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信義の人【今井 道与】

戦国時代、堺の商人で田辺屋として広く知られた今井道与は諸大名との交流とも深かった。なかでも薩摩藩の島津義弘とは親しい間がらであったと言われる。関ヶ原の合戦のおり、島津が西軍に組し、敵中突破の退却戦は知られる話である。追いかける東軍を振り切った後に頼ったのがこの田辺屋の今井道与である。親しい仲といえど敗軍の将、落人である。匿えば厳しい処分が待っている。しかし、道与は島津義弘の信頼に応えて、自ら河内平野まで迎えにいったと言われる。そして、義弘をねぎらい、親交の深かった堺奉行に頼みこみ、伊勢平左衛門という商人に仕立てて義弘を脱出させた。後に義弘が尋ねた。
「われらを訴人すれば、徳川どのの思し召しもよく、商人として大成の道が開けたであろうに、よくぞ、われらを庇護してくださった。」
それに道与はこう答えた。
「商人は、目先の得に手を染めがちですが、それは邪道であります。ましてや、人の窮状を損得勘定でみすごすのは、徳のない商人がすることであります。」
島津義弘がその言葉に感動し、知行1千石を与え、島津家秘方の“金瘡”“催生”の処方箋と、その販売を許した。後に知行はお返しすることになったが、今井能登之助と名を改めさせた者に継がし、名跡を残した。

前回、“わいろ”は悪ではないを語ったが、今回は信義の方の話だ。
損得勘定がない人間関係というのは皆無であるが、同時に損得勘定だけがすべてではない。今井道与は商人であったので諸大名と親しくなる為に大枚を掛けて人間関係を構築していったのは言うまでもない。しかし、それがすべてではないことをこの物語が語っている。“人としての道を外れて、損得勘定で考えるのは邪道である”と彼は語っている。私もまったく同感である。
人としての道を歩く上で越えてはならない一線があると考えている。その一線を越えなければ、方法の有無なあまり問われないのではないかと少なくとも私は考えている。

おそらくサラリーマンや事業主の大多数は利益を得る為にがんばっていると思われる。もちろん、美しい王道を歩くことは理想ではある。しかし、現実は残酷なほど厳しい。それゆえに様々な工夫を凝らしていく。そういう彼らを非難するのは酷だと思っている訳だ。
ただ、そういった方が陥るのは、目的の為に行っていた手段がいつのまにか目的になってしまい。真の目的を忘れてしまうことだ。今、多くの企業がそうなってしまっているのではないだろうか。
何のために存在し、何の為に生きているのか?
もう一度考え直してもらいたい。そう考えている。

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