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2008年2月

正しいことを見つけるのは難しい!

イージス艦の衝突で石破大臣が苦境に立たされている。

彼が何を守っているかが問題なのだ。

コラムニスト勝也氏が言っているように、何らかの作戦行動中と考えれば、ツジツマが合うのだがわたし達に判るはずもない。

幕僚長らとの関係が逆転しているなら、この機会に是正するべきだろう。やめるのはその後で十分だ。

ただ、ただ、保身に走っているのかもしれない。そうなっては人間おしまいだ。大臣をいますぐにお辞めになって頂きたい。

状況証拠が判らなければ見えてこない。これ以上のコメントは控えておこう。

正しい行動を取るというのは難しいことである。

私は孔子の教えを尊重する。また、引用もよくする。

しかし、すべてを肯定している訳ではない。

大儀というものがある

これは人間の根幹を表すもので、人を動かす力の源である。

しかし、墨子“非攻”を引用すれば、君子による大儀とは善悪の判断がなされていないこになる。

君子とは大儀によって動く人物のことだだが、非攻によれば大罪人である。

“人を殺したものは罪人である。国を侵略し、百万人を殺したものを英雄と呼ばれ、賞賛される。人をひとり殺せば、不義である。必ず死刑に処される。この論理にしたがえば、不義を十回行ったものは、十回の死刑に科せられる。百回の不義には百回の死刑が科される。しかし、他国を侵略し、百万の不義を行ったものを非難しようとしない。これは1つ1つの黒は見分けられても、黒く塗りつぶされたものを白というのと同じで白黒の区別がつけられなれない。それが今の君子である。”<途中中略されております。>

人々に尊敬されるべき、君子ですら善悪の判断ができていないといっているのである。

私が思うに、君子ですら善悪の判断ができないものをあまたの人々が間違うのも頷けるところである。

主観が変われば、その判断も変わる。

“その河を知るなら、対岸より見よ!”

私なりの処方術である。

一方の情報のみで判断するのは極力さけようと考えている。

しかし、“なにを隠したいのか?”がいっこうに見えてこないイージス艦の衝突問題である。

岡田ジャパン、意思を示すべきだ!

1197200263
外交と安全保障をクロフネが考えてみた。
http://gaikoanzenhosyo.blog4.fc2.com/blog-entry-614.html
で、サッカーのコメントを書いているうちにサッカー熱がでてしまった。

常々、日本に適しているサッカーとは何だろうか?
そう考えてしまう。
マイアミの奇跡は川口がヒーローである。川口のスーパーセーブがブラジルを破った瞬間である。誰もが信じていない勝利を私は願って応援を続けていた。川口のスーパーセーブが出るたびガッツポーズをしていた自分いた。日本の黄金期を予感させる1勝であった。
ドバイの悲劇を乗り越えた加茂監督率いるジャパンが好発進をする。三浦カズの豪快なシュートがネットを揺らす。誰もワールドカップへの夢を見ることに酔いしれた。しかし、三浦の不調が加茂ジャパンを崖っぷちに追いやる。加茂更迭、岡田ジャパンの誕生である。三浦を下げたことは岡田の好判断だった。三浦は自らの不調に気づけずにイメージと実際のプレーのギャップに苦しんでいた。三浦の不在という逆境をばねにした岡田ジャパンは見事に初のワールドカップ出場という快挙を成し遂げたのだ。
しかし、その後の選考で三浦の名前がないことに誰も驚きを隠せなかった。
キングカズをワールドカップのメンバーから外したのだ。
あのとき岡田こう言った。
「いかなる場面を想定しても、三浦を使うことはないので外した。」
まさに明断の瞬間であった。
岡田は初のワールドカップで勝ちに行くつもりだ。“神風”である。
ワールドカップで1勝もできず、1点も取れない状態も想定していたのだろうか?
3試合目、中山と中田を除くメンバーに覇気がなかった。戦う前から負けていた。このままで帰れないというプレッシャに負けていた。
岡田監督の無策がここに現れていた。
「こういった状況を想定されていなかったのですか?」という記者の質問もなかった。岡田監督自身の発言や自伝にも書かれていないので不明のままである。
岡田の評価が地に落ちた瞬間であった。
3試合目、ブラジル留学からはじまるあらゆる苦難を経験し、セリアAにいたカズの実績が必要ではなかったのか?
チームを引っ張る存在が必要ではなかったのか?
カズの時代が終わるケジメが必要ではなかったのか?
3試合目、最終10分、カズがファールドを駆け、ホイッスルが鳴る。日本をここまで導いた大きな背中に、次の世代の若者に送るというセレモニーが必要ではなかったのではないだろうか!
そして、カズの代わりに選ばれた次世代の若者は、どこかへ消えている。
岡田監督の選手を見抜く力の限界を感じている。

トルシエは実に明確な監督であった。
日本のサッカーに最も適した監督だと感じている。
システムを特化させたサッカーは几帳面な日本人向きだ。それをさらに進化させることがワールドカップでさらに上を目差す近道ではないだろうか?
3-5-2にはじまる。フラット3、サイド攻撃は強力だった。
次にダイレクトプレーと2列目からの組み合わせを伸ばせば、さらに進化することができると考えている。それが私の理想だ。
中村が選ばれなかったことは残念だったが、期待以上の成果はあった。

ジーコも優秀な監督であったが、選手が追いつかないというのが実情だろう。
ジーコ自身がいうように、「鹿島で1ヶ月で教えられることに1年も掛かってしまった。」というように代表監督の指導の難しさを体験されられたとしかいいようがない。ファールドは選手のものという考え方のジーコは、戦術面において特に支持を与えなかった。これがオーストリア戦の敗北に繋がったのはいうまでもない。中田・中村・小野・稲本というプレーヤーが連携を持つには圧倒的に試合数が足りなかった。意識の不統合がプレーの緩慢を生み、一度切れた決壊は一度に大量得点を許してしまった。トルシエが言っていた。「司令塔は一人でいい」の言葉が思いだされた。
結果論ではあるが、中田-稲本-福西で作る守備から作る攻撃的サッカーと中村-(小野)-中澤の縦のラインを機軸にサイド攻撃とファンタジックな攻撃をコラボレーションしたサッカー(アジア大会のチーム)の2チームを作る方が良かったのではないだろうか?
日本の国内選手は比較的時間を作ることができる。中田と中村に合わせたチームを編成し、連携に必要な時間を調整する必要があったと考えている。
最後に、体調管理も選手に委託するジーコの下で日本の選手は未熟すぎたと言わざるえない。

そして、期待するオシムとなった。ジーコ監督時に最も不足した戦術面を大きく強調するオシムは、成功すれば日本のサッカーは劇的な革新となる。最も不安定な戦術面の強化、それを補う為に千葉の選手が多く採用されることになった。しかし、1年経っても成果がでないので私は不安を覚えていた。
空気を読むことが得意な日本人が、なぜ?Why? 瞬時に次の行動を予測し、ボールを出せないのだろうか?
疑問は多く残るが、とにかく、今のままではダメだと感じていた。

やはり、もう1つの得意技である。技術の精度を上げるという几帳面な日本人の特徴を生かしたサッカー。
トルシエ風にシステムを徹底した職人サッカーを目差す方がいいのでは?
数百というパターンを取得し、司令塔の指示の下で精密機械のようにボールを前に進めるサッカーこそ日本のサッカーではないだろうか?
そういったことを考えていたころ、オシムが倒れたのあった。

岡田の起用は青天の霹靂であった。
私の岡田評価が低いこともさることながら、ここに来てオシム流の軌道変更をするのか?
疑問が頭を過った。
反町コーチを始めに多くのコーチがいるのに、なぜ? あえて岡田なのか?
軌道変更は危険ではないのか?
選手の選考にいままで関与していないものを監督にするのは無謀だと感じた。しかし、決まったものはいたし方ない。私の期待(岡田に対する不振)を裏切ってくれと思うばかりである。
この数試合は不安が的中したとしか言えない。
何がしたいのだろうか?
メンバーをいじったということはオシムを継承しないという意思の表れではないのか?
しかし、具体的指示はしていないと言われる。
新人の発掘をしたいのか?
その割には起用度が低い。
中村ら司令塔の為の周辺の選択ともとれない。
システムを徹底させる練習でもなかった。
本当に何がしたいのか謎の大会であった。
少なくとも意味があるなら、最終予選で成果がでることになるだろう。

まだ、まだ、予選は続くので軌道修正は可能だ。最終予選までに形がつくることができれば、間に合うかもしれない。しかし、間に合わない場合はワールドカップの前に新たな悲劇が用意されているのかもしれない。
ドバイの悲劇を記憶している方は、悔しさを覚えているだろうか?
私はこの悔しさをもう一度味わいたくない。

岡田、はっきりと意思を示せ!

514w04qep1l 岡田武史の考えるサッカーとなんぞや?

オシムのように戦術を考えるサッカーだろうか?

ジーコのように、自由な発想を意味するのだろうか?

システムを優先するものだろうか?

選手からその内容がもれてこない。

選手も迷っているのかもしれない?

まさか、再び代表になるなど思っていなかったので勉強不足だ。(反省・反省)

活学とはいかに?

活学、未だに答えが出ていない1つである。

博学は判りやすい。言い換えれば、図書館みないなものであり、知識の集積所である。才ある方は多くの記憶を保存したままで生活できるが、一般的にはその一部を記憶し、その他の多くは欠落していくことになる。さもいう私もその一人である。

誰が言ったかは忘れたが、「メモとは忘れない為のものではなく、忘れることをできるようにする媒体である。」この言葉聞いてから、メモを取ってものは忘れていいのだと考えられ、記憶の媒体を外部に持つ者だと考えるようになった。

パソコンも同じで、パソコンに書いた文章は多くの細部を欠落させていいのもだと考えることができるようになり、結果的に多くの記憶を保有することができるようになった。

次は、読んだ書籍を簡素化した目次・感想をまとめていきたいと考えている。

しかし、これらの行為は、博学量を増加する行為であり、活学とは関係ない。

文字で表現するなら、博学として得た知識を分解・整理し、生活や社会に役に立つように再構成したものが活学である。

しかし、まだ判らない。活学とは何なのだろうか?

外国人地方参政権を問う

基本的に、私は条件付き賛成論者である。

国政は日本人が日本の為に行う行為なので日本人が選ぶべきだと考えている。しかし、帰化した外国系日本人が総理大臣になってもかまわないと考えている。

要するに日本のことを愛している方、能力が伴っている方になってもらいたいだけなのだ。

外国人の地方参政権の一番の理由は、私の隣人と日本を愛する外国人著者の存在だ。彼らに参政権を与えても問題はない。少なくとも日本の文化や歴史するしらない日本人よりはかなり奥深く日本のことを考えているからだ。

外国人だから日本の文化はわからないと思われている方が多くいるが、異文化だからこそあこがれて日本に来た外国人は多く存在する。彼らはわたし達よりも深くこの日本を愛していると思われる。

しかし、そういう方がプラカードを持って参政権を訴えることは稀である。

大阪に在住している私は在日韓国・朝鮮人とよく接している。本気で同等の権利がほしいなら帰化すれば、すぐに手に入る彼が帰化しないのは何故だろうか?

国籍を返ることにどれほどのリスクが伴うのか私には想像できない。

さて、無条件で外国人の参政権を容認できないのはここからだ。

大阪には部落差別という同和問題が存在している。彼らは自分の境遇を糧に多くの権利を勝ち取ってきた。結果として、一般人より優遇された存在となり、逆差別が生まれたのでいる。無理な行政が横行し、多大な経費が彼らの為に費やされることになった。

外国人の参政権を求める団体はそういった利権が絡んでいることが、条件付きと言わなければならない理由だ。

また、外国の国益の為に行政を動かすことがあってはならない。

極論をいえば、外国人が公共の活動に意見を言える場が存在するなら、参政権の有無はあまり関係ないのではないのではないだろうか。

少なくとも

うん十年以上在住し、税金を納めており、公共の活動に参加しているなどの条件をクリアする必要はあるだろう。

あいまいな言葉だが、

結局、その人物が“その町の人間になっているかどうかが問題なのではないだろうか?

景気対策と日本の未来を考えるのはいっしょのこと

>住宅価格の下落が銀行の体力を弱め、1929年に米国ではじまる大恐慌につながった。(株式日記と経済展望)

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/d005f274cca0987c6386dd6265d67612

(株式日記と経済展望内 私のコメントから抜粋)

【前略】 では何に投資するのかというと環境エネルギーなどに100兆円投資するとか、クリーンエネルギー開発に100兆円投資するとか、いくら金があっても足りないくらいなのに、日本の政治家は道路や橋を作ることしか頭にないようだ。日本中をハイテ・クインフラで整備することも必要だし電気自動車が走り回るようになれば充電スタンドの整備も必要だ。

日本に必要なのはこのような将来へのビジョンであり、超低金利の今こそ投資をするのに最適な時はない。財務官僚たちは超低金利の持つ意味が分からない為に無意味にドルを買ってアメリカ経済を支えることしか考えていないのだ。アメリカの景気がよくなれば日本の輸出産業は儲かるが国内はデフレのままだ。アメリカが不景気になれば日本政府は内需の振興に迫られるだろう。

石油や農産物の高騰は日本にとっては危機であり、国内農業の振興やクリーンエネルギー開発が戦略的に必要になってきた。天然ガスの代わりに水素ガスを使えば燃やしても水が出るだけだ。海水を触媒を使って太陽エネルギーで水素を作ることも出来る。水素を使って発電すれば公害は何も出ない。石油の時代はアメリカの時代ともいえるのですが、電気と水素の時代は日本の時代とも言えるのではないかと思う。

donnatの意見

私が言いたいことを全部言って頂いたコメントであった。

まさに、“日本の将来は次期エネルギーを何にするか?”それが問われていると考えている。石油に依存しない社会構造の転換の速度が次期世界の先駆者となると考えている。

同時、先行投資は社会の活性化を促し、内需の拡大と雇用の促進を促すのも明らかなのだ。それに投資しないで道路を作る作らないと騒いでいる政治家はなんと愚かなことだろうか。

景気を建て直し、将来のエネルギーに安心をもたらす。あわよくば、世界のリーダーになるいことができる一石3鳥の手に気づいていないのか、今からでも遅くはない。G7での国際公約である内需の拡大に新エネルギー関係を重点的に行うべきだろう。

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