空白の歴史
本来、空白の歴史とは、語られない歴史のことで継ぎ接ぎだらけの歴史の中のほころびから、見えない歴史を想像・仮定し、その形跡を探していくものだ。
これが本来の私の職分であり、歴史研究愛好家の趣味である。
酒屋という生業は、食べていく為の手段でしかない。
しかし、今回のテーマの空白の歴史とはそのことではない。
本屋にいくとひさしぶりに本多勝一氏の新刊らしきものを見た。週間金曜日を愛読していた時期もある私としてはおひさしぶりのお名前である。
彼に特別は共感や同意を感じたことはないが、昭和40~50年代にかけて、水俣訴訟や尼崎公害訴訟など公害問題が取り上げられていたのでそちら側の被害者にそうコメントを出す立場の方々に肩入れした時期であった。その頃、よくご覧になった方だ。
東大紛争が終わってからの左翼は、一部の赤軍を除けばおとなしくなっていたと考えている。それに比べて、右翼は宣伝カーを回し、軍歌を大音量で垂れ流す、やくざと同じ怖い人達という印象が当時の私の感想だ。
また、学校教育では日教組が強く、当然の事ながら自由・平等・権利の主張が強く現れていた。そういった団塊の次世代が我々である。
村上・ホリエモン等々が早々と社会に乱入して、世間をお騒がせしている世代である。
いろいろな人物像が多種多様な世代と言える。
高度成長期を少年期とした我々は、夢や希望に多彩な可能性を感じた時代かもしれない。少なくとも少年期に米ソ最終戦争以外の暗い未来といったものを感じたことがない。高度成長時代、誰もが夢と希望に満ち溢れていた。
しかし、自由・平等・権利を教える教師はいたが、義務・共存・責務といった見えざる裁量を教える教師は存在しなかった。一言でいえば、徳を教える教師がいなかったのだ。
その結果として、イチローや松井、中田などの優秀な人材を構築したかと思えば、法律に触れていなければ、何をしてもいいなどという不届きな考え方を持つ輩も増産した。
良くも悪しくも多種多様な世代である。
今、学生運動をした落ちこぼれ組みが官僚になっている。彼らの世代は先輩の悪しき習慣を継承し、欲と惰性にまみれているとしかいえない。自制が聞かないようである。
さて、余談はそれくらいにしよう。
空白の歴史
我々の世代、学生運動を行っている世代、バブル期の世代、バブル崩壊の世代と戦後の世代に共通して言えることは近代史、現代史を学んでいないことだ。
さきほどにも紹介した本多勝一の著書を信じたのは近大・現代史の欠如によるものである。つまり、戦争を行い。敗北し、そして今にいたるまでの道筋を知らないのである。
ゆえに、焼け野原の原住民ともいえるちょん髷のサムライ社会からビルが立ち並ぶ先進国にしてくれたのがアメリカだと言えば、それを信じてしまうのである。
日本人は悪い奴だ。中国を侵略し、殺戮した悪い奴だと言われれば、信じるしかなかった時代である。少なくとも小学・中学生で疑問を感じる人は少なかったのではないだろうか?
最近は近大・現代史の著書も増えた。インターネットでも掲載されるようになったので今後の世代は変わっていくことになると期待している。
しかし、学校の現場ではまだまだ期待薄である。
本多勝一
世界中を取材に廻るジャーナリストというのが事実であろう。
しかし、その取材が真実であるかどうかは疑問である。ジャーナリストとして物事に疑問を感じ、探求するという姿勢が彼に欠けているのではないだろうか?
どちらかといえば、自分にとって都合のいい情報を採取し、自分の期待する記事にすることが彼のライフスタイルではないだろうか?
もちろん、これは私の主観であり、事実とは異なるかもしれない。
ただ、事実として主観や記事の配列によって記事の意味を変えることのできるテクニックを所持しているという事実と、ささいな出来事であっても威嚇的に捕らえる嗅覚をもっていることである。
1つは、週間金曜日に投稿した記事である。総理に就任した頃の小泉総理を支援する言葉と自民党を揶揄する言葉を私は投稿した。それが週間金曜日に掲載されたとき私は驚いた。小泉総理も自民党も両者を批判する記事に変わっていたからだ。
よくマスコミで政治家が自分の意図としない発言を報道されて戸惑っている場面に出くわす。あー、ご愁傷様と思っている私である。
マスコミや新聞記事、一般者からの掲載記事を鵜呑みにするのはやめよう。
彼らの技術はすばらしく巧妙である。もちろん、本多勝一もそうだ。
もう1つは、ピースボートで出合ったときの思い出である。公演の部屋に案内し、終了後、次の公演までの間の控え室に案内したときのことだ。
「いや、ほんの少しでもお世話できて幸せです。」(お世辞であり、言葉のあやである。)
彼はじろりと私を見て言った。
「世話???」
威嚇的な目つきで私を睨みつける。
「世話?」
どうやら世話という言葉に酷くこだわっているようであった。
「失言です。案内できて幸せです。」
やっと納得したらしく、顔を他に向けた。
公演のときの穏やかな話し方、戦争を批判する熱い語り手、どちらの彼とも違うまったく別物の印象を受けた。
それから数年、日中戦争等の書物が多く出版され、また、読む機会に触れることになった私は彼のいう戦争犯罪人の日本人とはいったいなんだろうと疑問は膨らむばかりであった。
本多勝一は、取材という事実と事実を繋ぎあわせ、自分の描く架空のシナリオを歴史の中に描こうとしているのではないだろうか?
中国に都合のいい記事が多いという事実はぬぐえない。
いずれにしろ、近大・現代史を空白のままで現在を迎えるのは如何なものだろうか?
過去・現在・未来を繋ぐ、もっとも最近の歴史を教えないというのは問題である。
ギム・ミー・チョコレートの親米派
謝罪しろの親中派
極端になってしまうのは知識が欠如しているのが原因ではないだろうか?
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