武士道(1)
サムライと言葉にはいくつもの意味がある。
現代においてはほとんど死語のようなものであるが、私も本質的にはサムライでありたいと思っている。英国の騎士道と近いものかもしれない。
仁・儀・礼・智・信、厳・勇
この言葉は、中国の拳法にも通ずるものであるが、日本の武道とも重なるものであると考えている。
人を慈しみ、
義理を欠くことなく、
礼節をおもんじ、
正しいことろ見抜く力をやしない、
人を信じ、信じられる人を目差し、
自ら厳しく、
勇気を持って行動する。
もちろん私は武士ではなく、商人である。
しかし、千利休のように、茶人でありながら武士であったように、商人でありながら武士でありたいと考えている。
つまり、こころ構えのことである。
私はよくこの言葉を使う。
正義のない力は暴力だ。
力のない正義は無力だ。
正義と力を持たなくては人としてあるべき姿を持てない。
正義はあまたに存在し、それを受け入れなければ、その正義は正義でなくなる。
それを知る知恵を持たなければ、人は人としての存在を失う。
人を動物、獣として生きるならそれもよし。
されど私は人なのだ。
欲望を正義と語る人があまたに存在する世の中です。
武士道とは、人が人らしくある1つの考え方と私は考えています。
自らを律して、勇気を持って戦う。
簡単そうで難しいことです。
次回は、武士の成立を話してみたいと思います。
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