警察は大丈夫か?
今日、定年を5年後に控える中堅の警察官と話を持つ機会があった。
「最近の若いものは考えようとしない。」と嘆いていた。
最近の若手警察官は言われたことに、ロボットのように忠実に仕事をする。
もちろん、これは褒めている訳ではない。
事情聴取に行けば、通り一辺倒の質問をするだけでその人を見ていない。
住民苦情から交通取締りに行けば、違法者の取り締まりだけ行う。
住民からの要望に対しても、「ルールですからできません。」と無情に断ってしまう。
とにかく考えない。
判らないときは携帯で電話をして指示を仰ぐ。
現場にいる人間が、現場にいない人間の指示で動くには限界がある。
一言でいうならば、「ケースバイケース」に対応できない。
これが今の警察の実情である。
たとえば、住宅での駐車違反
レッカー車に乗車して、10分経過した時点で撤去する。
警告のチョークを引いて、悪質の駐車違反者を取り締まるのではない。
たまたま駐車していた車が狙われるのだ。
だから、電気屋や宅配便の車が移動される事態になってしまう。
12階の住宅の最上階から戻ってくるのに10分では可哀相だ。電気屋も災難だろう。
また、
住民の通報により、小学校の通学路の安全確保の為に、車の一時停止を徹底する。
一時停止義務違反の切符を切っている間に、ほとんどの他の車が次々と通過してゆく。
すべての車に警告のみ行なえば、ほとんどの車に警告できるのにも関わらず、違反キップを切ることを優先する。
児童の安全が優先なのか?
違反を取り締まることが優先されるのか?
彼らは考えない。
言われた仕事を行なうだけで、その効果とか、目的を考えないで行動している。
私が思うに、中堅の警察官の不安は住民との協力関係ではないだろうか?
住民と警察の間にある見えない絆が失われることへの不安を持っていた。
たしかに、
昔はお祭りの巡回中の警察官に、
「ちょっと1杯どう!」
「言わないでくださいよ!」などと言って、1杯だけもらっていく警察官が多くいた。
それほど親しみを感じていた。
“警察は市民を守るもの”と誰も信じていた。警察官自身もそう感じていた。家の事情まで相談事にいくのも日常茶飯事であった。それに答えていた警察官は実に偉かった。
今は民事不介入で、呼び出されれば行くが、親身になって相談にのってくれる警察官はいない。いや、できないのだ。
私は不安に思う。
警察への協力する市民は年々減少している。警察に関係すると無用な時間が掛かるからだ。それに対して、市民への協力体制が希薄だ。むしろ恨みを買っていると言ってもよい。信頼が崩れかけているだ。
町の人間とそれ以外の人間を見分けることのできない警察官に、町を守ることができるのだろうか?
誰が見ても不審者とわかる人以外(これも少し怪しい)、不審者が見分けられない警察に、地域が守れるのだろうか?
普段から不信を植え付けている警察に、地域と協力できるのだろうか?
町を守ろうという意識のない。地域と共有感を持とうとしない。何も考えない警察官はサラリーマンと同じではないか?
時間から時間まで仕事を行い。給料を貰う。サラリーマン警官に我々の未来を守ることができるのだろうか?
今、現役の中堅が退職した警察はいったいどうなってしまうのか?
不安としか言いようがありません。
PS.その中堅警官からのアドバイス
警官に質問されたとき、自分に不利になる言葉はしゃべらないで下さい。
「聞いてしまった以上、どうすることもできない。」
今の若手の警察官には、人相や態度からその人がどんな人か考えない。聞かなかったことにしよう、見なかったことにしようという配慮がないのでようです。つねに、機械的に作業を進める。
つまり、警察官と話すときは自分に都合の良いこと以外は話さないのがいいということでしょう。
裁判で自分に不利なことは話さなくてもいいと聞いたことがありましたが、これからは警察もそうだと勉強させられました。中堅の警察官もご苦労が多いようです。
« 竹島は韓国領? | トップページ | 麻生総理に期待 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 歴史の中に常に答えはある。(2016.10.26)
- 今日のタマねい〔一燈照隅(いっとうしょうぐう)〕(2015.01.21)
- 今日のタマねい〔飽後思味(ほうごしみ)〕(2015.01.20)
- 今日のタマねい〔和光同塵(わこうどうじん)〕(2015.01.19)
- 今日のタマねい〔格物至知(かくぶつちち)〕(2015.01.18)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント