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2008年3月

1ドル100で大騒ぎ!奇妙な話しだ。

1ドル100円になった。

アメリカの崩壊による余波を心配するのは無理かなぬことだが、1ドル100円と日本の価値が上がっているのに日本はダメだと騒いでいるのはおかしいのではないだろうか?

円がドルに対して、

100ドルの価値が120ドルに値が上がっているということは、20ドル儲けたのと同じことだ。

儲かって、「ダメだ!」と大騒ぎしているマスコミはこっけいでしかない。

対ユーロ圏は下がっている訳ではないので、アメリカ以外の国家への販売拡大

特に日本の内需を拡大することを考えれば、問題はすぐに解決することだ。

日本の内需が低迷していることは、上昇幅が大きいことを表している。

どこに心配するところがあるのだろうか?

摩訶不思議な大騒ぎである。

空白の歴史

本来、空白の歴史とは、語られない歴史のことで継ぎ接ぎだらけの歴史の中のほころびから、見えない歴史を想像・仮定し、その形跡を探していくものだ。

これが本来の私の職分であり、歴史研究愛好家の趣味である。

酒屋という生業は、食べていく為の手段でしかない。

しかし、今回のテーマの空白の歴史とはそのことではない。

本屋にいくとひさしぶりに本多勝一氏の新刊らしきものを見た。週間金曜日を愛読していた時期もある私としてはおひさしぶりのお名前である。

彼に特別は共感や同意を感じたことはないが、昭和40~50年代にかけて、水俣訴訟や尼崎公害訴訟など公害問題が取り上げられていたのでそちら側の被害者にそうコメントを出す立場の方々に肩入れした時期であった。その頃、よくご覧になった方だ。

東大紛争が終わってからの左翼は、一部の赤軍を除けばおとなしくなっていたと考えている。それに比べて、右翼は宣伝カーを回し、軍歌を大音量で垂れ流す、やくざと同じ怖い人達という印象が当時の私の感想だ。

また、学校教育では日教組が強く、当然の事ながら自由・平等・権利の主張が強く現れていた。そういった団塊の次世代が我々である。

村上・ホリエモン等々が早々と社会に乱入して、世間をお騒がせしている世代である。

いろいろな人物像が多種多様な世代と言える。

高度成長期を少年期とした我々は、夢や希望に多彩な可能性を感じた時代かもしれない。少なくとも少年期に米ソ最終戦争以外の暗い未来といったものを感じたことがない。高度成長時代、誰もが夢と希望に満ち溢れていた。

しかし、自由・平等・権利を教える教師はいたが、義務・共存・責務といった見えざる裁量を教える教師は存在しなかった。一言でいえば、徳を教える教師がいなかったのだ。

その結果として、イチローや松井、中田などの優秀な人材を構築したかと思えば、法律に触れていなければ、何をしてもいいなどという不届きな考え方を持つ輩も増産した。

良くも悪しくも多種多様な世代である。

今、学生運動をした落ちこぼれ組みが官僚になっている。彼らの世代は先輩の悪しき習慣を継承し、欲と惰性にまみれているとしかいえない。自制が聞かないようである。

さて、余談はそれくらいにしよう。

空白の歴史

我々の世代、学生運動を行っている世代、バブル期の世代、バブル崩壊の世代と戦後の世代に共通して言えることは近代史、現代史を学んでいないことだ。

さきほどにも紹介した本多勝一の著書を信じたのは近大・現代史の欠如によるものである。つまり、戦争を行い。敗北し、そして今にいたるまでの道筋を知らないのである。

ゆえに、焼け野原の原住民ともいえるちょん髷のサムライ社会からビルが立ち並ぶ先進国にしてくれたのがアメリカだと言えば、それを信じてしまうのである。

日本人は悪い奴だ。中国を侵略し、殺戮した悪い奴だと言われれば、信じるしかなかった時代である。少なくとも小学・中学生で疑問を感じる人は少なかったのではないだろうか?

最近は近大・現代史の著書も増えた。インターネットでも掲載されるようになったので今後の世代は変わっていくことになると期待している。

しかし、学校の現場ではまだまだ期待薄である。

本多勝一

世界中を取材に廻るジャーナリストというのが事実であろう。

しかし、その取材が真実であるかどうかは疑問である。ジャーナリストとして物事に疑問を感じ、探求するという姿勢が彼に欠けているのではないだろうか?

どちらかといえば、自分にとって都合のいい情報を採取し、自分の期待する記事にすることが彼のライフスタイルではないだろうか?

もちろん、これは私の主観であり、事実とは異なるかもしれない。

ただ、事実として主観や記事の配列によって記事の意味を変えることのできるテクニックを所持しているという事実と、ささいな出来事であっても威嚇的に捕らえる嗅覚をもっていることである。

1つは、週間金曜日に投稿した記事である。総理に就任した頃の小泉総理を支援する言葉と自民党を揶揄する言葉を私は投稿した。それが週間金曜日に掲載されたとき私は驚いた。小泉総理も自民党も両者を批判する記事に変わっていたからだ。

よくマスコミで政治家が自分の意図としない発言を報道されて戸惑っている場面に出くわす。あー、ご愁傷様と思っている私である。

マスコミや新聞記事、一般者からの掲載記事を鵜呑みにするのはやめよう。

彼らの技術はすばらしく巧妙である。もちろん、本多勝一もそうだ。

もう1つは、ピースボートで出合ったときの思い出である。公演の部屋に案内し、終了後、次の公演までの間の控え室に案内したときのことだ。

「いや、ほんの少しでもお世話できて幸せです。」(お世辞であり、言葉のあやである。)

彼はじろりと私を見て言った。

「世話???」

威嚇的な目つきで私を睨みつける。

「世話?」

どうやら世話という言葉に酷くこだわっているようであった。

「失言です。案内できて幸せです。」

やっと納得したらしく、顔を他に向けた。

公演のときの穏やかな話し方、戦争を批判する熱い語り手、どちらの彼とも違うまったく別物の印象を受けた。

それから数年、日中戦争等の書物が多く出版され、また、読む機会に触れることになった私は彼のいう戦争犯罪人の日本人とはいったいなんだろうと疑問は膨らむばかりであった。

本多勝一は、取材という事実と事実を繋ぎあわせ、自分の描く架空のシナリオを歴史の中に描こうとしているのではないだろうか?

中国に都合のいい記事が多いという事実はぬぐえない。

いずれにしろ、近大・現代史を空白のままで現在を迎えるのは如何なものだろうか?

過去・現在・未来を繋ぐ、もっとも最近の歴史を教えないというのは問題である。

ギム・ミー・チョコレートの親米派

謝罪しろの親中派

極端になってしまうのは知識が欠如しているのが原因ではないだろうか?

仰げば尊し

Zneimnzlcooksealy_tarns 仰ぎ見れば青空が広がり、朝の冷たい空気がのどを駆け巡っていく。さわやかな朝といのうだろう。
空を仰ぐことはいいことだ。足元を見ないのは迂闊者であるが、空を見ないのは不遜である。志すものがないので下を向く。勇気がないので下を向く。生きることに感謝しないので下を向く。
人生とは長い回廊のようなもので、日々の行いが苦難・苦行の連日であっても、振り返って見て「あー、悪くない。」と思えれば、成功である。
下を向き、日々の成功を確信してるものが、振り合えって見て「俺の人生は何だろう?」と考えるようでは、空を見ていない証拠である。

空には自らが目差す指針が必ずある。それが希望の光であり、己の大儀である。それが生きる力になる。
ただ、空ばかりを見て足元を見ないものは大きくつまずくことになる。だから迂闊者だといっている。
もう卒業のシーズンである。6年間、3年間、4年間、それとも2年間、ゆっくりと見直して振り返るのも良いのではないだろうか、「あー、悪くない。」と思えたなら、君は立派な成功者だ。物足りない者は悔いることはない。人生は長い、その失敗の原因のみ覚えておけば、次の成功へと繋がる。人生の終わりにどう思えるか今か楽しみである。
空をゆっくりと見上げよう。君の中の何かが教えてくれる。

何も感じないなら、それは空を見ている振りをして、頭の中で足元ばかりを見ている証拠だ。そんな時は振り返ってみればいい。

「あー、悪くない。」と思えたなら、心は空を向いている。後悔が思いめぐるようなら、原因を考えよう、そして、「再びするまい。」と誓えばいい。そうすれば、心が自然と上を向く。
人生は長い、空のかなたの星の指針をしっかりと見据えて、一歩1歩進もうではないか。

中国製品不買運動に賛同

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「アジアの真実」中国製品不買運動に賛同することを表明いたします。

私はどちらかとえ言えば親中派であります。

しかし、常々言いたいことを言わなければ真の友好は生まれないと主張しております。

今回、政府・企業が正しい判断・意見を中国側に申しいれていないので、消費者として主張させて頂きます。

今回の一連の事件において中国の風土・常識を理解しております。「責任の有無がはっきりしない間は謝罪しない。」、「他者の責任を強く強調する。」など実に中国流であります。しかし、消費者は日本人であり、風土・常識を無視した対応は許されません。

これは自らが取引の中止を宣言しているのと同様のことです。

本来、日本政府・購入企業が強く抗議するところでありますが、その抗議がないことから消費者として抗議いたします。

・製品・生産物を輸出する国家・企業は、その安全性を強く監視することを発表する。

・事件・問題が生じた場合は、相手国の立場になって対応することを望む。

・事件・問題の解決に積極的に協力し、一方的な主観による発表を行わない。

・国際的にすべて情報の開示を明らかし、すべての者が客観的に判断できる環境を構築する。

現在、責任を相手国にあると主張することのみが大きく取り上げられている。中国政府は日本の捜査情報と中国の捜査情報の双方を両国の国民に開示するべきである。

その上で原因究明を協力することを強く望む。

私としては、中国国民の方々に安全なものを生産しなければ、国際的に販売できないということを理解して頂きたい。

日本のことわざで「郷にいっては郷に従え!」という。

中国に行けば、中国のルールに従い。日本に来れば、日本のルールに従うべきである。

中国のルールを日本に適応させようとする行為は信義におとる行為である。

考え直して頂きたい。

今後の日中の友好を考えれば、主張するべきことを主張せねば真の友好はありえない。よって、中国製品の安全性向上を考えて頂きために“中国製品不買運動に賛同”することを宣言する。

なお、中国側がそれに伴う方針転換、または、安全強化をうたう宣言等を行った時点で中国製品不買運動の撤回とする。

あくまで現時点の体制には批判的であるが、最終的には日中友好が確立されることが望ましいと考えている。

防衛省・自衛隊があぶない。

衝突事故で防衛相登庁、一報の90分後…宿舎は車で5分(読売新聞)

http://newsflash.nifty.com/news/tp/tp__yomiuri_20080301-571-OYT1T00391.htm

防衛省はいかなる存在なのか?

守屋事務次官以下の規律は存在しなくなっているのだろうか?

国防の最先端としてはお粗末な話しだ。

阪神大震災の折に、総理の判断が遅いことから死傷者を増加させたことから緊急事態法が施行された。しかし、その中を支えるのは人の力である。

どんなりっぱな法律があろうと、それを取り扱う人物がお粗末であれば機能しないのは当然のことだ。

これからテロ、戦争を致しますなどという行儀のよい相手ばかりではない。

一分一秒を争うのが自衛隊の任務ではないのか。

イージス艦が漁船をテロと誤認して撃沈、または、警告の末に回避不能となり、撃沈することもできない為に衝突したというならば、“銃を持っていても撃つ事のできない日本らしい軍隊だ。”と納得するところだが、艦長は寝てました。当直の隊員は何もせずに漁船団の中に突入するという有様だ。

北朝鮮が突然ミサイルを発射した場合はどう対処するつもりだったのだろう。

“ミサイルの発射を確認しましたが、艦長は就寝中でしたので起こすべきかどうか検討している間にミサイルが東京に落ちてしまいました。”などと嘘ぶくように報告でもするつもりなのか?

守屋事件・機密事項流出など最近の事件を考えるに

どうやら、防衛大臣から下部隊員まで防衛省・自衛隊全体にたるみが存在するみたいだ。

警察も消防も自衛隊も無用の長物であることが望ましい。しかし、用を成さないようではようでは多額の税金を投入する意味をなさない。共産党ではないが、自衛隊がなければ、どれほどの社会事業に予算を回すことができるかを考え直して頂きたい。

それほどの犠牲を払っても、国防に費用を掛ける意味を理解できないような自衛隊であれば、存在意義が危うくなる。

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