正しいことを見つけるのは難しい!
イージス艦の衝突で石破大臣が苦境に立たされている。
彼が何を守っているかが問題なのだ。
コラムニスト勝也氏が言っているように、何らかの作戦行動中と考えれば、ツジツマが合うのだがわたし達に判るはずもない。
幕僚長らとの関係が逆転しているなら、この機会に是正するべきだろう。やめるのはその後で十分だ。
ただ、ただ、保身に走っているのかもしれない。そうなっては人間おしまいだ。大臣をいますぐにお辞めになって頂きたい。
状況証拠が判らなければ見えてこない。これ以上のコメントは控えておこう。
正しい行動を取るというのは難しいことである。
私は孔子の教えを尊重する。また、引用もよくする。
しかし、すべてを肯定している訳ではない。
大儀というものがある。
これは人間の根幹を表すもので、人を動かす力の源である。
しかし、墨子“非攻”を引用すれば、君子による大儀とは善悪の判断がなされていないこになる。
君子とは大儀によって動く人物のことだだが、非攻によれば大罪人である。
“人を殺したものは罪人である。国を侵略し、百万人を殺したものを英雄と呼ばれ、賞賛される。人をひとり殺せば、不義である。必ず死刑に処される。この論理にしたがえば、不義を十回行ったものは、十回の死刑に科せられる。百回の不義には百回の死刑が科される。しかし、他国を侵略し、百万の不義を行ったものを非難しようとしない。これは1つ1つの黒は見分けられても、黒く塗りつぶされたものを白というのと同じで白黒の区別がつけられなれない。それが今の君子である。”<途中中略されております。>
人々に尊敬されるべき、君子ですら善悪の判断ができていないといっているのである。
私が思うに、君子ですら善悪の判断ができないものをあまたの人々が間違うのも頷けるところである。
主観が変われば、その判断も変わる。
“その河を知るなら、対岸より見よ!”
私なりの処方術である。
一方の情報のみで判断するのは極力さけようと考えている。
しかし、“なにを隠したいのか?”がいっこうに見えてこないイージス艦の衝突問題である。




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