私が小泉元総理を嫌う理由
私は小泉純一郎という人物を嫌っている。
政治屋としては超一流であると思っているが、人間『小泉純一郎』・政治家としては最低な人物である。
自らの趣旨や立場によってすべてを裏切ることを厭わない。
約束を守らない人間であり、、罪の意識を感じない人間であり、国民の利益を無視した総理大臣であった。
「総理は豹変する。」と言われるが、まさに豹変した人物であった。
小泉純一郎の著書に「官僚王国解体論」が存在する。
彼は、その前文でこう言っている。
>日本国憲法の前文には、
ここに主権が国民に在することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表がこれを行使し、その福祉は国民がこれを享受する。
という一節があり、これを教科書では「主権在民」と教えている。
ところが、日本の現状は主権「在民」ではなく、「在官」である。つまり、官僚が圧倒的な権力を握っているのだ。したがって、官尊民卑の風潮が非常に強い。
<中略>
本文で詳しく述べるが、日本の財政はいまや危機的な状況にある。この危機を乗り切るためには抜本的な行財政改革が必要だ。
そのためにはどうしたらいいのかー。
私は三つの政策が必要だと考えている。
まず一つ目は、首相公選制を導入することによって国会議員だけが握っている総理大臣の選挙権を一般の有権者に引き渡すことだ。
二つ目の政策は、東京一極集中によって首都圏のみに集中する既得権をぶち壊し、全国的に均衡のある発展を図るーつまり、首都機能の移転だ。これは現在、国会でも議論されているが、いまがチャンスだしぜひとも実現させなければならない。
三つ目は郵政、郵便貯金、簡易保険のいわゆる郵政三事業を民営化することによって官僚の既得権を民間人に渡すこと。と、私が主張すると、わけ知り顔の人は「小泉は郵政族と対立する大蔵族だからあんなことをいうんだう。」という。これはとんでもない見当違いだ。
郵政三事業を民営化するということは、郵便貯金、簡易保険によってかき集められた資金を原資とする財政投融資の見直しにつながる。この財投資金というのは、九十二の特殊法人に貸し付けられる大きな資金源である。したがって、これを見直せば既存の官僚機構に抜本的にメスを入れられることはもちろんだが、それだけでなく官僚の頂点に位置する大蔵省の権力構造をも改革することが可能なのだ。
<以下略>
つまり、彼は官僚の利権を国民に復帰させることを述べているのだ。
私も「主権在民」を掲げている。
特に首相公選・国民投票・国政への国民直接参加(署名議題制)を主張している。
私と彼の主張が同じであれば、彼を支持するのも当然のことである。
彼が自民党総裁戦で立候補したとき、自民党金だった祖母の一票を貰い彼に投票したのも当然の行動であったと思っている。
また、週間金曜日に小泉総理の激励の言葉を送ったこともある。
もっとも、掲載された記事は小泉批判のように書かれていたのは意外なことっだった。
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話が少し逸れるが、プロの記者にとって文体全体を変更せず、配置を少しいじることで記事の意味を180度変更できることをそのとき体験させて頂いた。プロの記者の偉大ささと報道の邪道を見た思いであった。
極端な例では、「自民党は腐敗している。小泉総理はその嘘を打破するべきだ。」を「自民党、腐敗している小泉総理、その嘘を打破するべきだ。」と3文字変更しただけで意味は随分変わってくる。もっともプロの仕事はもっと巧妙である。
ピースボートに参加したことをキッカケに週間金曜日の年間購読をしていた私は、年間購読を解除することにしたのも自分この投稿記事を見て考え直すキッカケであった。
プロの記者が作り出す記事には大きな罠があり、その錯覚に囚われていけない。
『河を眺めるなら、対岸より眺めよ。』私が胆にしていることわざの1つを体験させてもらった。(そういう意味で感謝している。)
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話を戻そう。
小泉が総理になったとき、公選について聞かれたときこう言っている。
「その程度の問題は大したことではない。」
私が彼に失望した一瞬であった。
首都移転・郵政三事業の改革はあくまで官僚の既得権益を奪うものであって2次的に国民の権利を保護するものであるのに対して、首相公選制は「主権在民」を直接的に強化するものである。
彼も前文の第一に掲げる理由はそこにあると考えていた私は、「その程度」という言葉に大きな意味を持った。
彼自身が『「小泉は郵政族と対立する大蔵族だからあんなことをいうんだう。」これはとんでもない見当違いだ。』といっているが、彼にとって官僚と戦うことが主であって、「主権在民」が従であるということを理解した瞬間でもあった。
やはり、彼にお行動理念は怨恨であり、国民の主権復帰には関心がないことを意味していたからだ。
つまり、前文で第一に「主権在民」首相公選制を述べたのは、その方が国民受けすると感じたからであって、本気で「主権在民」国民の主権復帰を考えていないのだった。
郵政を一番に書けば、怨恨であることがばれるのは明白であり、首相公選制が付け足しであることを暴露するようなものであるからである。
江田健司の著書によれば、小泉内閣も安倍内閣と同様、内閣としての機能が不足していたと言われている。
しかし、総裁戦で公約した首相公選制も選挙改革もなされていない。郵政改革のみが話にでただけである。
私か言わせて頂ければ、その郵政改革も骨抜きとしかいいようがない。
小泉総理が「その程度」といった当時、2ちゃんねるでそのことを書き込んだ記憶がある。『小泉総理が「その程度」と言ったなら、「その程度」のことだ。』と大多数の方に反論された。
熱狂的なファンに何を言っても判らないと諭されたような気分だった。
それ以降、私は2ちゃんねるなどの不特定多数相手に書き込みをするのはやめることにした。少なくとも《匿名》であっても相手を向いて話をしなければ、議論が煮詰まらないと感じたからだ。
その後どうなったかは皆さんのお判りの通りだ。
最終的に小泉元総理を見限ったのは、田中真紀子事件だ。
官僚の首と大臣の首を同列に扱ったのは、喧嘩両成敗、驚きの大岡裁きであった。
官僚と大臣が同列などとんでもない人事だ。
官僚幹部半分と大臣の首を同列に扱っていたなら、現在の官僚の横暴も幾分かは納まっていただろう。
江田健司氏のいう内閣の機能不全があったとしても、主眼が「主権在民」であれば、首相公選制か、選挙改革を第一に行っていただろう。
前文には書かれていないが、「官僚王国解体論」の本文には、選挙改革が書かれている。
そこで小泉は、憲法で選挙に選ばれた者が議員であり、落選した議員を比例で当選するのは違憲であると述べている。私が総理大臣になったなら、まず選挙改革を行う といっている。どうもそれもお忘れのようだ。
彼の主眼が「主権在民」でないことはこれからも明らかだ。
結局、郵政改革以外は、「すべて、その程度か」であり、「怨恨以外に何もないじゃないか!」と言われてもいたしかたない。
その後、次々と横暴を通していく。
「財政改革なしに増税はいたしません。」が、「これは増税ではなく、(恒久)減税の廃止です。」になり。
「一内閣、一閣僚」が、第2次小泉内閣改造でメンバー変更「・・・」NOコメント、一内閣、一閣僚はどこかへ行ったらしい。
「100年(年金)安心プランです。」、「自衛隊がいるところが非武装地域です。」、「米百表の精神」、「郵政改革なしにして、改革なし。」等々、数限りがないほど妙な言葉の引用を続けていくことになる。
彼の本質に気が付いていてば、国民の利益など関係ないのは明白であり、彼は国民を騙し続けることで自らの権力を維持したのは明らかなのだが、気づかない御仁が多いようだ。
「主権在民」を掲げる私にとって国民を騙す行為こそ弾劾するべきものであり、彼が「主権在民」の風を装って、国民の財産を食いつぶしていったのは許されない行為である。
それでも小泉総理を擁護される方がいたなら聞きたい。
官僚の権限は縮小されましたか?
国民の声が国会に届くようになりましたか?
特殊法人・企業への天下りを中止しましたか?
民営化された法人は国民の為に何か利益を落としましたか?
母屋と離れといわれた特別財源の透明化は進みましたか?
何か1つでも良くなったと思えることがありますか?
それが私が小泉純一郎を嫌う理由のです。
彼はそれをする力があった。しかし、1つも行う気がなかった。または行わなかった。
彼を弁護する人もいるだろう。
私も反論する自信はある。
彼を擁護する人もいるだろう。
私も非難する材料に事欠かない。
100年、200年先にどういう評価がなされるか?
何か成果があれば幸いである。
しかし、私は未だにその成果を知ることはできない。不成果ならいくつも上げることができるが・・・。
彼は言った。「首相公選制を導入することによって国会議員だけが握っている総理大臣の選挙権を一般の有権者に引き渡すことだ。」
彼を許せる日が来ることを願いつつ、これで終わりとする。
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