警察に笑顔を!!!
警察に笑顔を!!!
『警察とかけて、しかめ面のおじさんと説く。
その心は、
やくざやマフィアと変わりまへん!』
しかめ面の警察官は、国家権力の傘にした暴力集団と成りかけている。
『法の下の正義』をかざして職務に励む警察官が増えている。
これは国家として危うい状態である。
警察とは何か?
それを失いかけている証拠である。職務に忠実であることは決して美徳ではない。
やくざやマフィアにしても彼らなりのルールが存在し、そのルールに忠実に生きている。
つまり、『ルールの下の正義』をかざして社会に迷惑を振りまいているのだ。
『なぜ、法律が正義でないのか?』
それは人が作ったものだからである。
Aという状態では正しいことでも、Bという状態では正しくない場合は多々あるのだ。
たとえば、
江戸時代の藩で、飢饉の為に食料が尽きたとする。
藩主は働けない老人や老婆を集めるように御触れ出した。
集める場所は山である。いわゆる『姨捨山』のことだ。
今、日本の財政が破綻しようとしている。
60才以上のの年金支払いが無くなると、日本の財政は健全化できる。
そこで、『60才以上、死刑法案』を可決する。
法律が作られれば、法の下の正義は成立する。しかし、これは正義だろうか?
否、正義では決してない。
つまり、法律とは、時に間違っていることもあるのだ。
では、警察官は何に忠実であるべきなのだろう。
それは一人一人の笑顔である。
一人の笑顔、町民の笑顔、市民の笑顔、国民の笑顔、その笑顔を守るのが警察の仕事である。
いや、仕事でなければならない。
つい近年までは、警察官と町民は1つの共同体の中にいた。
しかし、最近は“癒着”などというものを恐れて、警察官はその輪から出てしまった。
つまり、町の事情を知らない警察官が、法の平等をかざして取り締まりを行う。(個々の事情など関係なしだ。)
また、町のイザコザには民事不介入で逃避する。
(個々の事情が判らないのは警察が町の人間との関係を築いていないことが原因である。)
これでは町の信頼を得ることなどできない。
“警察官が言うのだからしかたない。”という声が聞かれなくなった。信頼を失ったのである。
だが、国民は従う。
国家権力の為に、国民が我慢を強いられるようになった。
見た目、結果は同じように見えるが中身はまったく異なる。
私は警察官の方々に苦言を呈する。
笑顔を大切にしなさい。
国民の笑顔を守るという使命感が、警察の信頼を回復される道である。
町と共に生き、町民と同じ時間を生き、笑顔を交わす関係を取り戻すべきである。
笑顔とは安心である。
しかめ面とは恐怖である。
強面でも、笑顔がすてきな警官であることを私は強く願います。
『警察とかけて、笑顔のおじさんと説く。
その心は、
住みよい町で安心です!』
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