車いす少女の中学入学を拒否 それは非難されるべき問題、しかし
>奈良県下市町の町立小学校を今春卒業した、下半身不随で車いす生活を送る少女(12)が、入学を望んだ町立中学校の設備が不十分として、同町教委から入学を拒否され、養護学校への入学を勧められていたことがわかった。「小学校の友達と一緒に入学させてやりたい。普通学級の方が子供のリハビリにもいい」と訴えたが財政難を理由に拒否された。
わたしはこの判断には非常に不満である。
身体障害者が他のクラスの迷惑になると判断している点である。次に施設がなければ、受け入れられないという市の対応である。
たしかに身体障害者は5体満足の子供より身体能力は劣る。しかし、それも人間である。快適な環境を願うなら養護学校への入学をお勧めするべきだろうが、不便でも普通の子と学校に通いたいという願いが本人にあるなら、そん願いを叶えるべきである。
要は、「本人が不便を許容できるか」という問題である。
許可する者の立場とするなら、
不便でも文句をいわないこと。
通学の手間は家族が行うこと。
考えられる事故に対して不服を申し述べないこと。
この3点である。
この3点を本人及び親が許容できるかどうかを、入学の許可・不許可とするべきであった。
なんたる体たらく。なんたる弱腰。人間を育成するのに危険はつきものである。危険なものをすべて排除して、なんの人間教育であろう。
ブランコなどの遊戯をすべて不許可にする。今の教育に不満を訴える。
注.考えられる事故とは、友人などが階段などの介助に失敗して階段から少女が落ちるなどという事故である。そういった危険を共有することで、本人・友人の経験値が上がり、情操教育に繋がるのではないだろうか?
「車いす少女の中学入学を拒否…奈良・下市町、財政難理由に」
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090404-OYT1T00525.htm?from=main2
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■学校の「受け入れ態勢」の問題。
「車椅子の少女が、設備不十分を理由に、中学校の入学を断られた」ってニュースがあった。
車いす少女の中学入学を拒否…奈良・下市町、財政難理由に
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090404-OYT1T00525.htm
奈良県下市町の町立小学校を今春卒業した、下半身不随で車いす生活を送る少女(12)が、入学を望んだ町立中学校の設備が不十分として、同町教委から入学を拒否され、養護学校への入学を勧め... [続きを読む]
度々すいませんが、この考え方には遺憾を表しました。TV等でも彼女がどの様な状態かの報道もありましたが、かなりの介護が必要で、時折痙攣などを起こし直ぐさま横に出来る環境が必要な程のようでした。その場所を提供出来る資金はかなりの額が必要です。家族が付きっきりで介護しても、中学では移動教室が多い。家族側も彼女の方も体力的にもかなりキツイと思われます。そこへ万が一何かがあったら受け入れたからには責任もとらなければならない。同意書を作ったとしても、世間からは『何故入れたのか?』等の批判にあうことは必至だと思われます。入れてあげたい気持ちは凄くわかります。しかしながら、彼女の為に様々な事を施し過ぎることはそれは既に普通ではなく特別扱いになり、多感な時期の子供達からは嫌味を買う事にもなりかねません。介護スキルにも言えます。中学生にも自分の意志があります。自ら手を差し伸べない事には何にも意味がないと思います。さらには事故があった際には責任をとる気持ちを持つような中学生はざらにはいません。危険を伴う事に教育がある意見には大賛成です。しかし、ただただ入れるだけでは悲惨な結果しかないと思います。ここまで長々と失礼しました。ただ、凄く気持ちがわかる分、遺憾と言うお言葉を使った事を汲み取って頂けると嬉しい限りです。 .
投稿: コロ象 | 2009年4月20日 (月) 21時27分
>この考え方には遺憾を表しました。
当然の意見だと思っております。
残念ながら今のマスコミと教育現場においては、本人の意思より問題に対しての責任を追及する姿勢が大きいのは承知して書かせて頂きました。
本人の負担も無論承知して書いております。
しかし、本当に彼女が望んでいるのなら、その可能性を奪うことは人間の尊厳を奪っていると考えております。
ただ、現実的には、学校側にも心配(問題が起きたときのマスコミ等の非難)を考えてそう判断したと思っています。
それでも、人間の尊厳を奪っていると私は考えています。中々難しいことだとは思いますが、普通の人が普通に生活するように、本人が望むのであれば、より普通の生活を、障害者とは思わない。少し能力が低い普通の人として接したいと思うのです。
私は船で旅行をした経験があります。
そのとき、車いすに乗った身体障害者といっしょに時間を共有したことがあります。一人でトイレもいけないほどの障害者です。
「よく親御さんは許可をしたな!」とも考えました。それでも彼は旅行をしたかったのです。誰かの手を借りなければ出来ない旅行であっても!
そもそも、一人ですべてできる人間はいません。
一人でできないなら、2人で、2人でできないなら3人で、友人の手を借りればいいのです。
ですから、私も彼の介護者ではなく、ただの友人です。
旅で知り合った友人ですが、彼は私の友人です。
そんな情操教育を中学生に求めるのは無理なことでしょうか?
私は安全な檻の中に入れて、『君は幸せだね!』とは言えません。
社会状況を見れば、多少無理な意見とは承知しておりますが、そういう社会になることを祈って、コメントさせて頂きました。
多少でもご理解できれば、幸いです。
投稿: 管理人 donnat | 2009年4月23日 (木) 01時24分