって運用される為に常に優秀な指導者が代表であるとは限らない。才覚も責任感もない代表者が国家の運営を任された日はその国の存亡に関わる問題である。そして、何より国民に生死の決定権がないことが欠陥である。
 社会主義は人民の平等という意味ではすばらしい世界である。おそらく社会体制としては最も優れた制度である。しかし、問題は人間の方にある。欲あるいは渇望という人間本来に備わっている曖昧な部分がこの制度と相反するのである。そして、この欲望こそ活力の根源であり、社会主義において活力を制限されるのである。そして、活力を失った世界は衰退する。ソビエトという実験国家は軍事力の増加によって崩壊した。しかし、その根幹にあるのは社会における活力の減退が原因である。活力を失った国家は社会基盤が崩壊し、それを支える為に共産党員という独裁者が生まれ、独裁主義へと変貌していった。それがソビエト崩壊の根源的原因である。社会主義もまた欠陥制度であった。
民主主義は社会主義と相反する人間の根源である欲と渇望を具現化する制度である。18世紀末、フランス革命から起こった民主化運動は、その制度によって起こる富の集中と身分の固定化を引き起こし、その都度も独裁者を生み出しながら今日まで続いている。実際、民の代表である議員が有能かつ有益に機能するのは短い期間であり、制度上の欠陥は常に腐敗と汚職の歴史を繰り返している。まるで欲と傲慢を静かな海の底に沈め、長い時を得て肥えた泥質層を作る作業のように思える。ゆえに、氾濫が一度起こると平地には肥えた土壌をまき散らす。民主主義とは独裁者を生み出す苗床のようなものなのかもしれない。
以上のように三者に優劣の差などなく、その時代時代において最も適したものが生き残ってゆき、そしてまた滅びるという繰り返しを続けているだけなのである。

アドルフ・ヒトラーという人物は社会の閉塞感の中に大衆が見つけた希望の光であり、彼によってもたらされる社会改革が自分達の幸せを約束してくれると考え、民主主義のルールに則って、生み出された英雄(モンスター)なのである。人々はなぜ安直に自らの幸せを他者に委ねてしまうのであろうか?
「それはね、みんな楽をしたいからさ!」
田中芳樹は小説の主人公の一人ヤン・ウェンリーの声が今も脳裏に響いている。

« 禁書 わが闘争 1.責任を放棄する代表者 | トップページ | マスコミの腹立たしい現実 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/465045/33417442

この記事へのトラックバック一覧です: 禁書 わが闘争 2.熱望によって生まれる独裁者:

« 禁書 わが闘争 1.責任を放棄する代表者 | トップページ | マスコミの腹立たしい現実 »